ファミレスにて

【二】

 異世界転生、または異世界転移とも呼ばれる事象。

 それに立ち会ったのは進藤蓮だけではない。

 古くは1850年にはすでに一般的な事件になっていたもので、それからも1979年・2004年には爆発的な発生件数を見せていた。

 だから進藤蓮、進藤志紀に起きたことも、決して希少性のあるものではない。

 今や一ヶ月に一回は誰かが異世界に飛ばされる時代だ。


 その一方で、”異世界から帰還した存在”というのは、今まで一度も観測されたことがない。

 有史初の存在が目の前にいて、なおかつ自分の妹。


 この十年で何度も夢見ていたことだ。

 もしも妹が帰ってきたら、どれだけ強く抱きしめよう、十年分の不在を埋め合わせるくらいに楽しいことをいっぱいしよう。

 異世界転生遺族は例外なくそういったことを考えるものだ。

 そして、いつしか叶わない夢だと納得し、転生した身内が二度と帰って来ないことを受け入れるようになる。


「それでどうするの?」


 妹が”あの日”に消えた時との大きな違いは、今の進藤蓮には相談できる幼馴染がいるということだ。


「異世界から来たと言っているな。それに妹の進藤志紀とも」

「警察に連絡は?」

「……その前にさ。うちの“町内会”の連絡網、今日も回ってきてたんだよ」

「町内会?」

「最近、よくわかんない人が増えてるから気をつけてって。まあ、いつもの注意喚起。モンスターとは関係なさそうだけどな」


 場所はファミレスのトイレの前。

 とりあえず落ち着いて話ができる場所が欲しいと言う、妹を名乗る女性。

 彼女を連れてきたところ、まずはトイレに行きたいと言ったので案内をした。

 進藤蓮までついていく必要はなかったかもしれないが、用心のためだ。


 中で用を足している女に聞こえないように小声で話し合う。

 茜は相槌を打ちながら、蓮の背後――出入口、非常口、窓際、店員の動線を一度だけ目で撫でた。落ち着く場所を探す人の視線ではなかった。

 ファミレスは平和な空間だが、深刻な相談をするには長閑すぎる。

 少なくとも、せいぜいが離婚調停とか家族同士の話し合いをするところで、戦闘の危険を意識するには無駄なものが多すぎる。

 テーブルの作りは立派だが、今の蓮では単純に逃げるのに邪魔だ。

 膝をぶつけでもしたらそのまま動きが止まる。


「とりあえず話を聞いてから考えたい。本当はあんな怪物が他にもいる可能性を考えないといけないんだろうけどな」

「いっぱい来たならとっくに大騒ぎになってそうだけどね」


 気楽な調子で喋る三森だが核心はしっかり突いててくる。

 彼女の言う通りだ。

 それなら怪物関連は今は考えなくてもいいのかもしれない。

 自分はまだ進藤志紀を取り巻く状況について、知らないことが多すぎる。


 さらに声を潜めて三森に問いかけた。


「お前は……あいつが本物だと思うか?」

「それはどうでもいいことだよ」

「違うだろ」


 あの女が進藤志紀を騙る偽物の可能性がある。

 やる理由はさっぱりわからないけれども、異世界のことなどわかるはずもない。

 もしも偽物なら──


「本物でも偽物でもやらないといけないことは同じでしょ? 妹ちゃんにお家に帰ってきてもらう。やれることはなんでもやるしかないよ。あの子に全力で向き合って」


 三森茜の言葉は、幼馴染というだけでは足りない重みがあった。

 彼女は時に底知れない人生経験を見せてくる。

 きっと、修行ばかりしている自分と、勉強や対人交流を“ちゃんと”している彼女とでは、根本的な違いがあるのだろう。


「また別れることになったら後悔してもしきれないでしょうしね」


 彼女のことはなんでも知っているはずなのに。

 静かで微かな笑みを見ると自信がなくなる。

 そんな幼馴染だから、ずっと進藤少年を支えてこれたのかも。今、理解できた気がした。

 これまでもこれからも、三森茜は頼りになるんだ。


