好きと繋げる電波が私

海月爛

いくらなんでも場所を選ぼう

 薄灰色のカーテンの隙間から差し込む朝日が液晶に反射して私の目を灼く。まばたきを忘れていた目からは、そんな何でもない刺激に反応して涙が零れてきた。つーと流れる涙に驚いてそのまま放置して、そして誰かの行動をなぞるようにその涙をごしごしと右手で拭った。拭くに値しない程の僅かな湿り気が手に残り、それを服で拭って無かったことにする。はあとため息をついてついたままのパソコンの画面に焦点を合わせて、開いていたファイルにカーソルを合わせて右クリック。出てきたメニューの内、繰り返しすぎて覚えてしまった場所に合わせ直して左クリック。これで私の数週間が塵と化した訳だが、熱を失った今の私にとってその作業は何か感慨を抱かせるほどのものでは無かった。強いて何を感じたのかをここに書くなら、やるべき事をやったという達成感ぐらいのものだろうか。

 そして私は飽きもせずもう一度三週間前と全く同じ事を繰り返した。つまり、新しいファイルを開いて面白くも無い文章を誰に見せるでもなく書き始めるのである。……飽きもせず、というのには語弊があるか。多分私はもう飽きている。自分の才能を信じて誰に反対されても押し切ろうという勢いでやるのでは無い。私が一番私の才能というものを信じていないし、何か言わなくては自分が自分で居られないというような切実で苦しいような言葉を抱えて生きてきた訳でも無い。ならなぜこうしてしまうのか、その答えは私が今最も欲しがっているものだ。

 惰性で文字を数百文字打ち込み、画面の左下の時計を見ればもうそろそろ良い時間になっていた。まだ頭の中に残っている言葉は幾つかあったが、それを形作る手間を惜しんだ私は、何かから助けられる様に電源を落として眠りについた。眠ることと起きること、どちらの方が特別な体験になるだろうかと考える。死ぬときも眠るように死ぬのかな、なんて思っていたらいつの間にか朝が来ていた。その事実に救われて、私は布団から出て刺すような冷たさの空気へと触れる。一度息を吸う度に、肺の中の空気が入れ替わるような冷たさ。空気というものが凍り付いていて、動く私がそれを一秒ごとに砕いて動いているような、そんな感覚が冬の朝だ。

 何かに吸い寄せられるようにコートを着て外に出て、まだ夜明け前の空を見上げる。新しい一日が始まる、と希望を寄せるには最適な、全ての出来事の未然形の様な景色だったけれど、あいにく私には寄せる希望のアテが無い。靴紐を緩く結んだままのスニーカーは歩く度に脱げそうになるが無視して歩き、自分だけが起きているような優しい幻想を守ろうとして山の方へと進んで行く。緑の布で荷台を覆った軽トラックがある民家を横目に、停止線の薄れた交差点を確認せずに越える。寂れた農具がそのまま放置された畑がその向こうには広がっていて、それもまた私の幻想を加速させた。――――のに。

『もしもし、起きてるか?』

「電話取ったんだから起きてるだろう、それで何の用」

 私の幻想を打ち砕いたのは、突如としてポケットでその存在を主張した携帯電話だった。規則的に振動する電話を取りだして画面を見ずに応答を押す。こんな時間に掛けてきそうな常識知らずは一人しか心当たりが無く、その相手に遠慮など不要だからだ。

『うん? いやなに、そろそろ死んだかもしれないって思ってな。起きてるなら構わない』

「起きてる、ってのが永遠の眠りからだとは思わなかったよ。悪いけどまだ死ぬつもりはないね」

 いきなり掛けてきてけったいな疑問だったが、質問の内容に関しては私の事を良く理解していると評価できるだろう。希死念慮を誰彼構わず見せつける、病人に憧れている人間のつもりは無かったが。確かにそろそろ賞味期限が近づいている様に思えるのもまた別の側面では事実だった。

