窓を見ない夜
年始めの仕事に疲弊して、最寄りの高円寺駅に着いたのは二十二時をとうに過ぎた頃。
顔を上げると、同じような人たちがゾロゾロと駅から吐き出されていく。
腹は減っている。
だが、どこかに寄る体力は残っていない。
北風に首をすくめ、中野は自宅へ向かった。
駅前のコンビニを通り、商店街を抜け、交差点に出る。
あれほどいた人間は、もう三分の一ほどしかいない。
交差点を渡り、駅から徒歩十分を超えたあたりで、同じ方向に歩いているのは中野ともう一人だけになった。
遠くで救急車か、消防車、あるいはパトカーのサイレンが鳴っている。
この街では珍しくない。
気に留める者はいない。
中野は「近いな」と口にした。
特に意味はない。
言わないと、どこか落ち着かなかった。
小さい頃からの癖だ。
街灯の間隔が少しずつ開いていく。
暗闇の割合が増える。
同じ方向に歩いていた人物は、いつの間にか消えていた。
民家の閉じられた門の前に、「ご自由にどうぞ」と書かれた段ボールの切れ端。
その横に、鍋やフライパンが並んでいる。
中野は足を止め、それらをじっと見た。
どれも新しく、使用感がない。
持ち主は綺麗好きだったのか。
あるいは、買ったはいいが気に入らなかったのかもしれない。
しゃがんでフライパンを手に取る。
すぐに元に戻した。
民家の中で物音がしたような気がして、その場を離れる。
薄暗い夜道。
音を立てているのは、中野の足音と北風だけだ。
毎日通る道なのに、完全に一人きりだと思うと、少しだけ寂しい。
ブランコとベンチしかない狭い公園には、当然誰もいない。
街灯の明かりも届かず、ひっそりと静まり返っている。
こんな場所でも、昼間は誰かが遊んでいるのだろう。
そう思うと、寂しさが増した。
住宅街の真ん中を流れる川に向かって坂を下る。
途中で、緑色の看板がまぶしく光るコンビニが見えてくる。
二人乗りの原付バイクが駐車場から出てきて、すれ違いざまにエンジンを吹かした。
寄っていく素振りは見せたが、店内には入らない。
家にはカップラーメンがある。
それで足りる。
入り口から店内を覗くと、レジカウンターの中から店員がこちらを見ていた。
まあ、また明日でもいい。
そう思う一方で、明日もきっと素通りするだろうと分かっている。
静まり返った住宅街の中にぽつんとあるコンビニ。
明かりに寄せられる虫のように、人間も集まる場所だ。
しかし、自分だけは違う。
毎日素通りすることで、何の価値もない優越感を得ている。
誰にも気づかれない優越感。
俺だけが感じている。
それが優越感ではない別のものだということに、中野はまだ気づけない。
アパートの階段を上る寸前、後ろを振り返りそうになる。
そのままドアを開け、すぐ横のライトのスイッチを入れた。
正面に窓。
カーテンは閉まっている。
外よりも室内の方が寒く感じられ、着替えるのをためらう。
やかんに水を入れてコンロに置く。
ネクタイを外し、携帯電話でいつもの怪談投稿サイトを開いた。
どれも似たような話ばかり。
出だしを読んだだけで、オチまで分かりそうだ。
ため息をつき、携帯電話をベッドに放る。
コンロの火を止めると、立ち上る湯気を見ただけで腹が鳴った。
カップラーメンの蓋に、テレビのリモコンを乗せる。
自然と手が伸び、さっきまで見ていたサイトをもう一度眺める。
やはり、これといった話はない。
右手でラーメンを食べ、左手で携帯電話を操作する。
気づけば麺はなくなり、スープだけが残っていた。
テレビでは、今どき珍しいUFO特番が終わろうとしている。
発展した都市部で目撃談が多いのは、何か理由があるのだろう。
東京もそれなりに発展しているはずだが、世界に比べると目撃談は少ない。
それにも理由があるのかもしれない。
白衣を着た初老の科学者と、スーツ姿のUFO研究家の言い争いを背景に、番組は締めに入った。
真面目そうなアナウンサーがカメラの前に立つ。
「宇宙にはまだ、我々の知らないことばかりです。
あなたは、知っているつもりになっていませんか?
もし、何かの情報をお持ちの方はこちらまで——」
その途中で、部屋が真っ暗になった。
暖房を使ったのが原因かもしれない。
そう考えながら立ち上がり、玄関のブレーカーを上げる。
戻ってくると、正面の窓のカーテンが少しだけ開いている気がした。
閉め直す。
一瞬、外の景色が見える。
カーテンを握ったまま、ほんの数秒、何かを考えかけて――やめた。
シャワーを浴び、ベッドに潜り込む頃には日付が変わっていた。
携帯電話の明かりに、中野の顔が浮かぶ。
見ているのは、以前読んだ怪談。
アパートの近くに廃墟があり、昼と夜でまるで違って見える。
夜になると、暗闇が一段と強くなる。
窓からその家が見えるせいで、つい見入ってしまう。
誰かがいるわけでも、物音がするわけでもない。
ただ、気になって見てしまう。
何も起こらない、地味な怪談。
同じ話だろう、と中野は思う。
今見ているのは、いつもとは違うサイトだった。
同じ人物が投稿したのか。
それとも、誰かが転載したのか。
細かい内容は覚えていない。
ただ、「コンビニの店員がこちらを見ていた」という一文が引っかかった。
コンビニという言葉は、前に読んだ話にはなかった気がする。
無断転載の罪悪感か、言い逃れのためか。
投稿主がそのくだりを足したのかもしれない。
だが、そんなことを気にしているのは中野だけのようだった。
反応は、ほとんどない。
視界の隅に、カーテンがある。
中野は咳払いをして意識を散らし、寝返りを打って目を閉じた。
あっちのこっち 界春男 @ikuze
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