俺以外の奴が死ぬのはどうでもいいが、俺が死ぬのは絶対に嫌だ
最高司祭アドミニストレータ
# プロローグ
静かなる隊長室
警視庁•本庁舎。
日本の治安を司る、鋼とガラスで出来た巨塔。その一室に、
窓から差し込む初夏の柔らかな光が、塵一つないマホガニーのデスクを照らし出している。壁には趣味の良い抽象画。磨き上げられた革張りの椅子に深く腰掛けた橘は、一見すると、この国の未来を憂う若きエリートそのものだった。
優しげに弧を描くタレ目、少し長めに切りそろえられたサラサラの黒髪、そして何より、父親譲りの整った顔立ち。仕立ての良い制服に身を包んだその姿は警察官というよりは、ファッション雑誌から抜け出してきたモデルのようでもあった。
彼の所属は、警視庁 特殊凶悪犯対策課 第四係。通称『特四』。
新設されたこの部署は従来の捜査一課では対応困難な、規格外の凶悪犯罪に対処するためのスペシャリスト集団とされている。その初代隊長という響きは橘の華麗なるキャリアに、また一つ輝かしい箔をつけるはずだった。
──そう、すべてが順調に、彼の描いた人生設計通りに進むはずだったのだ。今日、この日までは。
橘は、手元の報告書から静かに顔を上げた。その表情は、依然として穏やかな微笑みを湛えている。だが、その完璧な仮面の下で、彼の胃は灼熱の鉄塊を押し込まれたかのように、ギリギリと悲鳴を上げていた。
彼はすっと立ち上がると、無駄のない優雅な動作でデスクの引き出しを開ける。中には、まるで高級な葉巻でも収められているかのように、恭しく鎮座した銀色のピルケース。蓋を開ければ、純白の錠剤が鈍い光を放っている。ドイツの製薬会社が開発したという、超即効性の高級胃薬。もはや、これなしでは一日たりとも正気を保てない。
「…クソっ」
誰にも聞こえないほどの声で、橘は毒づいた。一粒を水なしで嚥下する。ミントの香りが食道を滑り落ちていくが、焼け石に水だ。この胸の痛みは、ストレス性の胃炎などという生易しいものではない。これは、死への恐怖そのものが、内臓を直接苛んでいる証なのだから。
コン、コン。
静寂を破る、控えめなノック音。その音は、橘にとって地獄の開門を告げる鐘の音に等しかった。びくりと、彼の肩がわずかに跳ねる。だが、次の瞬間には彼は完璧な「理想の上司」の仮面を貼り付け、柔らかな声で応じた。
「どうぞ。開いているよ」
ゆっくりとドアが開き、三つの影が隊長室へと滑り込んできた。影は、やがて三人の若く美しい女性の姿をとる。彼女たちこそ、橘が率いる精鋭部隊『特四』の、全隊員だった。
彼女たちの制服は警視庁の正式なものをベースとしつつも、明らかに特別仕様だった。体にフィットする濃紺のブレザー、純白のワイシャツ、そして何より目を引くのが、揃いも揃って膝上20センチはあろうかという、大胆なまでのショートタイトスカート。
(設計した奴、絶対分かってるだろ…! グッジョブ!)
橘のクズな本能が、一瞬だけ喝采を送る。だがその思考は、一秒後には恐怖によって跡形もなく粉砕された。
(いやいやいや! 見とれてる場合か! 魔王の配下の三魔将が、生贄の品定めにやってきた図だぞこれは!)
最初に部屋に入ってきたのは、
艶やかな黒のロングヘアを高い位置でポニーテールにした、クールビューティー。切れ長の涼やかな目元には泣きボクロがあり、その理知的な美貌を一層引き立てている。
彼女は、一分の隙もなく完璧に制服を着こなしていた。ブレザーのボタンはきっちりと留められ、胸元で揺れる深紅のネクタイが彼女の白い肌とのコントラストを際立たせる。
そして、橘の視線は吸い寄せられるように彼女の足元へと向かった。ショートスカートから伸びる、しなやかで完璧な脚線美。それを包むのは、上品な透け感のある黒のストッキング。その艶めかしさは、もはや芸術品の域に達していた。
(エッッッ…! 黒スト! 分かってる! こいつ、分かってる! 俺の好みを完全に理解した上での、完璧なコーディネート…! だが待て、なんで俺の好みを…? まさか昨晩、俺のPCをハッキングして検索履歴を…!?)
