第34話 光

 魔女狩り課の増援が動き出すより、ほんのわずかに早く──

 翡翠の廃墟帝国へ雪崩れ込んだのは、深見率いる警察の特殊部隊だった。

 禿の渦虫を長く追ってきた捜査網が、ようやく一つの終着点に辿り着いたのだ。


 黒一色の装備に身を包んだ隊員たちが、無言のまま空間を制圧していく。

 足音、無線の短い交信、銃口の向き──すべてが無駄なく、冷たい。


 その先頭に立っていた赤いトレンチコートの女を見て、俺は一瞬、言葉を失った。

 深見華。

 昼間っからワインを飲んでいた“友達”とは、まるで別人だ。

 背筋は真っ直ぐで、目は感情を削ぎ落としたように静かだった。


 深見はまず、祭壇のように鎮座する裏切り者算出機へと視線をやり、

 それを証拠品でも兵器でもなく、ただのを見るような目で一瞥した。


 それから、床に転がされたままの俺を見下ろして、口角を上げる。


「あら。お二人さん……そういうプレイ?」


 緊張が張りつめていた空間に、不意に放り込まれたその一言。

 俺が何か言い返す前に、スオウがわざとらしく首を傾げた。


「今ちょうど、解いてもらうところだ」


「へぇ。じゃあ、私が解いてあげよっか?」


「別にいい」


 スオウは俺の背後に回り、手際よく縄を外していく。

 きつく食い込んでいた拘束がほどけ、血の巡りが一気に戻る感覚に、思わず息を吐いた。


 久しぶりに、自由に腕を動かせる。

 それだけのことなのに、やけに現実に引き戻された気がした。


 深見はその様子を眺めながら、いつもの調子で言う。


「この子が芹沢君お気に入りの、公認魔女の子ねぇ」


 深見は一歩近づき、値踏みするみたいにスオウを下から上までゆっくり眺め回した。任務中だというのに、その視線だけはやけに私的だ。


「なーんだ。私より可愛いじゃん」


 品定めの結論がそれか、と俺はため息をつく。


「顔で選んでねぇよ」


 深見は表情を切り替えた。冗談の皮を剥いだ、その顔は完全に指揮官のそれだ。


「各班、少女たちの護送を急げ。魔女狩り課の増援が来たら厄介だから、速やかに」


 無線が飛び交い、特殊部隊が少女たちに銃を突きつけて、地上へと誘導していく。


 俺とスオウは、その流れに紛れるように、錆びついた非常階段を上がった。


 階段を上り切り、扉を押し開ける。


 視界が一気にひらけた。


 雲一つない空の下、海が広がっている。強い日差しが水面を叩き、無数の光が跳ね返っていた。さっきまで地下にいたせいか、世界がやけに眩しい。


 少し離れた波止場には、十数台の警察車両と警官たちが集結している。怒号や無線の音は届くが、ここまでは踏み込んでこない。俺とスオウは、あえて騒がしさから距離を取り、魔女狩り課の迎えを待つことにした。


「翡翠は……救われたんだろうな。スオウ、お前が彼女の光になった」


「……光、ですか」


「少なくとも、あいつは最後に“友達”を手に入れた。奪われ続けた人生の中で、それだけは嘘じゃない」


「そうだと、いいですね」


「お前じゃなきゃ、あの結末はなかったと思う。翡翠はずっと誰かと“対等”でいたかったんだろうな。同じ“高さ”にいる誰かと」


「……芹沢さんは、どう思ってるんですか」


「何がだ」


「私が、正しかったのかどうか」


「少なくとも――俺はお前の正義に対する熱い想いを聞けて、なんだか良かったよ」


 一瞬の沈黙。波が防波堤に当たって、乾いた音を立てる。


「……恥ずかしいです」


 そう言ってから、少し間を置いて。


「芹沢さん、真っ先に……私のところに来てくれたんですね」


 潮風に黒い髪を揺らしながら、スオウがぽつりと言う。


「むしろお前……全部見えてたんじゃないのか? 廃工場に潜り込んだ時、翡翠をあそこまで煽ったのも、バラバラにされた後の流れも……全部お前の筋書きだったんじゃないかって気がしてきた」


「まさか」


 即座に否定しながら、スオウはほんの少しだけ視線を落とした。


「でも、芹沢さんが助けに来てくれて……嬉しかったです」


「俺は捕まって、運ばれて、転がされただけだ」


「それでも、です」


 波の音が二人の間を満たす。


「芹沢さんが来てくれなかったら……私、裏切り者算出機で芹沢さんの首を、召喚していたかもしれません」


「……怖いこと言うな」


 俺は、ふと思い出す。


 あのとき――裏切り者算出機から排出された、黒ずんだ球体。

 誰のものとも分からない、だが確かに“首”だったもの。


 人が一人、確実に犠牲になっているという事実。

 そして、それがスオウにとっての“裏切り者”だったという事実。


 胸の奥が、じわりと冷えていく。


「……なあ」


 潮騒にかき消されないよう、声を落として訊いた。昼下がりの港は思いのほか騒がしく、遠くでクレーンが軋む音や、漁船のエンジン音が断続的に混じってくる。冬の海は澄んでいて、空と水面の境目が溶け合うように白く滲んでいた。


「排出されたあの首……あれは誰なんだ?」


 太陽は高く、雲もほとんどない。光を反射した海面がきらきらと目に刺さる。その眩しさのせいで、俺はスオウの表情を正確に読み取れずにいた。


 スオウは、海を見つめたまま答えた。風に揺れる髪の先が、光を受けて淡く透けている。


「……私の知ってる“裏切り者”は、ただ一人ですよ」


 彼女は波止場の先――水平線の向こうを見ていた。そこには何もない。ただ、青と白が重なり合うだけの、取り留めのない景色が広がっている。それでもスオウの視線は、まるで何かを正確に指し示しているかのように揺るがなかった。


「……誰だ」


 俺の声は、思っていたよりも低く、慎重だった。冗談や比喩で済ませていい名前じゃない。そんな予感だけが、胸の奥に静かに沈んでいた。


 沈黙。


 昼の海は穏やかなはずなのに、その瞬間だけ、世界が一拍遅れて動いているように感じた。カモメの鳴き声も、遠くの人の話し声も、すべて薄く引き延ばされた背景音に変わる。


 そして――波が砕ける音だけが、やけに大きく耳に残った。白く弾けた飛沫が陽光を受け、きらりと瞬いては消えていく。その繰り返しが、時間を刻む秒針のようだった。


 スオウは、ようやくこちらを振り返る。

 それでいて、その目には確信を宿していた。迷いも、躊躇もない。ただ、知っている事実をそのまま口にする者の、冷えた静けさだけがあった。









「“明智光秀”ですよ。日本史で習った」








第二章 裏切りを許さない魔女 完

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