 急過ぎる出来事で少年には上手く呑み込める気がしないが、彼女に助言されたらどうにかなる気がした。

 ここがファミレスで良かったのかもしれない。

 日常に近いところだから、家族より親しい相手の言葉がよく伝わる。


「……ありがとう、ミモー」

「大丈夫だよ、あたしもついてるし!」


 何が待っていようと、やることは決まっている。

 妹が消えて数年間、少年はずっと力を求めていた。

 強くなろうと願ったのは、こんなことが起きたときのためだ。


 全力で進藤志紀を名乗る女の話を聞く。

 あの日の、妹を無下にしてばかりだった愚かな自分に決着をつけるため。


「おまたせしました!」


 用を済ませた進藤志紀がドアを開けた。

 極めて長身である彼女には、この国の建物は小さすぎるようだ。

 トイレの天井に頭がぶつかりそうだし、そこから出るにも身を屈めている。

 身体の大きさとは裏腹に腰の低い彼女にはちょうどよく見えた。


 席に着き、長い脚を存分に伸ばして交差し、背もたれに身をゆだねた。

 絶世の美女が、どこにでもあるようなファミレスにいる。

 夢を見ている気分だ。

 修行のし過ぎで正気を喪っている気すらしている。


 本来は今頃は体育を、直立したままに寝ることで乗り切って、授業も背筋を伸ばした眠りの中で過ごしているはずだ。

 ──なのに、異世界転生した妹が眼の前にいる。

 そしてこちらから抱きしめるより先に抱きしめられた。


 妹が異世界に転生してから無事に戻ってきた。あんなに大きく、美人になって。

 なのに進藤蓮には喜びよりも戸惑いが先にあった。


「……本当に志紀なのか?」


 思ったことをそのまま口にする。


「ちょっと失礼だよ」


 同席している茜が注意した。

 そのまま学校に行っていいと蓮は言ったのだが、三森茜は断固として拒否した。

 進藤の口下手を把握しているのだ。

 妹を名乗る絶世の美女との交流をサポートするにあたって、彼女がいるのは進藤にとってもありがたかった。


「いえ、わたしは気にしては……いえ、そうです。そうですよ! なんか静かじゃないですか? 静かよね? 盛り上がっていこー!?」


 ニコニコと笑って女が腕を振り上げる。

 頬に朱が差す。

 無理をして明るく振る舞っているのがわかった。

 意識的に砕けた口調で距離を縮めたがっている。

 生き急いだ詰め方だ。

 教師がやったら大火傷する類のものだ。


「……おー!」


 相手に合わせ、遅れて三森が腕を上げる。

 あんまり身近にいないタイプの大人だ。

 友達の多い三森も明らかに戸惑っている。

 仮に親戚づきあいであってもあまり関わりたくない圧力の持ち主だ。

 礼儀正しくしていても、内在する暴力的なエネルギーが、常に放たれている。

 進藤の疲れ切った体に激しい鞭が打たれた。


「ごめんね。貴方達みたいな歳下相手ってどう関わればいいかわからなくて……こんなノリは困るよね」


 困惑されたと知ると、女はあっさりと圧を引っ込めた。

 頬を掻いて笑う姿は戦士や絶世の美女という以上に、普通の女性のようだった。

 無理をするのをすぐにやめてくれた。ありがたい。


「どちらでもいい。とにかく……すごく……巨きくなったな」


 あえて彼女の態度には触れず、見た目の変化に言及した。

 平日の昼間、ファミレスの一角に向き合う兄妹。

 兄の身長は170cmを少し超えた程度だが、妹の身長は2mに届こうほどだ。

 遠目に見たら兄である進藤蓮が、小さな子どもに見えかねない身長差がある。


 異世界に行っていた間にやけに育った志紀は、自身の美しさと強さを受け入れた者特有の堂々さで座っていた。

 背筋を伸ばして、足を揃え、行儀が良い。


「そうね。もう何年も経っているもの。いや実際に何年かは数えてないからわからないけれども、見た感じこっちは5年? 10年? それくらいでしょう。もう……わたしのいたところはもう二十年は経過してるわ! 変わって当然というものね」