恐怖が、下心を瞬時に上回る。麗奈は静かな、しかし獲物を品定めするような視線で、真っ直ぐに橘を見つめていた。
続いて入ってきたのは、
太陽のように明るい茶色のセミロングを快活に揺らし、人懐っこい大きな瞳をきらきらと輝かせている。見るからに天真爛漫なその笑顔は、どんな人間の警戒心をも解いてしまうだろう。
彼女の着こなしは、麗奈とは対照的に、少しラフな印象だった。ブレザーのボタンは開けっ放しで、袖は無造作に捲られている。鮮やかな黄色のネクタイは少し緩められ、ワイシャツの一番上のボタンが外された胸元からは、健康的な鎖骨が覗いていた。
そして何より、そのミニスカートから伸びる引き締まった素足。白いショートソックスとの組み合わせが、彼女の活発さと、溢れんばかりの健康美を強調している。
(眩しい…! 素足が眩しい! 運動部だった女子マネージャーって感じが最高だぜ、グヘヘ…! それにしても、このダイナマイトボディ…! ブレザーの前を開けてるから、胸の豊満さがダイレクトに…! 歩くたびに揺れる二つのマシュマロは、もはや公害レベルだ!)
陽菜は今にも橘に飛びつかんばかりの勢いで、その場に立っていた。その笑顔は、純粋無垢そのもの。だからこそ、その裏に隠された破壊衝動を思うと、橘の胃は更に強く収縮した。
最後に、おずおずと入室してきたのは、
色素の薄いプラチナブロンドの髪が、儚げな光を反射している。透き通るような白い肌と、どこか遠くを見つめるミステリアスな瞳。
彼女は少し大きめに見えるブレザーを、いわゆる「萌え袖」の状態で着こなしていた。その着せられているかのような佇まいが、見る者の庇護欲を強烈に掻き立てる。淡い水色のネクタイが、彼女の儚げな雰囲気に完璧にマッチしていた。
橘の視線は、自然と彼女の足元へと吸い寄せられた。純白のニーハイソックス。そして、ミニスカートとの間に広がる絶対領域。その、僅かに覗く柔らかな素肌の眩しさは、ある種の神々しさすら感じさせた。
(ニーハイ! それに…絶対領域…!! 分かってる、こいつも分かってる! 嗚呼、神はここにいたのか…!! この守ってあげたくなる雰囲気と、計算され尽くした絶対領域のコンボは反則だろ…! …だが待て。こいつの場合、守ろうとしたら「私のためにあなたが傷つくくらいなら」とか言って、自分の心臓を差し出してきかねないぞ…!!)
雪乃は一歩引いた場所から、しかし熱を帯びた視線で静かに橘を見守っていた。
三者三様の美貌。そして、体にフィットするように仕立てられた制服は、若さと健康美を強調するショートスカート仕様。特に彼女たちの胸元は、女性にしかない豊満な二つのマシュマロがその存在を力強く主張しており、男であれば誰もが一度は目を奪われるであろう、圧倒的な魅力を放っていた。
そう、男であれば。
橘もまた、男だった。彼のクズな本能が、一瞬だけ頭をもたげる。
(グヘヘ…今日も眼福、眼福ゥ…! まさにハーレム! 俺ってば勝ち組!)
だがその思考は、一秒後には恐怖によって跡形もなく粉砕された。
(否! それは違う! 忘れたか、俺! 手を出せば最後…殺されるぞ!! この三人は普通じゃあない…異常者だ!! 美女の姿をした化け物なんだ!! そうだ、そうだよ…俺は餌なんだ。だから…ひぇ…こ、殺さないでェェェェ!!!)
