帰還勇者は名を隠す― 現代ダンジョンで、剣は再び抜かれる ―

塩塚 和人

第1話 勇者、現代へ帰る


世界が、

終わった。


その事実を、

葛城亮は

音ではなく

感覚で理解した。


魔王の巨体が、

足元で

黒い霧となり

崩れ落ちていく。


玉座の間には、

もう敵はいない。


勝利を告げる鐘も、

祝福の声も、

どこにもなかった。


亮は、

剣を握ったまま

動けずにいた。


「……終わり、か」


言葉は、

虚しく空間に消える。


異世界を救った勇者は、

この場に

ただ一人。


胸の奥に、

何かが抜け落ちた

感覚だけが残った。


その時だった。


視界の端が、

不自然に歪む。


空間が、

紙のように

折れ曲がった。


嫌な予感が、

背筋を走る。


「待て――」


叫ぶ間もなく、

亮の身体は

引きずられた。


上下も前後も

わからない。


ただ、

落ちていく。


意識が、

白に塗り潰される。


次に目を開けた時、

亮は

冷たい床に

横たわっていた。


コンクリートの感触。


鼻を刺す

埃の匂い。


「……?」


ゆっくりと

上体を起こす。


天井は低く、

金属の配管が

むき出しになっている。


石でも、

土でもない。


「……日本語?」


無意識に

漏れた言葉が、

はっきりと通じた。


心臓が、

強く脈打つ。


周囲を見回し、

亮は息を呑んだ。


見覚えがある。


駅の、

地下通路。


色あせた広告。

点滅する

非常灯。


間違いない。


ここは、

元の世界だ。


「……帰った、のか」


声が、

わずかに震える。


夢ではない。


腰に手をやると、

剣があった。


異世界の装備も、

すべてそのまま。


亮は、

深く息を吸い、

内側に

意識を向ける。


異世界で

身につけた、

自己把握の感覚。


すぐに、

答えが出た。


レベル。

スキル。

ステータス。


すべて、

失われていない。


「……全部、

 持ち帰りか」


乾いた笑いが、

漏れた。


勇者の力だけを

残したまま、

現代へ戻す。


神の考えは、

相変わらず

理解できない。


亮は、

剣の柄を

そっと撫でる。


もう、

戦わない。


勇者としての役目は、

あの世界で

終わった。


この力は、

封じる。


静かに、

生きる。


それが、

彼の選択だった。


地下通路を抜け、

地上に出る。


夕焼けが、

目に刺さった。


街並みは、

少しだけ

違って見える。


巨大なフェンス。

黒い塔のような

建造物。


違和感を覚え、

通行人に

声をかけた。


「あれは……?」


返ってきた答えは、

短い。


「ダンジョンですよ」


五年前に

出現したものだと、

当たり前のように

告げられる。


五年。


その数字が、

胸に沈んだ。


亮は、

空を見上げる。


知らない世界に

帰ってきてしまった。


だが――


それでも、

ここが現実だ。


勇者ではなく、

葛城亮として。


彼の新しい日常が、

今、

始まろうとしていた。


力を隠したまま。

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