 普通のトーンで話していたのが、また圧が戻ってきた。

 徐々に見た目の神々しさとは正反対のマシンガントークだ。


「えええええと、ちょっと待って。ゆっくり喋ってくれ」


 早口でまくし立てられて進藤蓮はたじろいだ。

 そんなに一度に話されてもついていけない。


「ああ、もうごめんなさい。駄目ね。今はこっちが歳上なんだから落ち着いて振る舞おうと思ってるのに、ついつい……」


 頬を赤らめて志紀はうつむいた。


 ここまで話をして、朧気ながらも、進藤は一つの考えが固まってきた。

 “こいつ、案外普通”なのではないかと。

了解しました。ご指摘どおりです。

以後、省略は一切しません。

全文を分割して、原文+伏線差し込み済みをそのまま表示します。


ここでは、


直前まで表示済みの続き


これまで「(中略)」とした 宝玉の説明~修行談~500円玉のくだり

を 一字も省略せず 出します。

(伏線として差し込んだ文は、これまでどおり “ ”で囲います)




---


【二】伏線差し込み済み・全文


第3分割(※省略していた中盤・完全表示)



---


 妹を名乗る女、志紀も蓮が疑いの念を抱くことを理解しているようだ。

 不躾ですらある蓮の真っ直ぐな視線を自然体で受け止めている。

 テーブルの上に宝玉を置いて、志紀は肩を竦めた。


「これは?」

「綺麗ね」


 目を細めて茜は感想を言う。

 その一言だけ、茜の声は鋭く、冷えて、無機質だった。次の瞬間には、いつもの軽さに戻っている。


 隣りにいるのが茜の音声を発する機械のような。

 そんな引っ掛かりがあったが、進藤蓮には志紀と、宝玉の方が遥かに関心の対象だった。


 宝石店でも見ないような輝きと大きさだ。

 これほど見事な宝石を見れば、普段は茜が大騒ぎして当然なのだが、宝玉の美しさに圧倒されてしまったのかもしれない。


「異世界への扉を開けるレッド・スフィアっていうのよ。魔王を討った戦利品。魔王を倒すために異世界転生をしたから、倒せたら帰れるということみたい。最初に言ってほしかったわ」