「かく言うそちらはどうなんだ? まだ夢は諦めてないのか?」

『夢を諦める、って状態は人間に存在しないよ。生きていれば何かしら夢の様な物を見て、それが無い人間は存在しない。平等に許された調味料が夢なんだ、そんなのを見ていなきゃ生きていけないよ』

 この言説の前提に存在するのは人生とはそれ単体では価値のない無味無臭な粘土のようなものという考え方で、それがこいつの人生哲学で。正しい間違いの基準では切り分けられない物を唱えているため、私がそれに何か出せる口があるならせいぜい自分がどう思うか程度だろうけれど、何を言おうとも思わなかった。

『変わりが無いならつまらない、もう電話切るぞ』

「変身を期待するなら電話じゃ無い、直接会って話すべきでしょう」

 ぶつっと音を立てて電話は切れる。会話の時間は二分程度で、一日の訳八百四十分の一がこの会話で経ったらしい。会話の前後でそれだけ劣化したということになるのか、笑えない。

 まもなく時計が六時半を回る。遠くの大学まで無駄に時間を掛けて通っている身としてはそろそろ準備に移るしか無く、私はアスファルトの欠片を蹴り飛ばして家まで戻った。


 大学というものは嫌いでは無い。私が嫌いなのは大学生なのだということを突きつけられるのは今日で何度目になるだろう。道中の電車ではパソコンも開けないほど混むために、携帯で軽く読める電子書籍や音楽の配信サービスでまさしく時間を殺して退屈を誤魔化して過ごしているが、それにしたって大学生という人種は何をして過ごす物なのだろう。世に言う大学全入時代、私学も企業である以上は顧客が居なければ成り立たない商売なのかもしれないが、肩書きばかりを欲しがる中身の無い学生がどうにも多すぎる様に見える。自分だけが例外でとても真摯で真剣に、一度も講義で眠気を感じた事の無い勤勉学生と吹聴するつもりは毛頭無いが、払った金とかけている時間に見合うだけの経験値は受け取ろうと最大限努力していることは遠慮も謙遜もなく断言する。

 蔦の茂るレンガ造りのキャンパスには人の気配が少ない。今日は連休の中日であるため、一日休めば大型連休が手軽に用意できる。旅行や労働にいそしむために休んだのだろうか。ならば履修しなければ良いのにというのは極論だ。

 調子が悪いなと思ったのはその時が初めてだ。歩く足取りがふらつくという訳でも無いがわかる。いつもとはどこかが違っていて、それは好調になっている訳では無いのだから不調に振り切れているという事になるだろう。授業を休もうかという気持ちが少しだけ湧き出てくるが、散々真面目ではない人間の事を一方的に見下しておいてそれはナシだろう。

 片手で数えれる程度の学生しか居ない教室に入り、時間が来るまで携帯でネットニュースを閲覧する。こちらの好奇心を煽ろうという魂胆が丸見えのタイトルを斜め読みし、今日も変わらずあの事がニュースになっていないことを確認する。トップニュースを確認し終えたタイミングで丁度教授が入って来て始業の鐘がなり、鞄の中へと携帯を戻して私は真面目に授業を受ける態度を作った。

 授業は少しだけ時間を余らせて終わった。やはり百分というのは教授側にとっても持て余す時間の長さらしい。百分は下手をすれば聞く側よりも話す側の方が辛いのではないか? 誤魔化しの利かないのは学生側では無く教授側なのだから。

 とまあそんな事は置いておいて、私はまだ人気の少ないキャンパス内へと放逐された。教授も連休が欲しかったのか、この後の授業は休講と来ている。今日はアルバイトも遊ぶ友人もどちらも居ない。つまりはまだ午前だと言うのに予定が全て片付いてしまった。せめて時間を有効に活用しようとするときに思いつくもの、つまりは課題も出されたその日に片付けているため、午後の暇潰しになるような事は残っていない。

