ボード・セーリング
鉄塔舎
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このあいだの日曜日、買い物帰りの公道でえらいものを見た。
車道を、ベニヤ板に腹這いになった男が滑るように走り去っていったのだ。時速40kmは出ていたと思う。あまりに異様な光景、しかも一瞬の出来事だけに、僕はしばらく根が生えたようにその場に立ちつくして、走り去っていく男の尻のあたりを凝視していた。
家に帰って、急いでインターネットで調べてみた。いったいあれは何だったのか。
「ベニヤ」「腹這い」「車」といくつもキーワードを試して、ようやく見つけたのは、まさに僕が見たベニヤ車をキットとして制作・通販している個人サイトだった。トップページの写真は、ベニヤ板にレーサー風のつなぎを着た男が腹這いになって颯爽と走るスピード感あふれるショット。冬季五輪にスケルトンという競技があるが、まさにあんな感じだ。
畳約一畳分のベニヤ板の片面の四隅にモーターとコロを取り付け、操縦はあごの辺りに据えたトイレのブッキュー(棒の先にゴムのお椀を取り付けた詰まり取りの道具)のミニチュアみたいなレバーで行うという、あまりにシンプルすぎるその車(?)は、しかし購入者の口コミ掲示板では、ロットによって動力伝達回路に一部脆弱な箇所が見られるようだという報告のほかは、おおむね好評を得ていた。価格は高級自転車並で、組み立て式。免許不要で、どういう訳か公道もOKらしい。
一通り見て鼻で嗤いブラウザを閉じたものの、日が暮れる頃には頭の中はベニヤ車のことでいっぱいになってしまっていた。
夜。再びサイトにアクセスする。購入申し込みのページ。気付けばクレジットカードの番号を記入し、購入ボタンを押していた。
三日後、会社から帰宅するとポストに宅配業者の不在通知が入っていた。とるものもとりあえず電話をかけ、すぐに持ってきてもらう。玄関扉大の段ボール箱をやっとの事で家の中に運び込むと、食事も後回しで組み立てに没頭した。本箱を組み立てる程度の気楽さで、30分でできあがった。
完成品をうっとり眺めながら気もそぞろに夕食を摂る間バッテリーを充電し、近所のコンビニまで試運転をすることにした。ヘッドライトなどというものは当然のごとく付いていないかわり、ご丁寧に、懐中電灯ホルダなる金具が付いていたので、玄関脇の防災袋から懐中電灯を取り出して携行する。
ベニヤ車をゆっくりアスファルトに降ろし、バッテリーと懐中電灯を取り付けた。スイッチを入れると、小さくウイン、と鳴ってLEDの緑のランプがスタンバイを告げる。心臓が高鳴る。恐る恐る板の上に腹這いになる。思いのほか路面が鼻先に近い。レバーをそろそろと正面に倒すと、車は音もなく走り始めた。
全くもってそれは、スリリングかつエキサイティングなドライビングだった! 視線が低くなればなるほど、世界は広がり臨場感をもって迫ってくることを、初めて知った。その夜、新しい世界の発見にコンビニで買ってきた缶ビールで一人乾杯した。
次の休日、思い立ってベニヤ板の表にアクリル絵の具で海面とサーフボードの絵を描いた。我ながら上出来だ。調子に乗って、サーフボードの上に寝そべるビキニの女の子の絵を描き加えた。すごくいい。
GWを目前に控え、ある計画を思いついた。我が愛しきベニヤ車で、田舎へ帰省してみてはどうか。実家は日本海に面したN県の漁師町、普通車でも高速を飛ばして5時間はかかる。これは一大イベントだ。予備のバッテリーを2個、追加購入して当日に備えた。
その日、日の出とともにアパートの前を出発した。一般道はしばしば信号に足止めを喰らって難儀だが、最高時速が公式で42kmでは高速に乗るわけにも行かない。時間を経るにつれ背中に痛みを覚え始めたが、幸い帰省ラッシュに巻き込まれることもなく、ドライブは順調そのものだった。
10時間後。湿っぽい海風とともにようやく懐かしい町並みが目に飛び込んできた。疲労はピークに達していたが、ここまで来ればもう15分とかからず実家に着く。
すれ違いざま一様に目を丸くして振り返る人々に、手を振りたい気分でベニヤ車を駆っていたそのとき、レバーの根本の辺りで何かが弾けるような音がした。慌てて身を起こしブレーキをかけたが停まらない。車は、まるでラストスパートに賭けるランナーのように最高時速を保ったまま猛然と海岸を目指して走り始めた。
……今僕は、ビキニガールと熱い抱擁を交わしながら、サンセットオーシャンを気ままにクルーズしている。どこへ向かうのかって? そんな野暮は訊かないでくれ。
僕にもわからないんだから。
ボード・セーリング 鉄塔舎 @tetnet
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