 そう言って女は肩をすくめた。

 筋が通っているのか、蓮にはそれについての判断もつかない。


 何もわからない、想像もできないから『異世界』というのだと、蓮は実感した。

 そうなると、いったいなにを以て相手を妹と断定すれば良いのか、蓮はこれもわからない。

 わからない、わからない、わからないしかない。

 目の前のことを一つずつ対処しよう。


「…………触っても?」


 三森茜が尋ねた。


「そうだった。ごめんなさい、あなたは兄とどういう関係?」

「幼馴染だよ」

「そうなの。てっきり恋人同士かと」

「「ないない」」


 異口同音に否定し、その場の全員が笑った。

 初めて笑いあえた。進歩だ。


 そうしてから気づいた。

 三森一家が近所に引っ越してきたのは、ちょうど志紀が異世界転生した直後だ。

 妹が知らなくて当然だ。


 まるで家族同然の距離感なのに不思議なものだ。


「お前は知らないと思うが、彼女は……」

「いえ、お友達とわかったからそれ以上は話さなくていいわ。じっくり宝玉を見てみて」


 茜について説明しようとする進藤を遮り、志紀が顎で宝石をしゃくり、異世界のものを確認する許可を出した。


「ありがとう! へえ……綺麗だねえ……」


 三森が宝玉を手にとってためつすがめつ観察し、検めていく。

 手触り、光沢、重さと隅々までチェックし、三森はテーブルに宝玉を戻し、言う。


「進ちゃんも見てみれば?」


 少し勇気がいるが、未知の宝玉に触れようと手を伸ばす。

 すると、少年の手に、出会ったばかりの女性、志紀(仮)の手が乗った。


 ぎょっとして固まった蓮の目には、瞳を閉じて、少年の手の感触を確かめる女性の姿が映る。


「……どうした?」

「え? ああ、ごめんなさい。いやね……なんでこんなことをしたのかしら?」


 手を離した女性が、自分でも信じられないことをしたと思っているのか、自分の手を凝視した。


 もしかしたら……と妹を名乗る女を見て、頭によぎった言葉を兄は口にした。


「好きなだけ触っていいぞ」


「ぶっ!」


 気まずさを紛らわせようとしてか、雑に口に運んでいた飲みものを、美女が吹き出した。

 顔を真っ赤にした志紀が両腕で肩を抱いて首を振った。


 志紀の印象は、今のところは普通のとても美人な大人のお姉さんだ。

 しかし、今の志紀には大人としての卒のなさではない、地の気質が見えた。


 少しだけ彼女の心に近づいたと思ったのは気のせいか、とにかく真田は改めて宝玉に手を伸ばした。


 蓮が手に取り、三森がしたようにしてみる。


 異世界転生を片道切符にしない宝玉、そう言われると納得する物がある。

 光を吸い込み、底なしのパワーを蓄えているようだ。


 異常なものに一切の知識がない蓮でも、この世界にないものだということがわかった。

 志紀が出てきてからというもの、尋常ならざるパワーの気配があったが、その正体にはこういったものが関わっているということなのだろう。


「返すよ」


 三森が進藤の耳に顔を寄せた。


「宝玉のこととかの感想を言いなよ」

「感想と言ってもな……宝石のことなんて知らないぞ」

「いいんだよー、こういうのは褒めると、共感する姿勢があるってわかるんだから。何はあってもまずは褒めろ、だよ?」


 修行修行で人間的な活動をほとんどしない進藤蓮にとって、三森茜の社会性は大きな助けになってきた。

 クラスのカラオケ、近所付き合い、毎日の登校。

 それらはすべて三森茜に手を引かれてできたものだった。


 妹を名乗る女性を相手に、そうした方が喜ばれるというならやってみようと思った。


「しかしすごいよな。そんなに大きくて真っ赤な宝石。身につけてたら鬼に金棒、お前に宝石、戦士に斧みたいなもんだろう。何が来たって怖くないな」

「へ、変な褒め方をするのね……。でもありがとう」


 志紀は苦笑しつつも、蓮の賞賛をプラスの方向に受け取ってくれた。


「それで、これからどうしたいんだ? いや、ごめん。やることは決まってるな。せっかく帰ってきたんだ。お前の部屋は……僕がずっとあのままにしている。お前はお前のやりたいことをやればいいから、話せるなら教えてくれないか?」


