今年の初夢は、着陸先を間違えた

凪野 ゆう

目を覚ましたとき、あなたはどこに着陸しているだろうか。

私は最終便の飛行機で羽田空港に向かうため、機内に搭乗した。

しかし悪天候のためか、なかなか出発しない。

機内アナウンスもない。

乗客はほぼ満席で、外国からの観光客がほとんどだ。

周囲を見回しても、日本人は私以外いないように思えた。

仕方なく、眠ることにした。

夢の中だったのか、やがて飛行機がようやく飛び立つような揺れを感じた。

あ、やっと飛び立ったんだな、と、目を閉じたまま思う。

その直後、エマージェンシーコールの音が鳴り響き、私は目を覚ました。

客室乗務員が慌ただしく右往左往している。

機内アナウンスで何かを告げているが、聞き取れない。

日本語ではない。

英語でもなさそうだ。

——一体、何語なのだろう。

周囲の乗客もソワソワしているものの、妙に落ち着いている。

窓の外は真っ暗で、何も見えない。

やがてエマージェンシーコールは止まり、落ち着いてきたように見えたが、飛行機はどんどん降下しているように感じられた。

気圧のせいか、耳鳴りが酷くなり、機内アナウンスがまともに聞こえない。

すると、着陸したような衝撃と逆噴射による重力を感じたあと、飛行機は無事、停止した。

——しかし、窓から見えた光景は、空港ではなかった。

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逆噴射が止み、機体は完全に静止する。

機内に、拍子抜けするほどの静寂が落ちた。

さっきまで鳴り響いていたエマージェンシーコールも、嘘のように消えている。

誰も拍手しない。

誰も安堵の声を上げない。

私はシートベルトを外し、ゆっくりと窓の外を見た。

——そこには、空港がなかった。

滑走路のはずの地面は、黒く湿った土だった。

照明灯も、誘導灯もない。

代わりに、等間隔で立ち並ぶ細く歪んだ柱のようなもの。

よく見ると、それは木だった。

森だ。

見渡す限り、夜の森が広がっている。

月明かりすらないのに、なぜか輪郭だけははっきりと見えた。

「……どこ、ここ」

思わず声に出した瞬間、機内の照明が落ちた。

非常灯だけが、ぼんやりと赤く通路を照らす。

その光の中で、乗客たちが一斉に立ち上がった。

ざわめきはない。

悲鳴も、混乱もない。

まるで——最初から知っていたかのように。

客室乗務員が非常口の前に立つ。

彼女の口が動く。

聞こえてくる言葉は、やはり理解できない。

英語でも、日本語でもない。

けれど、不思議と意味だけは、胸の奥に直接流れ込んできた。

——「到着です」

ドアが開いた。

冷たい空気が一気に機内へ流れ込む。

湿った土と、枯れ葉の匂い。

遠くで、何かが鳴いている。

乗客たちは列を乱さず、静かに外へ降りていった。

誰一人、振り返らない。

私は立ち尽くしたまま、通路に残された。

「すみません」

勇気を振り絞って、客室乗務員に声をかける。

「ここは……羽田じゃないですよね?」

彼女は初めて私の方を見た。

その目は、驚くほど優しかった。

そして、ゆっくりと首を横に振る。

——「あなたは、まだ帰れません」

意味が分からず言葉を失う私の背後で、最後の乗客がタラップを降りた。

その瞬間、機内が一段と暗くなる。

「どういうことですか……」

喉が、ひどく乾いていた。

彼女は少しだけ微笑んで、こう言った。

——「ここは、行き先を間違えた人が降りる場所です」

背中が、ぞっと冷えた。

「じゃあ、正しい行き先は……」

問い終わる前に、機内の非常灯がひとつずつ消えていく。

最後に残った赤い光の中で、彼女は静かに告げた。

——「目を覚ましたとき、思い出せるといいですね」

そして、私はまた、自分の席に座り目を閉じた。

次に目を開けたとき、

そこが本当に“現実”だったのかどうか。

今でも、確信はない。

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目を閉じたあと、これが今年の初夢であってほしいと念じているうち、記憶が途切れていった。

