円盤の群れ

ゆるふわ全共闘

第1話

 エバ・L・クローバーフィールドはタイムズスクエアの雑踏の中をオフィスへと向かって歩いていた。

 ノリの効いたシャツにスラックス、革靴に見えるスニーカーに身を包み、黒髪をポニーテールにしている。右手にはスターバックスのコーヒー、左手には編集長へ見せる予定の記事の草稿が入った書類ケースを持っている。

 コーヒーで無理やり覚醒させた脳裏には、次のネタのことが浮かんでいる。みながそうであるようないつも通りの朝だ。

 ────振動が伝わって来たのはその時だった。

 最初は小さく、微かに揺れる程度。しかし急速に強まっていき、もはや気のせいとは思えない。ビルのフロントに設置されたパネルスクリーンがガタガタと音を立てる。

 エバのコーヒーがこぼれ、アスファルトを潤した。


「地震!?」


 誰かが叫ぶ。ざわざわとタイムズスクエアにいた人々が騒ぎ始める。

 次の瞬間。

 巨大な衝撃が人々を襲った。

 まるで巨人が地面を殴りつけたかのような、激しい揺れ。誰もが悲鳴を上げ、床に倒れ込む。ガラスが割れる音が響き渡る。

 例外なくエバも道路に倒れ込んだ。

 ……揺れはやがて収まった。

 静寂。

 そして、ざわめき。

 人々は恐る恐る立ち上がり、知っている者たちは互いに無事を確認し合う。エバも警戒しながらゆっくりと立ち上がる。


 そして、彼女はそれまで無かったものが現れていることに気がついた。


 気づかせたのは影だ。その場にいる誰もを覆うような影。見上げると────ビルよりも遥か上空に銀色の円盤が浮かんでいた。

 化け物のような大きさだ。その円盤の縁はニューヨーク全体に広がっている。

 さらに悪いことに────仮に彼らが侵略者(インベーダー)とした場合だが────円盤はそれだけでは無かった。

 雲の上、青い空に溶けるように浮かぶ無数の円盤を目にした時、エバの心には有名なSF小説のある一節が浮かんでいた。


 人類はもはや孤独ではない────


⭐︎⭐︎⭐︎


 ハートランド・タイムズは吹けば飛ぶような三流ゴシップ誌である。

 そんな会社が成果が全ての米国で、さらにはその中心であるニューヨークで存続できているのは、ひとえに二人のエース社員の手によるものだった。

 その一人であるエバは編集長室で憎々しげに窓の外を睨みつけていた。

 視線の先には悠然と浮かぶ銀色の円盤。


「よっぽど『彼ら』が気に食わないと見える」


 そんな彼女に声をかけたのは革張りの椅子に座る鋭い目の中年、グレゴリー・ハートランド。デスクに両肘をつき、組み合わせた手の上に顎を乗せている。

 彼はこの会社の編集長であり、社長だ。

 しかし、エバはその不機嫌な態度を隠すことなく返答する。グレゴリーも気にした様子はない。


「……いつの時代も民衆は為政者を批判するものですから」

「それは為政者が同じ人間であり、不完全な存在だからだろう。しかし、『オーバーロード』は違う。彼らがこの数年で間違いを犯したか?人類は『全員が』急速に豊かになり、一つにまとまりかけているじゃあないか」

「最初はひどく混乱しました」

「最初は、な。それも彼らが引き起こしたものではない。せっかく手に入れた権力を手放したくない旧支配者たち────世界中の富を独占する者たち、大国の長たちを敢えてそう呼ぶが────が暴走した結果だ」

「暴走の結果が世界の終わりを引き起こしかけました。人類を超越した存在ならば防げたはず」

「……君は自分の主張を通したいときに強い言葉を使う節があるな。だからこそ民衆は君の記事に熱狂するのだろうが────『世界の終わり』とは。確かにいくつかの国は地図から消えたが────『わたしはアルファであり、オメガである』。聖書でも言われるように、終わりは同時に始まりでもあるものだ」