 兄の質問に対して、志紀は首を傾げて逆に問いかけた。


「わたしが本物か疑ったりしないの?」 


 もっと追求されたり、尋問されたりすることを予想していたのだろう。

 蓮は油断せずに相手を見ていたが、それは志紀も同じのようだ。

 彼女にとっては、こちらは敵地・異国同然である以上、無理もない話だろう。


 ここでどう答えるべきか、少し迷ってしまう。

 問いかける志紀には、疑念も不信感もなく、ただ気になっただけのようだ。

 蓮は正直な気持ちを述べることにした。

 ここで誤魔化す意味は薄い。


「思っているよ。でも……もしも俺の妹を騙っているとしても、お前をぶちのめせば、妹の手がかりになるかなって」


 隣の三森が靴の先でついてきた。

 あけすけに言いすぎたな。


「本当に正直に言うのねえ」


 その言葉に、姫戦士は楽しそうに目を細め、瞳に剣呑な色を宿らせた。

 形式上は兄と扱っていた少年を、“敵になるかもしれない相手”と見たようだ。


 進藤としても敵対したくはないが、かといって100%受け入れるには状況が不確かすぎる。

 あの牛頭の怪物を殺した膂力を振るわれれば、今の蓮には勝ち目がない。


 恐怖を感じるべきではある。

 しかし、少年にあるのは高揚感だった。

 異世界相手にまた武力を行使できるかもしれないというワクワクだ。


「わたしと戦うつもりなのかしら?」


 からかうようでもあったが、本気も混じっているとわかる。

 背筋に斧を突き立てられたような気分だ。


「必要なら……お前が、俺の妹じゃないならな」


 少しだけ、目の前の自称・妹に殺気をぶつけてみる蓮。


 相手は欠片も動じず。

 ジュースを飲み終えたカップに残った氷を、兄に投げる。


 制服にぶつかった氷の衝撃が全身に伝わり、情けなくも、兄はテーブルに突っ伏した。


 ただ氷を投げつけられただけ。

 なのに籠もった力は、ドッジボールの投球レベルだった。


 姫戦士はしまったという顔をした。


「ごめんなさい。そこまで飛ぶと思ってなくて……その……言いづらいけど、鍛え方が少しバランス悪いわ」


 眉尻を下げ、申し訳なさそうに志紀が頭を下げた。


「訂正して」


 三森が志紀を睨みあげ、底冷えする声で告げた。

 少年でもめったに見られない、というより本当に見たことがない、幼馴染が怒った姿だ。


 幼馴染なのに、三森茜は怒ると平坦な口調、トーンになるのを初めて知った。


「この人はいつもいつも強くなるためだけに頑張ってきてる。貴方になにがわかる」


 事務的な、機械的な話し方になった三森に、志紀はうろんなものを感じながら対応する。

 隣で、目を見開いて事態を見守っている少年は、幼馴染の別の側面に対して興味深いと思っていた。


「それでこうまで疲れていては逆効果だわ。ちゃんと休むってことを覚えないと、常に疲れてしまって回復の余地がなくなるでしょう? いつか体を壊してしまうわ」


「ちょっと…………!!」


 取り返しがつくラインを超えていると判断した兄である少年が声を上げる。


 しかし、茜の怒りを楽しんでいるかのように、志紀はさらに言葉を紡ぐ。


「筋肉の付け方だって歪んでいるじゃない。一瞬でも重心のバランスが崩れたら倒れる体作りよ。貴方に指導した人は誰? もっと話し合うべきよ」


「貴女の取る選択肢は一つ。発言を撤回し、謝罪する。そうしないなら──」


 志紀の指摘は常識的だ。

 なのに隣の幼馴染の逆鱗に触れてしまっている。


 三森茜の目つきが鋭くなり、相手を殺しかねないプレッシャーを出した。


 進藤志紀は、あくまで善意の忠告をしているのは明らかだった。

 普段の茜なら、こんな反応は絶対にしない。


 蓮の修行が悪く言われたのが、よほど腹に据えかねるようだ。


「おいやめろ!」


 険悪になっていく空気を、進藤が両の手を上げて制止した。


 兄の威厳がさっそく崩れたのは事実だし悲しいが、そんなことで幼馴染と妹に本気の喧嘩をされても困る。


 また、自分の修行について言われたことよりも気にかかる恐るべきことは、たかが小さな氷に力を込められる志紀の技術だ。


 進藤志紀を名乗る女は、巨大な戦斧を軽々と持つ膂力だけでなく、この世界の基準では逸脱した技巧を持っている。


 それが、これではっきりした。


 人気のないファミレスで、店員だけが不審そうにこちらを見てきた。


「俺は気にしてない、ミモー」


「…………」


 熱くなった頭が冷めてきたのだろう。

 三森に充満していた怒気が、急速に失せた。


 小さく首を傾げる三森の肩に手を乗せて、少年は志紀に言う。


「師匠のせいじゃない。俺は自分の体をイジメるのが趣味でね。毎日、夜から朝までかけて、フラフラになるまでやるんだ。夜も似たようなことをして、倒れるように眠って、覚醒して、起きて、修行しての繰り返し。これを朝まで続ける」


