鬼の手の神官は総溺愛に気付かない

瀬那つくてん(加賀谷イコ)

第1章 鬼の手【1】

 大陸の端に位置するフラール公国は、異能の持ち主が生まれる特殊な国だった。

 異能は様々な種類が存在する。生活に役立つものから、冒険で優位に立てるもの。それと正反対に、人を呪うものや、命に関わるようなものも確認されている。異能が生まれた際、宮廷に申告する義務が生じる。それを怠れば、罰則が与えられることもあった。

 イテルは生まれながらに右腕に「鬼の手」を宿していた。産まれたときから右手にはあざが浮かび上がっている。イテルの異能を知った両親は、イテルを家の奥の部屋に閉じ込めた。浅葱色の髪と真っ赤な瞳を兄姉は恐れ、イテルに近付こうとはしなかった。それでも時折、イテルのもとを訪れた。嫌な顔をしながら。

 イテルは自分の右手がどんな異能なのかを知らない。いつも袖の長い服を着せられ、家族から疎まれていた。部屋の外に出ることは許されず、ただ勉強道具だけは与えられた。だから、イテルはとにかく勉強した。



   *  *  *



 六歳になったある日、部屋の外が騒がしくなった。イテルはいつも通り勉強していた。部屋の外で何が起きていたとしても、イテルには関係なかった。そう思っていたのだが、厳しい顔をした母が部屋を訪れた。

「出て来なさい」

 冷たくそう言い、母はきびすを返す。イテルは教本を閉じ、母のあとを追う。まともに部屋の外から出たのは久しぶりだった。

 母はイテルをサロンに連れて行った。電灯の明るさに細めたイテルの目に、見慣れない人々の姿が映る。歴史書で見たローブに似た白い服の男性が、イテルに優しく微笑みかける。金髪に映える青い瞳が、慈しみを湛えてイテルを見つめた。

「やあ、きみがイテルだね」

 男性は穏やかに言うが、その後ろに控える甲冑の騎士がその雰囲気を打ち消すようで、イテルは思わず怯んでしまった。そんなイテルを安心させるように、金髪の男性は笑みを深め、腰を屈めて視線を合わせる。

「私は宮廷で神官を務めるレイシーだ。突然で申し訳ないが、右手を見せてくれるかな」

 男性――レイシーは、そっと手を差し出す。イテルは素直に従うことができなかった。家族はこの右手のせいでイテルを部屋の奥に閉じ込めた。この右手――鬼の手が良くないものであることは知っていた。そのイテルの意思を無視し、父が乱暴にイテルの右手を引く。レイシーは咎めるように目を細めたあと、優しくイテルの右手に触れた。目を伏せたレイシーは、ふむ、と呟いて顔を上げる。慈愛を湛えた青い瞳が、イテルを安心させるようだった。

「自分でも承知しているだろうけど、きみは異能の持ち主だ。これからきみを宮廷に連れて行く」

 イテルは困惑した。国史の勉強で、このフラール公国が異能の持ち主が生まれる特殊な国であることは知っていた。自分の右手が異能であることも。そのせいで家族が自分を部屋の奥に閉じ込めたことも。フラール公国にとって、宮廷は神聖な場所だ。そんなところに自分が行くこと。それはとても信じられることではなかった。

「本来なら、異能を宮廷に申告しないのは罪となる」

 レイシーはそれまでの優しい笑みを消し、真剣な表情になる。イテルはその義務のことも知っていた。だが、良くない異能だから申告しないのだと思っていた。それだけ、この右手が恐れるものなのだと。

「きみが望むなら、家族への罰則は重くならないよう善処するよ」

 イテルは何も言えなかった。なんと言ったらいいかわからなかった。宮廷が家族に下す罰則がどんなものであるか想像できず、それが重くなれば家族がどうなるか、それがわからなかった。

 それと同時に、イテルは声の発し方を忘れてしまっていた。イテルは奥の部屋に閉じ込められ、まともに声を接することはなかった。家族が嫌そうな顔をしながら部屋を訪れたときも、言葉を交わすことは許されなかった。

 イテルの様子から察したように、レイシーは背筋を伸ばす。その表情は厳しいものに変わり、家族を見る目は冷たかった。

「とにかく、この子は連れて行きます。あなたたちの処遇は宮廷に一任することにします」

 父も母も、何も言えない、といった様子で、レイシーに手を引かれるイテルをただ見ていた。イテルは何もわからないまま、数年ぶりに家の外に出た。だから何もかもが眩しく見えた。目に映るすべてがキラキラと輝いているようで、見たこともない世界がイテルを不安にさせた。イテルのそんな感情を見抜いたように、レイシーはイテルの左手を握る手に優しく力を込める。

「大丈夫。怖いこと何もなどないよ」

 見たことのない景色が広がっている。塀の向こうは喧騒に溢れていて、ずっと静かな部屋で過ごしていたイテルには、少しうるさくも感じられた。門の前には馬車が停められていた。そのそばには軽装の鎧を身に着けた騎士が控えており、イテルはまた怖くなった。レイシーは優しくイテルの手を引き、馬車に乗るよう促す。イテルは最後に屋敷を振り向いた。見送りに出る者はなかった。

 レイシーに誘われるまま馬車に乗り、座席に腰を下ろす。レイシーはイテルの向かいに座った。

「きみは今日から宮廷の神殿で暮らす。これからきみの面倒は私が見るよ」

 イテルには意味が理解できなかった。この右手が異能であることは知っていた。それが良くないものであることも。だから、宮廷に行く理由はわからなかった。だが、あの家から出られたこと、あの家族から離れられたこと。それだけでイテルの心が軽くなるようだった。



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