そうだ。彼女たちは、見た目だけの存在ではない。どこにでもいるような、ただの可憐な女性ではない。
黒澤麗奈は気配を完全に消し、遥か2キロ先からテロリストの眉間を撃ち抜く超人的なスナイパー。
赤城陽菜は走るトラックを素手で止め、電信柱を引っこ抜いて武器にする、物理法則を超越した怪力の持ち主。
白石雪乃はどんな超複雑な爆弾も数秒で解体し、ありとあらゆる機密にアクセス出来る天才ハッカー。
そして、三人全員が橘圭一に対して、常軌を逸した愛情を抱く──『ヤンデレ』なのである。
橘は目の前の光景を「役得ハーレム」と認識しようとする自分の本能と、「死刑執行を待つ罪人」という客観的事実との間で、精神が引き裂かれそうになるのを感じていたからだ。
「隊長、おはようございます」
口火を切ったのは、麗奈だった。その声は鈴が鳴るように美しいが、橘には死刑宣告に聞こえる。
「昨晩はよくお休みになれましたか? 隊長のマンションの周辺は昨夜も私がパトロールしておきましたので、ご安心ください」
「あ、ああ。おはよう、麗奈。いつもありがとう。君のおかげで、僕も安心して眠れるってもんだ」
橘は、完璧な笑顔で応じた。内心では、血の涙を流しながら絶叫している。
(眠れるかアホーーッ!! お前が毎晩徘徊してるせいで、こっちはカーテンも開けられんわ! あの黒ストッキングで、電柱の影とかに潜んでるのか!? 想像したら興奮…いや、恐怖しかないわ!)
(電柱だったらどんなに良いものか…昨日の深夜、向かいのビルの屋上でキラッと光ったの、絶対お前のライフルのスコープだろ! なんで俺のプライベートが筒抜けなんだよ! これが警察官のやることか!? もうやだァ、この職場!!)
「隊長ーっ! おはようございます!」
次に、陽菜が元気いっぱいに声を上げた。その手には、巨大な三段重ねのランチボックスが抱えられている。
「昨日、報告書でお疲れみたいだったから、スタミナつくように朝ごはん、いっぱい作ってきました! 食べてください!」
「わぁ、凄いね陽菜。これは力が湧いてきそうだ。ふふ、ありがとう。本当に嬉しいよ」
橘は、子犬を愛でるような優しい眼差しを陽菜に向けた。腹の中では、暴風雨が吹き荒れている。
(嬉しいわけあるか!! この弁当箱、どう見ても成人男性三日分のカロリーだろ! これを食べたら、俺の華奢な体が、あのお前のダイナマイトボディみたいになっちまうわ! …いや、それはそれで悪くないか…? いやいやいや!!!)
(あと、このほのかに香る獣臭…まさか、先週の事件現場で逃げ出したとかいうドーベルマンじゃねえだろうな…!!?)
「…隊長」
最後に、雪乃が一歩前に出た。彼女の手には少し小ぶりで可愛らしい、しかし異様な存在感を放つ弁当箱が握られている。
「私の…想い、です。受け取って、ください」
「雪乃…ありがとう。君の気持ち、しかと受け取ったよ」
橘は壊れ物を扱うかのように、その弁当箱を優しく受け取った。内心は既に、ブリザードの真っただ中だ。
(想いが重い! ていうか、この弁当箱の包み、よく見たらニーハイソックスじゃねえか! なんでだよ! しかも、洗いたてで柔軟剤のいい匂いがする! やめろ! そういうところでリアリティ出すな! 怖すぎるだろ!)
(本当にもう想いが重い….物理的にも精神的にも重すぎるわ! なんだこの弁当箱、やけに凝った細工がしてあると思ったら、GPS発信機と盗聴器が仕込まれてやがる! えっ、嘘だろ? しかもこのおかず、全部ハート形! この人参の完璧なハート、どうやって作ったんだよ! カッターか!? メスか!? …ん? って、うわ!!? よく見たら、ご飯の上に髪の毛が一本乗ってる! わざとか? わざとなのか!? お守り的な意味か! やめろ気色悪い!!)