 ということはつまり、趣味に費やしていい時間を大量に抱えている事になるのだが。喜ぶべきだと思っていても私はあまり気分が上がらなかった。調子が悪いからかもしれないと思ってみても、趣味と言うのはその体調の悪さを吹き飛ばすほどの力を持っているはずのもののことを指すはずだ。なら私が抱えている物は趣味では無くなってしまうのだろうか。だとしても人生の中で一番継続している時間が長いのだからそう呼称することが適切だろうとも思えて、端的に換言するなら今日はやりたくなかった。

 なので時間を空けるべく私は購買でパンを買ってサークルの部屋が集中している建物へと向かった。サークルに所属している訳では無いが、ここでは朝晩問わずに誰かが活動している。地下の防音室から漏れ聞こえるドラムの音に、ブルーシートの上で劇の背景を作成している団体。自分には手に入らないものを求めているのか分からないが、私はここでせわしなく音と動きが入り乱れているのを眺めるのが好きだった。四階建ての建物の内の三階まで上がり、踊り場のように少しだけ広くなった空間に立って下を見下ろしてパンを食べる。ドライバーの先に着けられたドリルが木を削る音が鳴るのを聞きながら、私は同じ階にどんなサークルが部屋を持っているのかを歩き回って眺める。重たそうな見た目をした鉄の扉の横につけられた表札を一つ一つ確認して、毎回新鮮な驚きを味わって。

「……ん?」

 疑問を感じて足を止めるという経験は人生で初めてだった。表札ばかりに気を取られて見ていたが、今私の目の前にある扉は閉まりきっていない半開きの状態だ。ゴミ袋が挟まってしまっているせいで空いてしまっているその中から、きゃんきゃんやかましい音が聞こえてきているようなそんな気がする。ドライバーの音が二階層を貫通して聞こえてくるため、うるさいことこの上ない。だから音の出所の判断が付かないが、確かにこの僅かな隙間を通って音が聞こえてくる。

「……~~。……、……!!」

 会話だろうか、いや聞こえてくる声は一つだけだ。電話かとも思ったがおそらく違う、双方向のやり取りにしては喋りの量が多すぎる。街で見かける電話しながら歩く変な人と同じ量の単語だからそこで断定するのは早計だろうと一瞬だけ思ったが、日本語なので断片的に聞き取れる内容から判断するにこれは一人喋りだ。

 本来は授業がある時間に、サークルの部屋の中で、でかい音量で一人喋りをする高い声の女。ドアの横の名札を再々確認すると、書いてあるのは『インターネット研究会』。これは猫をも殺す形の好奇心だろうと判断した私は、ごくりと生唾を飲んでその場から逃げ去ろうと抜き足で動き出した。

 が。

「そこの貴方も、ありがとうね!」

 という言葉を聞いたときにピタリと足を止めざるを得なかった。一際大きい音量で発せられたその声は私の耳にはっきりと聞こえてきて、内容は明らかにこちらの存在を意識している。この距離感で、私の事に気付いているのか? マズい、何かがマズい。何がマズいのか言えと言われたら困ってしまうが、それでもとにかく何かがマズいと感じた。長閑だった昼の時間が一瞬で去り、その空白に自分が取れる幾つもの選択肢が生まれていく。このまま全力で走って逃げ去ることが一番成功率の高い選択の様に感じられるが、こちらが補足されているのならどんな行動を取っても無駄だという事実を認識した。観念して私はそのまま室内に入ろうと手をノブに掛けて、もう一度その部屋の中で話している声を聞いた。

「わたしはねえ、そういう時は、いっつも考え過ぎる前に行動に移してるかな! やることが溜まっていくと重たい気持ちになっちゃうけど、一つ一つ片付けていけばどうにかなるって思ってるから! ほんとに良いのは、溜まる前にやっちゃうことなんだけどね」

 何かが違うな。私が一人だけ抱えている殺伐とした雰囲気の人では無く、もっと緩い人が中で緩い話をしている。その正体が掴めなくて、私は声にかき消されるようできる限り音を抑えてドアを開く。

