きらきらの町

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きらきらの町


 ​雪をかぶった大きな山脈のふもとには、世界で一番美しい町があります。

 それは水晶細工の町と呼ばれていました。

 この町では空気すらもガラス質に澄んでいて、太陽の光が建物にあたるたびに虹色の粒がこぼれ落ちるようでした。


 学校の帰りのホームルームの時間です。

 担任の先生は優しく穏やかな顔で言いました。

「さあ、みなさん。『自分磨き』の時間です。自分の嫌なところを、一つ削ってしまいましょう」

 生徒たちはみんな背筋をピンと伸ばして座っています。おしゃべりをしたり、あくびをしたりする子は一人もいません。

 ぼくはみんなと同じように、真っ白なノートを広げてえんぴつを握ります。


 どんな「嫌なところ」を見つけようかと、自分の心を見つめました。

(今日の給食のパン、隣の席のお友だちのほうが大きくて、ずるいって思っちゃった)

 ぼくはそれを、何度も反省しながら丁寧にノートに書き込みました。

『ぼくは今日、お友だちをうらやましいと思いました。そんないじわるな心は、もっていてはいけません』

 ​先生が教室を見回して、うっとりとため息をつきます。

「今日も丁寧な作業です。自分をきれいに磨くには、自分をよく知ることが大切なのです」


 ​この町の人たちは、みんな優しくて穏やかです。

 怒鳴り声も、泣き声も、文句を言う声も聞こえません。

 誰かが足を踏んでも「私の足が邪魔でごめんなさい」、踏んだほうも「私の注意が足りなくてごめんなさい」と言って、お互いに深くお辞儀をして微笑み、握手を交わします。

 誰かとぶつかるような争いの種はありません。みんながみんなに親切です。

 自分だけが良ければいいという心も、誰かを許せないという気持ちも、子供の内にすべてをノートに書き出してしまうからです。


 ぼくが家に帰るとお母さんが台所に立っていました。

「おかえりなさい」

 お母さんの笑顔の向こうに食器棚が透けて見えました。

 ガラス細工のように繊細で、血管の一本一本まで透明なのです。

 この町でずっと磨き続けている大人は、悪いものがすっかりなくなり、おひさまみたいに透き通っていくのです。


「お母さん、きれいですね」

 ぼくが素直な気持ちで言うと、お母さんの喉から鈴が鳴るような澄んだ音が漏れました。

 ぼくのお母さんはもう、声もほとんど透明です。ぼくはそれが誇らしいのです。

『ありがとう。あなたも、きっとすぐに完成するわ』

「うん。嫌なところは、すべてきれいにします」


 ​そして、冬の新月がやってきました。この町にとって特別な一日です。

 町の広場に、子供が集まりました。みんなの手にはこれまで書き溜めた「悪いところ」があります。

 真っ白なノートにハサミを入れて悪いところを切り抜き、その紙で飛行機を折りました。


 自分の中に生まれてしまった、嫉妬、怒り、悲しみ、欲張り。自分や誰かを傷つけるひどい心がここに文字となって封じられています。

 ​「さあ、手放しましょう!」

 先生の合図で、たくさんの紙飛行機が一斉に空へ放たれます。

 白い紙飛行機は闇の中で不思議な風に煽られ、高く高く舞い上がりました。

 月明かりのない真っ黒な夜空の中で形を崩した『嫌なところ』は、黒い雪になって落ちてきました。


 黒い雪は地面にぶつかるとコールタールのようにとろけて、ぞぶぞぶと地面に染み込んでいきます。

 これらは冬の雪の下で澄み渡り、春には跡形もなくなっています。

 先生が誇らしげに拍手をしました。

「みなさんは、またきれいになりました!」

 ぼくたちも嬉しくなって拍手をしました。


 黒い雪が落ちてくるたびに、町の人たちの体からも色が抜けていきました。

 肌が薄くなって、血の赤みが半透明に、みんな同じ輝きに包まれていきます。

 ぼくの指先も少しだけ向こうの景色が透けて見えるようになりました。

 それはとても誇らしいことです。


 ​翌朝ぼくが学校へ行くと、教室はまぶしくて目が開けられないほどでした。

 ぼくたちを見守ってくれた先生も、嫌なところがなくなったクラスメイトも、きらきら透き通っています。

 先生が教壇に立ちました。でも口は動きません。黒板に文字を書こうとして、チョークを持った右手が硬い音を立てて砕けました。

 ​

 その時、教室の後ろのほうで、真ん中で、ぼくの隣で、先生と同じ音を立ててみんなが砕けていきました。

 ​乾いた美しい音が教室に響き続けてぼくはうっとりします。

 きれいに掃除された床の上に、ダイヤモンドダストみたいな粒が散らばっています。

 それは窓から差し込む冬の光を浴びて、七色に輝いていました。


 ぼくはそれを見て、心から「いいなあ」と思いました。

 みんなはついに完全に透明になって、おひさまの光そのものになったのです。もう二度と悪い心を持たず、誰かに傷つけられることも、誰かを傷つけることもありません。

 ​ぼくも早くああなりたい。だけどそんな風にうらやましく思ってしまうから、ぼくはまだ指先しか透明になれていないのでした。


 家に帰ると、お母さんがいませんでした。

 いつもお母さんが立っていた台所の床に、透明なクリスタルの破片が落ちているだけです。

 ぼくは破片の一つを拾い上げました。それは冷たくて、鋭くて、とても薄いものでした。

「おめでとう、お母さん」

 ぼくは破片を夕日にかざしてきれいだなと思ってから、ポケットに入れようとして自分でびっくりします。

 これは悪いことです。ガラスの破片はきれいだけれど、危ないから片づけなければなりません。

 ぼくは「欲求」に流されることなく部屋を掃除し、自分を磨くことができました。

 破片を片づけ終えると、少しだけ透明な範囲が広がったような気がします。


 それから数年が経ちました。

 この町は今も、水晶細工の町と呼ばれています。

 誰かが水晶細工を作っているわけではありません。だけど世界で一番美しいのです。

 ​冬がくるたびに、誰もいない広場には真っ白な雪が積もります。

 かつて黒い雪が染み込んだ地面の上で、砕け散った町の人々の欠片が、風に吹かれて楽しそうな笑い声をあげているのでした。

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