「おっしゃる通りですが、ならば破壊と再生をもたらすものは神であるべきです。何故なら、神は善人を救うという『目的』が明確だから」

「至極真っ当な主張だ。君ならそう言うと思っていた」


 グレゴリーは机の引き出しから葉巻を取り出して吸い口を切り落とし、ライターで火をつけた。

 煙をうまそうにゆっくり吸い込んで、満足気なため息を吐く。


「そこなのだよな。

 確かに今、人類にはかつてないほどの平和が訪れようとしている。しかし、それでオーバーロードたちに何の得がある?この数年、彼らは知識を与え、導くばかりで我々から何も受け取ってはいない。もしかしたら、かの聖人のように純粋に人類を救いたいと思っての行動なのかもしれない。だが、私はどうもそうは思えないのだ」

「同感です。何より、」


 エバは言葉を切って続ける。ここまでの議論は予定調和的だった。どうもこの一言を引き出すために会話を誘導されている節が最初からあったように感じる。そして彼女もそれを望んでいた。


「地球に舞い降りてから『一度も姿を見せない相手』を信用しろと言うほうが無理があります」

「本題に入っても良さそうだな」


 グレゴリーはニヤリと笑った。


「君に追って欲しい新たなネタは『オーバーロードの正体』だ。なに、彼らがどこからきてどこへ行くのか、経歴を全て調べ上げてまとめろなんて無茶なことは言わない。

 ただ、『彼らの姿を写真に収める』だけでいい」

「……難易度の高い仕事です」


 そう返すエバの口元には笑みが浮かんでいる。


「なにせ、それはこの数年、様々な媒体の人間が取り組み、そして成し遂げられなかったこと。様々な妨害にも遭うでしょう」

「だが、得意だろ?どんな相手だろうが臆せず飛び込み、どんな妨害でも突破してゴシップを掴む『不屈のジャーナリスト』。

 後ろめたいことがある人間で君を恐れないものはいない」

「……買い被りです。私は諦めが悪いだけ」

「その諦めの悪さで我が社の危機を何度も救ってきたんだから立派なもんだ。

 いつも通りバックアップは出来ることなら望むだけ。利益の五パーセントは君のものだ。思いっきりやってくれたまえ」

「わかりました。朗報を期待しておいてください」


 エバは扉を押し開け、編集長室を後にした。


⭐︎⭐︎⭐︎


 雑多なオフィスをエバが通り抜ける時、本の山を抱えた青年とぶつかりそうになった。

 青年は本が邪魔になってエバが見えなかったようで、慌てて避けたエバが咳払いすると、そこで初めて彼女にぶつかりかけたことに気がついたようだった。


「悪い、見えなかったもんだから……エバか」


 その声を聞き、本を運ぶ働きアリの正体を知ったエバの顔が不機嫌に歪んだ。


「ルーカス、台車ぐらい使ったらどうなの」


 エバの指摘にヘナヘナと笑う彼────天然パーマと困り眉が特徴的な青年はハートランド・タイムズでエバと双璧を成すエース社員であった。名をルーカス・阿部。日系アメリカ人である。


「……また戦争や孤児、貧困みたいな『高尚な』テーマで記事を書くつもりなのね」


 ルーカスが抱えている本の背表紙に目を走らせたエバが一層低い声を出した。

 ルーカスはエバの皮肉に気付いた様子もなく返答する。


「ああ、オーバーロードのおかげで収束しつつあるけど、局所的な競り合いはまだまだ続いているし、それ以外にも人類には問題が山積している。時間はいくらあっても足りないよ」

「たいそうな志だこと。聖人認定でも受けたいのかしら」

「そういうんじゃないよ。いつも言ってるけど……」

「なら何よ。賞を取りたくてやってるとでも?」


 エバは壁際に並んだトロフィーを見やる。そのトロフィーの全てにルーカスの名前が刻まれていて、エバの名前は一つもなかった。

 そこなのだった。エバが彼を嫌いなのは。

 エバの記事は売れる。確かに売れるが、世間的には『面白いゴシップ記事』でしかない。

 しかし、ルーカスの記事は売れると同時に『素晴らしいもの』と評価されているのだ。

 その差がエバには酷く耐え難かった。まるで自分が浅ましい存在であると突きつけられているようで。

 なにより。


「それも違うよ。僕はね、記者の役目は『伝えてより良い方向に進んでもらうこと』だと思うんだ。人類は伝える力によって発展してきた。だから、僕もその歴史の一助になりたいんだよ」


