異世界で喫茶『凪』を開店しましたが、店名はただの皮肉になりました。~スローライフ希望の俺、勇者と魔王軍幹部の暴走を止めるのに毎日必死です~

ころん

第1話 ドラゴンと看板と、俺の憂鬱

まず最初に、声を大にして言っておきたいことがある。

 俺は、異世界転生というやつに過度な期待を抱くタイプの人間ではなかった。トラックに轢かれたわけでも、神様のミスで雷に打たれたわけでもない。気がついたら、日本のしがないサラリーマンとしての記憶を保持したまま、この「剣と魔法の世界」の辺境の村で目を覚ましていたのだ。


 俺が望んだのは、チート能力による無双でも、エルフや獣人のお姫様に囲まれるハーレムでもない。ただ一つ、「平穏無事なスローライフ」だ。前世で擦り切れた神経を癒やすための、静的で牧歌的なセカンドライフ。それだけを願って、俺はこの村外れで小さな喫茶店兼よろず屋を営み始めた。


 だが、現実はどうだ。


「おーい! ケンヤ! いるかー!?」


 店の外から、鼓膜を直接揺さぶるような大声が響き渡る。

 やれやれ。俺が淹れようとしていた至高の一杯(ただのコーヒーだが)を楽しむ時間は、どうやら宇宙の法則によってかき消されたらしい。


 声の主は、自称勇者、アルド。脳みそのシワの代わりに筋肉が詰まっているとしか思えない、この村一番のトラブルメーカーだ。彼がこの時間に店に来るということは、ろくでもない用件である確率が九割九分九厘を占めている。


 俺は深いため息を一つ、店の経営状況よりも重く吐き出し、カウンターを出て店の扉を開けた。


「……なんだ、アルド。今日は定休日だと言ったはずだが」

「おうケンヤ! いやあ、ちょっと困ったことがあってな!」


 アルドは、太陽のように眩しい(そして暑苦しい)笑顔で俺を迎えた。彼の背中には、身の丈ほどもある大剣が背負われている。あんなものを振り回して日常生活を送れる神経が理解できない。


「困ったこと、だと?」


 俺は嫌な予感しかしない問いかけを口にした。アルドにとっての「ちょっと困ったこと」は、一般人にとっての「大災害」と同義語であることが多いからだ。


「ああ、そうだ。実はな、店の看板に、ちょっとデカイ蜥蜴(トカゲ)が引っかかっちまってよ」


 蜥蜴?

 俺は訝しげに眉をひそめ、アルドが指差す方向、つまり俺の店の屋根を見上げた。


 そこには、蜥蜴などという可愛らしい存在はいなかった。


「……おい」

「ん? なんだ?」

「あれのどこが蜥蜴だ。どう見ても、全長十メートルはある飛竜(ワイバーン)だろうが」


 そう。俺の店の自慢である「喫茶 凪」と書かれた木製の看板に、巨大な翼を持った飛竜が、まるで洗濯物のようにぶら下がっていたのだ。しかも、どうやら気絶しているらしい。


「いやあ、近くの山で暴れてたから、軽く『飛燕斬り』をお見舞いしたら、吹っ飛んでここに来ちまったみたいでな! ガハハ!」


 ガハハ、ではない。


 俺は頭を抱えた。異世界スローライフ? 冗談じゃない。どうやらこの世界における「日常」の定義は、俺が知っている辞書とは根本的に異なる言語で書かれているらしい。


「……アルド」

「なんだ?」

「あとで請求書を送るから、覚悟しておけ。それと、あのトカゲを降ろすのを手伝え。絶対に店を壊すなよ、絶対にだぞ」


 俺の平穏な午後は、こうして巨大な爬虫類の撤去作業へと変わったのだった。



 不幸というのは、大抵の場合、徒党を組んでやってくる。一人が玄関を叩いたかと思えば、勝手口からもう一人が土足で上がり込んでくるようなものだ。


 俺とアルドが、店の屋根に引っかかった飛竜(ワイバーン)の尻尾を引っ張り、物理法則と格闘している時のことだ。


「……」


 ふと視線を感じて下を見ると、店の前で一人の少女がこちらを見上げていた。

 ミアだ。

 身の丈に合わない大きな杖、目深にかぶったローブ。この村に住む魔法使いだが、俺は彼女が声を発したところを見たことがない。彼女のコミュニケーション手段は「肯定(首を縦に振る)」「否定(首を横に振る)」そして「爆裂(魔法をぶっ放す)」の三択のみだ。


「おい、ミア! ちょうどいいところに! 手を貸してくれ!」


 アルドが空気を読まずに叫ぶ。俺は止める間もなかった。

 ミアは無表情のまま、俺たち、というよりは屋根の上の巨大なトカゲを見つめ――コクリと小さく頷いた。


 次の瞬間である。

 彼女が杖を軽く振っただけで、屋根にのしかかっていた数トンの質量が、まるで風船のように浮き上がったではないか。

 重力魔法。便利だ。実に便利だが、彼女には一つ致命的な欠点がある。


 加減を知らないのだ。


「ちょ、待て! 上げすぎるな! 制御しろ!」


 俺の叫びも虚しく、飛竜はそのまま一直線に空の彼方へと射出された。キラーン、という効果音が聞こえそうな勢いで、それは星になった。


「……(ドヤ)」


 ミアが親指を立てて俺を見る。無言のドヤ顔だ。

 俺は額に手を当てた。ああ、これで今夜の食材(竜肉ステーキ)が消えたわけだ。


「なーにをしておるかあああああ!!!」


 そこへ、さらなる騒音公害がやってきた。

 長い耳を怒りで震わせながら走ってくるのは、この村の村長、エルフのゼグラムだ。

 エルフといえば、「森の賢者」とか「冷静沈着」というイメージがあるだろう? 俺もそう思っていた。こいつに会うまでは。


「ワシの『盆栽』への日当たりが悪くなったではないか! 貴様ら、自然への敬意が足りんぞ! 今すぐ謝罪しろ! 具体的には、この村の条例第854条に基づき、賠償として限定羊羹を寄越すのじゃ!」


 ゼグラム村長は、樹齢800年を超える長老だが、中身は完全にワガママな子供だ。あと、彼は「盆栽」の概念を根本的に間違えている。彼が盆栽と呼んでいるのは、村の中央にある高さ30メートルの御神木だ。あれに日陰を作るなんて、雲でもなければ不可能だ。


「村長、飛竜ならもう空の彼方に飛んでいきましたよ。ミアのおかげで」

「なに? ……む、ミアか。ならば仕方あるまい」


 村長はミアを見た途端、急に態度を軟化させた。彼は極度の魔法使いフェチなのだ。


「……(ペコリ)」

「うむうむ、今日も杖の角度が素晴らしいのう!」


 もはや会話が成立していない。

 筋肉馬鹿の勇者、無言の破壊兵器、そして常識の欠落したエルフの村長。


 俺は空を見上げた。飛竜が消えた青空はどこまでも澄み渡っている。

 神様、これがあなたの言う「平穏」ですか。だとしたら、あなたの辞書は今すぐ焚き火にくべるべきだ。


 俺は無言で店に戻り、「本日休業」の札を「閉店しました(精神的に)」に書き換えるべきか真剣に悩み始めた。

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