「うん? わたし? あはは、全然そんな事無いよ! ……うん、うんうん、わかるよそれ、どうしても好きになれないものってあるよねえ~」

 一人喋りという予想は完全な正解だった。これはあれだ、バーチャルアイドルという奴だ。私は全く関わりが無く、存在程度しか認識していないけれど、そういう奴だってこと位は確信を持って言える。

 勿論大学で何をしようがその学生の自由だ。校則やその他の法律を遵守しているのなら一切問題は無い。勿論サークルの部屋の中でバーチャルの皮を被って配信活動をして、インターネットに自分の居場所を作ろうとしていてもそれは何ら責められることではない。

 そこまで言い訳の様に自分の中で一人で言葉を積み上げて落ち着けて、自分の存在を認識されていなかった事に安心した私はドアを閉じて――――緊張を抜いたせいで間抜けな失態を犯した。

 この状況で失態と言えば一つだろう。一方的にこちらから覗いている状態で、ドアを閉じるときに私は音を立ててしまった。僅かに空いていた隙間が無くなるときにドアの金具が動いたのだ。

「!」

 私がもしスパイだったなら絶望的な末路へ一直線だっただろう。部屋の中に居た女がこちらに気づき、警戒しながら近づいてくるのをドア越しに誤魔化しようが無くはっきりと感じる。逃げようかなとよぎったが、ここで逃げたらそれこそ本当に大事だ。取り戻したはずの長閑を手放して、私はこのお気に入りの建物に近づく勇気を失うだろう。近づいてくる。大丈夫だと自分に言い聞かせて私は何て言い訳をするかの台本をくみ上げて、その扉が開かれるのを一歩下がって待った。

 七分後。

 ドアの目の前まで近づいて来た気配はある。この厚いドアでも人の気配は隠しきれないんだなと驚く余裕がある程度には私もその特異な状況になれてきていた。この睨み合いが何の意味を持っているのか分からないが、拮抗を崩すには何をするべきなのかの選択肢も何一つ思いつかなかった。こちらからドアを開ければ良いのか? いやでもこちらから見て奥に押さないと開かない形のドアだ、突然開けたら向こうの距離によっては正面から激突してしまう。だけどこのままずっとここに縛り付けられる訳にもいくまいし。後三十秒待って何も起きなかったらこちらから仕掛けようと覚悟して、その時間が経ってしまう前に何かあれば良いと願いながら時計を眺めて、無慈悲にその時間は経過した。

 経ったのだからここで動かないと機を逃す、その強迫観念を無理に背負った私は力加減を気にせずにノックして、そのドアを揺らす。

「あの、勝手に覗いてすいませんでした! そろそろ失礼します!」

 一方的にそう言い切って、何か止められる前にそのまま帰ろうと私は急いで歩き出す。ひりひりとした感触が左の拳に残っているのを振って忘れようとしていた時、後ろでドアの開く音がした。咄嗟に向こうの動きを観察するため振り返りながら後ろに跳んで、正面から中の人物と相対する。

「あ、あの……」

 身長は私よりも低いぐらいで、お腹が痛そうに前屈みになって手をその辺りに当てている。急に跳んでくることは無いだろうけど、腹部に銃器でも隠されていたら何もすることが出来ない。おどおどした態度は何かに怯えているようで、それが一体何なのかの見当はつけられそうに無かった。

「……なんですか」

「わ、わたしのサークルに入ってくれませんか!」

 私の尖り声でした質問をかき消すような勢いで何かの宣言でもするようにその女は叫ぶ。全方位にまき散らした声は誰に対しての発言か一瞬こちらを混乱させて、言われた音を聞き取って漢字に変換して言葉として処理してそれが誰に向けられた物なのかを理解するまでにおよそ五秒の無防備な時間を有した。そしてその後は私の発言待ちとなることは肌で俊敏に察知できて、理解した後の私が発言した言葉は――――。

「私に対して言ってるんですか……?」

 という、愚か極まりない言葉だった。

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好きと繋げる電波が私 海月爛 @haruruzume

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