 この根っこから、いや、もはや肥料から善意で出来ているようなこの青年の在り方は彼女の劣等感をことさら強く浮き彫りにする。


「エバは?次はどんな記事を書くんだ?」


 そんなエバの内心など全く知らないのであろうルーカスが問いかけてきた。

 エバは軋むこめかみを揉みほぐしながら返答する。


「……オーバーロードの正体を探るの」

「へえ!それはまた面白い記事になりそうだ。情報を掴むのは難しいだろうけど……多分君ならいつものごとくなんとかするんだろう。草稿が出来たら是非読ませてくれ」

「誰がアンタなんかに。読みたきゃ雑誌を買いなさい」

「まあ、そう言わずにさ。僕と君と仲じゃないか」

「しつこい!」


 エバは一喝するとその場を離れることにした。これは逃走ではない。戦略的撤退だ。

 だがもう今日は仕事に取り掛かる気分ではなくなった。いつものバーで浴びるほどビールを飲むことにしよう。景気付けも兼ねて。

 今に見てろ、とエバは壁際のトロフィーを再度睨む。

 オーバーロードの姿がなんであれ、それは世間で様々な議論を巻き起こすだろう。それはいつもの支配層・富裕層の裏の顔に対する悪感情だけではなく、今後人類がオーバーロードの支配を受けるのか否かの建設的な議論も含まれるはずだ。そうなれば誰もが────あの気取った審査員たちでさえ────エバの記事の価値を認めざるを得ない。

 次の賞を獲得したら、あの鬱陶しい天然パーマにトロフィーを捩じ込むことを誓いながら、エバはオフィスを後にした。


⭐︎⭐︎⭐︎


 エバが暗い我が家に帰る頃には時計は次の日付を指し示していた。

 玄関近くのスイッチで暗闇を払うと、エバはふらつく足でソファーへと向かい、どさりと体を預けた。

 真っ赤な顔で酒気を吐き、手元のタブレット端末を操作する。

 すると、ソファーの前にあるローテーブル上によく冷えた水のボトルが現れた。

 これはオーバーロードによってもたらされた技術の一つ────物質転送装置である。

 このように彼らは人類では未だ成しえない技術をもたらし、人類を前に進めた。

 噂では近々核融合炉も実用化するそうだ。

 ロボティクス分野にも革命は起きており、生産効率は爆発的に増加、生活必需品の価格はただ同然まで値下がりしている。

 先進国では働くことを辞め、やりたいことや学び直しに時間を注ぎ込む人たち────ダウン・シフターをもじってアップ・シフターと呼ばれている────の数が急増しているらしい。

 人類はかつてないほどの春を享受している。


 気持ち悪い、とエバは思う。


 人間が植物を育てるのはなぜか?果実を得るためだ。

 物事は支払いと獲得で成り立っている。

 どちらか一方が無い関係は破綻している。

 とすると、オーバーロードはなぜ人類を富ませようとしているのか?

 現在はまだ刈り取る段階ではない。それが一番有力な説だろう。

 あるいは、人類が富むというこの状況こそが彼らの利になるということも……。


「なんにせよ、絶対に裏がある」


 エバは視線を壁へと移す。そこには何枚かの写真が額縁に入れられて飾ってあった。

 全て三人の人間が写っている────幼いエバと彼女の両親だ。

 写真は左に行くにつれてエバが成長していっている。写真の端には年数。どうやら年ごとに家族で撮っているもののようだ。しかし、ある年代から写真は無くなっていた。

 

「母さんたちを殺した政治家のように、優しい顔をして裏では私腹をこやしているんだ。

 暴いてやる。絶対に」


 エバは口の端を歪めて笑う。

 ────最初は復讐だった。

 しかし、両親の仇を二度と日の目を拝めないようにした後も、彼女は政治家や企業の役員────世間的に大きな立場を持ち、裏に一物抱えている人間を糾弾する記事を書き続けた。

 彼女はいつしか虜になっていたのだ。自分の立場が絶対的であると確信している人間たちをペン一本で引きずり下ろす快感に。

 今度の獲物は大きい。きっと今までにない快感となるだろう。

 冷たい水を一口あおり、エバはゆっくりと目を閉じた。

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