「隊長。そのようなカロリーの塊や出所の知れない呪物など、隊長のお体に障りますわ」
麗奈は陽菜と雪乃の弁当を冷ややかに一瞥した後、すっと桐箱に入った高級そうな二段重を橘のデスクに置く。
「こちらは私が今朝、隊長の昨日の消費カロリーと本日のスケジュールを計算し、完璧な栄養バランスでご用意したものです。どうぞ、お召し上がりください」
(出た! 完璧超人! ていうか、俺の消費カロリーまでなんで知ってんだよ怖い! しかもこの弁当箱、絶対、実家の蔵から持ってきたやつだろ! 重箱の隅をつつくような嫌味も健在だなオイ!)
橘のデスクの上に、三つの「愛情(という名の時限爆弾)」が並べられた。
麗奈のものは、彩りも鮮やかな京料理風の二段重。栄養バランスは完璧だろう。だが、それは橘の嗜好と健康状態を完全に把握した上での、逃げ場のない「管理」の味だ。
陽菜のものは、体育会系男子も音を上げるであろう、肉と炭水化物の塊。力はつくだろうが、常人が食べれば急性胃拡張で病院送りは免れない。「支配」の味がする。
雪乃のものは、一見可憐だが、細部に狂気が宿っている。愛情と執着を煮詰めて固めたような、もはや呪物(カースド・アイテム)。食べれば魂ごと囚われそうな「依存」の味がする。
「「「…」」」
三対六つの美しい瞳が、じっと橘を見つめている。
早く、選べ。
早く、どれか一つを口にしろ。
声なき圧力が隊長室の空気を満たし、酸素を奪っていく。橘の額に、脂汗が滲んだ。
(どうする…どうする俺!? ここで麗奈のを選べば、陽菜が嫉妬でこのデスクを粉砕するだろうし、雪乃は『私の料理は隊長のお口に合いませんでしたか…』とか言って手首を切りかねない! 陽菜のを選べば、麗奈が後で陽菜の私物に細工をするだろうし、雪乃は以下同文! 雪乃のを選べば、他の二人が…ああもうダメだ!! 詰んでる!! 完全に詰んでるじゃないか…!!!)
脳内で高速回転するシミュレーションは、どのルートを選んでもバッドエンドにしかならない。ここはクズな本能に従い「見た目が一番好みの麗奈のを…」と一瞬考えたが、即座にその考えを打ち消す。
(ダメだ! 生き残ることを最優先だ…どうする…どうする俺!? ここで誰か一人を選べば、嫉妬の炎がこの部屋を焼き尽くす! かといって、断れば、俺の命が焼き尽くされる!)
胃の痛みが、再び最大値を記録した。
だが、その時。絶体絶命の窮地で、橘の脳内に天啓が閃いた。それは、苦境を生き延びるために彼が編み出した、苦肉のサバイバル術だった。
「──ありがとう、皆」
橘は聖母のような慈愛に満ちた笑みを浮かべ、三人の部下を見渡した。
「君たちの気持ちがね、本当に、本当に嬉しいよ。こんなに心のこもったものを前にして、どれか一つだけを選ぶなんて…僕には出来そうにない」
彼の言葉に三人の女性の瞳が、期待に潤む。
「だから…提案があるんだ。三つとも、少しずついただいてもいいかな? そして、もしよければ…皆で一緒に、ここで食べないか? 皆の顔を見ながら食べる朝食は、きっと最高に美味しいと思うんだ」
完璧な解答だった。
「「「はいっ、隊長(♡)!!」」」
三人の声が、美しいハーモニーとなって重なった。その光景を笑顔で見守りながら、橘の内心は新たな絶望の淵に沈んでいた。
(ああああああ! 俺のバカーーーッ!! 最悪の選択肢を選んじまった! 三種類の毒物を! しかも彼女たち本人の監視下で! 同時に摂取する羽目になった! 逃げ場が、完全に、消えた…!!!)
警視庁本庁舎、特殊凶悪犯対策課 第四係、隊長室。
今日もまた、一人の男の、誰にも知られてはならない死闘の幕が上がる。
橘は、これから始まる地獄の朝食会を前に、そっと天を仰いだ。デスクの引き出しに入っている胃薬のストックは、あと何日もつだろうか。
彼の戦いは、まだ始まったばかりである。
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