愛を囁く小鳥よ

石井一軒

愛を囁く小鳥よ

朝目覚めると、腕にミルクティ色の艶やかな髪が絡まり付いている事に気付く。布団を少し持ち上げると白くて丸いおでこに、三日月型をした瞼にびっしりと縫い合わされたような長い睫毛の持ち主が身を縮こませながら寝ている様子が伺えた。

 彼女は数ヶ月前、都内のバーで出会い、そのまま自宅に招き入れてから頻繁に家を訪れるようになった。恋人と言うには重すぎて、セフレと言うには軽すぎる曖昧な関係だ。

「ん……」

 彼女が目覚め、私の顔を見上げると幸せそうに微笑み擦り寄って来る。

「希帆さんおはよう。」

 私はいつまでも身体を絡ませてくる彼女が鬱陶しくなり、さっさと起き上がって下着を着ける。

「あん。もう行っちゃうの。」

「私はアンタと違って忙しいの。」

 そう言って彼女を一人部屋に残すと出社の準備を始めた。

 

 私は今年でもう32歳になる。同級生は皆もう結婚やら子育てやらで忙しそうで、独り身の私は焦りを感じていた。

 煙草休憩の際も抜かりなく、マッチングアプリをチェックする。

(この人は微妙だった。歳上は絶対に嫌。同い年か年下。最低でも年収800万……)

 プロフィールを見てはページを移動しの繰り返しを何度も行う。

 自分でもイタい女だとは分かっている。自分が選べる立場ではないことも。しかし僅かな希望を持ってスワイプする手が止まらない。

 

「希帆さん熱い〜!」

 会社から帰宅するとシャワーを浴び彼女の髪の毛を乾かすのが日課である。丁寧にケアされた髪はツルリとしており私の手から滑り落ちていく。

「希帆さんありがとう。」

 髪を乾かし終えると彼女は私の方に向き直りキスを執拗いくらいに落としていく。

 きっとこの子は誰に対してもこのようなことをしているに違いない。そしてこのようなことをされて喜ばない相手はいないだろう。私以外の話だが。

 私は正直彼女が嫌いだ。上っ面の歯の浮くようなセリフと行動ばかりの女。どうせ散々持て囃されて来たのだろう。しかし私は騙されない。

「いい加減離れて。あなた執拗いのよ。」

「えー。だって愛は与えなきゃ意味ないもの。」 

 ほらまた簡単にそういうことを言う。私のことはどうせ遊びだと思っている癖に。

 私はドライヤーをコンセントから引き抜き、自分の髪の毛は鏡のある洗面台で乾かし始めた。

 

 私が洗面所から出て寝室に入ると、彼女は真っ暗な部屋の中、ブルーライトの光を浴びて縮こまっていた。私は最初何をしているのかわからなかったが、すぐに今起こっていることを理解した。

 彼女はどうやったかは知らないが、勝手に私のスマホを開いている。

「ちょっと!何見てるのよ!」

 私は無理やりスマホを奪い取ると、マッチングアプリの画面が見える。その瞬間私はカーッと顔が熱くなるのを感じた。

「どうせあんたも私をイタい女だと思ってるんでしょう!?結婚願望があって何が悪いって言うのよ!私は早く結婚がしたいの!あなたになんかかまけていられない!」

 別に責められた訳でもないのに暴走した私は止められず、彼女の白い頬を叩き続けた。彼女は何度も「違う」「ごめんなさい」と泣いて謝ったが私は止まらなかった。

 

 翌朝私は何も言わずに家を出て、冷静になったのは夕方頃だった。

 反省した私はあの子の好きなドーナツを買って帰路についた。これならきっとあの子も許してくれるはず。そう思い部屋の明かりを点けた。

「あれ。」

 私は部屋に入ってすぐに違和感に気が付く。彼女の私物がどこにもないのだ。出会ってから着々と増え続けていた物がきれいサッパリなくなっている。

 途端に不安になった私は部屋中彼女を探し回り、ベランダに出て、ついにはアパートの下にまで降りてきていた。あまりにも突然のことで慌てた私は裸足で外に出ている事にも気付いていなかった。

 彼女は出ていったのだ。原因はきっと昨日の私のせい。そう自覚すると寂しいという感情が押し寄せて涙がポロポロと流れてくる。

 きっと私はあの子を愛していたのだ。あの子が私に与えてくれていたように。

 ねぇ。今どこにいるの。あなたのことだから今頃別の人に甘い言葉を囁いているのでしょう。私以外に囁かないで。こうなってしまうなら唇を縫い付けてしまえばよかった。

 私は失ったものに絶望し、通行人に不審な目を向けられながら道端で蹲って泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

愛を囁く小鳥よ 石井一軒 @oniku_89

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画