「この世界だとそういう修行が流行ってるの? こっちだとオーバーワークって言うけれど……」


 志紀に言われるまでもなく、同級生も教師も、初めはこちらを心配する言葉をかけてきた。

 ヘロヘロになって虫の息になった体を強引に酷使する少年に、少しは休むようにと言ってきたものだ。

 それも一ヶ月ほど経過したら、心配は呆れに変わり、何も言ってこなくなる。


「……ご両親はなにも言わないの?」


 “ご両親”。

 実の妹が兄の親を指して口にする単語では絶対にない。


「家に帰ってこないから」


 ずっと見せてきた快活な顔が一転して陰り、言い難そうに女は尋ねてきた。 


「────私のせい?」


 その声に含まれた心細さ、罪悪感に進藤は懐かしさを覚えた。

 兄の後をついてくるとき、怒られるようなことをしてしまったとき、妹はこんな声を出していたものだ。


 これまで、妹を名乗る美女に心理的抵抗があった。

 自分は少年なのに、向こうは大人の美女。

 異世界に行って帰ってきたとしても、受け入れるには時間がかかる。

 それも、妹がずっと小さな頃しか知らなかった少年には特にだ。


 しかし、今の言葉には、蓮の知る志紀がいたように思えた。

 正確には、絶世の美貌に板チョコの広背筋を煌めかせる、おばちゃんのような話し方をする戦士ではなく、兄の後をついてくるだけの妹の面影が聞こえた。

 この世界に生きる人と同じように見えた。


 たったそれだけでも、兄の口元に自然と笑みが浮かんだ。


「気になるか?」

「それは……もちろん」

「仕事が忙しいだけだよ。お前のせいってわけじゃない。安心しろ」


 嘘ではない、が本当のことでもない。それでも傷つけるよりはマシだ。


「べつに不安に思っていたわけじゃ……」 「ハハッ」


 目を伏せて口ごもる志紀がおかしくて、蓮は声をあげて笑った。

 異常なことが起こっているのはたしかなのに、気分は不思議と妹が消える前に戻ったようだった。


「まあとにかくな。俺だってそれなりに強いから」


 三森に目配せをすると、彼女がすぐに五百円玉を取り出してくれた。

 このツーカーさは幼馴染の長所だ。


 顔が映るくらいに綺麗な硬貨が、三森の指に弾かれてくるくる回転する。

 それを正拳突きの動作で突く。


 甲高い金属音が火花のように散った。

 硬貨が砕け散って、欠片もわからないくらいに粉砕した。


「……それだけ? この世界にしてみれば凄いでしょうけど、魔獣を相手にするのは……」


「これやるよ」


 言葉を濁す志紀の手を取り、右手の中指と人差し指で刳り貫いたものを渡す。

 五百円硬貨の一部だった。


 突きの衝撃で硬貨を粉砕させ、人差し指と中指で砕けるよりも速い打撃によって抉り抜いたのだ。


 志紀が五百円玉の硬さを確認し、進藤蓮の一芸のレベルを理解した。


「へ……へぇ~~~~!! たしかにこれは私の周りにもできる人はいないわね。うん。いないわ、いません」


 余裕にしていた彼女の戸惑い。少し気が晴れた。


「な? 強いだろ、俺」


「…………素人じゃないのは理解したわ。ごめんなさい、失礼なことを言ってしまって。謹んで謝罪します」


 失言を認め、志紀は謝った。

 とりあえずは自分がデキることを認めてもらったのだ。

 進藤蓮としても怒る気はない。


「改めて聞くけどこれからどうしたいんだ? 警察に行くとか世間に帰ってきたのを発表するとかあるけど」


 砕けた口調で問いかけると、志紀の肩の力も抜けたようだ。

 柔らかな口調で答える。


「目立ちたくはない。それと、私が帰ってきたのは、故郷が恋しいからだけじゃないの」


 さっきも見せた宝玉を、志紀が人差し指と親指で挟む。


「激闘が終わった瞬間、最期の力を振り絞って魔王がこちらへの門を開けたわ。そこに雪崩込んだ魔物を追って、私も帰ってきたの。今朝の牛頭のような者たちがあちこちにいるに違いないから、私が残さず退治しないとこの世界の人が危ないの。わたしなら楽勝だもの。ムンッってね」