土と焦げ臭い匂い。

そして、眩しい陽射し。

それで目が覚める。

そこは、先日夢で見たはずの、樹海のような場所だった。

草むらの上に、横たわって眠っていたらしい。

起き上がると、横には先ほどの客室乗務員がいる。

他に、誰もいない。

近くで煙が燻っている。

それは、飛行機の残骸だった。

「……私は、助かったんですか?」

そう尋ねると、彼女は黙って頷くだけだった。

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しばらく、二人とも言葉を発さなかった。

風が吹くたび、焦げた金属の匂いが鼻を刺す。

機体の残骸から、ときおり、ぱちりと小さな音がした。

「……他の人は?」

私がそう聞くと、客室乗務員は、ほんの少しだけ森の奥へ視線を向けた。

けれど、何も指ささない。

ただ、そこに“在る”という気配だけが伝わってくる。

「ここには、あなたと私しか見えないだけです」

彼女は静かに言った。

その言い方が、妙に引っかかる。

——見えないだけ。

——いない、とは言わない。

私は立ち上がり、ふらつく足で飛行機の残骸に近づいた。

胴体は裂け、座席の一部がむき出しになっている。

焼け焦げた金属の中に、見覚えのある座席番号があった。

——私の席だ。

一瞬、背中を冷たいものが走る。

「……私、ここに座っていましたよね」

問いかけると、彼女は小さく頷いた。

「ええ。確かに」

「じゃあ……」

言葉が続かない。

私の中で、ひとつの考えが形を持ち始めていた。

けれど、それを口に出してしまったら、何かが決定的に壊れてしまう気がした。

客室乗務員は、私の表情を見て、ゆっくりと話し始める。

「あなたは、最後まで眠っていました」

「離陸のときも、降下のときも」

「そして——選択のときも」

選択。

その言葉が、やけに重く胸に落ちる。

「……選択って?」

彼女は、森を見渡した。

樹々の隙間から、微かな光が揺れている。

それは炎ではなく、誘導灯のようにも見えた。

「行くか、戻るか」

「降りるか、乗り続けるか」

「目を覚ますか、夢に留まるか」

ひとつずつ、丁寧に。

「多くの人は、迷わず歩いていきました」

「でも、あなたは……」

彼女は、私を見た。

「ここに、残った」

心臓が、強く脈打つ。

「じゃあ……私は……」

助かったのか。

死んだのか。

現実なのか、夢なのか。

そのどれも、口に出せなかった。

彼女は、少し困ったように微笑む。

「その答えを決めるのは、私ではありません」

そう言って、彼女はポケットから小さな紙切れを取り出した。

それは、航空券だった。

搭乗日の日付は、今日。

行き先の欄は、空白。

「まだ、続きがあります」

彼女は、森の奥を指さす。

「歩いていけば、また乗れます」

「今度は、あなたの行き先を、あなたが決めて」

私は、その紙を受け取った。

不思議なことに、手は震えていなかった。

怖さよりも、奇妙な静けさがあった。

ふと振り返ると、飛行機の残骸は、もう煙を上げていない。

金属の匂いも、薄れている。

まるで、最初から存在しなかったかのように。

「あなたは……来ないんですか?」

そう尋ねると、彼女は首を振った。

「私は、送り届ける側ですから」

「それに——」

彼女は、少しだけ視線を逸らす。

「私は、もう行き先を選べない」

その言葉の意味を考える前に、森の奥から、低く、長い音が響いた。

——搭乗を知らせる、あの音に似ている。

私は、深く息を吸い、森へ一歩踏み出した。

背後で、彼女の声が聞こえる。

「これは、初夢であってほしいと、願いましたよね」

私は、振り返らなかった。

「なら——」

彼女は、優しく続ける。

「今年は、きっと、目を覚ます年になります」

光の中へ、足を進める。

次に目を覚ます場所が、

ベッドの上なのか、

それとも、まだ見ぬ滑走路なのか。

それは、まだ、分からない。


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