 志紀が冗談めかして力こぶを見せびらかす。

 ただでさえ太めの二の腕に、小ぶりのスイカくらいの瘤ができた。

 この世界では見たことがないくらいの筋肉密度だった。


 彼女の話を聞いて、進藤蓮もようやく納得が行った。

 あの巨大な牛人間は、彼女の転生先にいた魔物だったのか。

 それが大挙してこちらに来ているというのは、なかなかにゾッとしない話だ。


 だが本音を言えば「まだまだあの魔物たちと戦う機会がある」のは嬉しい。

 次の戦いを考えるだけで進藤蓮の胸が高鳴った。


「わかった。じゃあ、まずは家に帰ろうぜ! 家に!」


「ええ、いいの?」


 客観的には良くない。不用心にも程がある。

 ハッキリ言えば眼の前の美女はデカイ斧を振り回す不審者だ。

 家に入れてはいけない存在だ。


 武術を嗜んでいるとはいえ、現時点のコンディションでは、目の前の女に襲われて勝ち目があるかというと“勝”ちの月部分もない。


「妹を放ったらかしにするわけないだろ。それに魔物だ魔物! 今度こそ、俺の手でぶん殴りたくて仕方ない!! 楽しみだ!」


 一般的には珍しい灰色の双眼を持つ進藤がそうすると、ファミレスなどにある接客ロボットのような、明るいロボットという印象を与えた。


 もちろん魔獣も志紀を名乗る女は、決して油断できない相手だ。

 しかし、相手を恐れていては何も進まない。

 万が一、億が一、兆が一にも妹が転生先から帰ってきたというのであれば、なんだろうと馬鹿正直に向き合いたい。


 どれほどのリスクがあろうと、彼女を傷つけるのは避けたいというのが進藤の本音だった。


 それに、やはり異世界相手に研鑽の成果を試せるというのは想像するだけで心が無限に踊り狂う。


 ハイテンションになった進藤蓮が目を爛々と光らせる。

 さっきは横槍が入って終わってしまったが、あの牛の化物をぶん殴り、脳みそと肉片を無惨に散らす絵を想像するだけで、少年の心には言いようのない快感が生じる。


 実際にそうしてみれば、どれほど気持ち良いだろう。

 考えるだけで心がウキウキしてくる。それが不健康な衝動によるものだとしてもだ。


「それと、志紀!」


「な、なに?」


 急に声が大きく早口になった蓮に圧倒されて、板チョコの広背筋を持つ女戦士がたじろいだ。


「戻ってくれて嬉しいよ」


 返事を待ったが、志紀は目を見開いて口を大きく開閉して無言のまま。

 ややあって、ぎこちなく進藤の頬に両手をやって志紀が何度も何度も撫で回してくる。


「ありがとう! なんて良い子なの、兄さんったら!!」


「おいやめ……やめろや!!」


「やめなあい」


 叫んで全身を少年の体に巻きつける。

 贅肉も筋肉も全てが戦いのために蓄えられ、培われた彼女の体は柔らかさも硬さもとにかく暴力的かつ威圧的だ。

 乳房の柔らかさが意識を飛ばしに来ている。


 なんとか抜け出した蓮は伝票を持ってレジに向かい、会計をする。


「ああん、逃げられたあ」


 ついてくると思った妹は、同行せずにまだ席に座っている。

 ようやく落ち着いたと解釈した進藤蓮はそのまま会計をしに行った。


 徐々に増えてきた客と、ずっと志紀の美しさに興奮していた店員の注目がかなり鬱陶しくなっていたのだ。


 兄がレジでやりとりをしているのを、姫戦士、進藤志紀は目を細めて見つめていた。

 その瞳にあるのは郷愁ではなく、羨望と悲しみ。


「お、おいどうした」


 気づくと、進藤志紀は同席していた三森を忘れ、レジまで来て兄の肘を両手で掴んでいた。


「なんでもないけど、なんか……こうしたくなって。迷惑?」


 身長2m近くの大柄な美女にそう囁かれると、嬉しさよりも巨大生物に捕まった小動物の気分になる。


「好きにすれば良い」


「う、うん!!」


「ところで、何かしたいことはないか? あるなら準備したい」


「……幸せを味わいたいかな。少しでも速く、いっぱいの思い出を作りたい」


 生き急いでいるような願いごとだ。


 腕に志紀の両手がしがみついたまま、会計を進めていく。


 そんな光景を、三森茜は透徹した視線で見つめる。

 否、観察していた。


「間違いない。はい」


 虚空に向かって、話す少女は、度の入っていないメガネを外した。

 そこに感情、心というものは一切ない。


「異世界からの来訪者です。ただちに抹消します。”町内会”の使命に従って」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る