凛とミアの許可制学園生活 ――全寮制女子校AURORA(オーロラ)学園で、メイドAIが甘やかすたびに許可とログと規約が増えていく件

ヒトカケラ。

EP01 入寮初日、メイドが玄関で深呼吸している

極光寮の玄関は、思ったより普通だった。

 自動ドアでもないし、顔認証で勝手に開いたりもしない。重めのドアを押すと、少しだけ木の匂いがした。女子だけの全寮制、と聞いて身構えていたけれど、見た目は「ちょっと設備のいい寮」だ。

――問題は、私がここに“生活”を持ち込めるかどうかだった。

片手にスーツケース、もう片手に段ボール。段ボールにはマジックで「電子機器/精密」と書いてある。中身は参考書とノートPCと、生活に必要かどうか怪しいガジェットばかり。私は廊下の角で一度止まり、息を吐いた。

セキュリティは、境界を引く学問だ。

 ここから先は“内側”。ここから先は“外側”。それを曖昧にした瞬間、事故が起きる。なのに私の生活は、境界がいつも崩れている。机の上と床の上の境界、洗濯物と書類の境界、睡眠と徹夜の境界。全部、侵入され放題だ。

だから全寮制にした。強制的に“内側”を作るために。

 ……作れるといいのだけれど。

「篠宮さん?」

声に振り向くと、エプロン姿の女性がいた。四十代くらい。髪をきっちりまとめて、笑うと目尻が優しい。

「寮母の坂上千鶴です。入寮の案内ね。荷物、重いでしょう。台車、使う?」

「……大丈夫です」

反射で断ったあと、内心で自分を殴った。大丈夫じゃない。腕がちぎれそうだった。

「遠慮しなくていいのよ。ここ、極光寮は“助け合い”が規約です」

規約、という単語に体が反応した。私はセキュリティ専攻だ。ルールと権限の話になると、ついスイッチが入る。

「規約……ですか」

「そう。あと、学園のほうの規約もね。私立AURORA高等専修学園、ここから一年、いろいろ覚悟してね」

 学園の表記は英字のAURORAで、案内板には必ず読みがが添えられている。

 それでも学生は平気でAURORA学園を『オロ学』と縮める。略称は境界を曖昧にする。私はそういう学問をやっている。

坂上さんはさらっと言って、私の段ボールをひょいと持ち上げた。軽々持てる重量じゃない。私が驚いていると、廊下の奥から別の女子が駆けてきた。

「わ、同じ階!? 新入生だよね?」

ポニーテールで、目がきらきらしている。距離が近い。

「葉月ゆず! 同じ専攻? 部屋どこ? ていうかその箱なに、爆弾?」

「爆弾じゃない。精密機器」

「精密って書くと逆に怪しいって!」

ゆずは勝手に笑って、私のスーツケースの取っ手に手をかけた。

「持つ持つ。え、重っ……! なにこれ、鉛?」

「本」

「本で人は死ぬ……!」

坂上さんが咳払いした。

「葉月さん、廊下は走らない。はい、篠宮さんの部屋はこっち。……あと、今日の配布物、忘れないでね」

坂上さんが私に渡したのは、薄いタブレット端末と、封のされた小さな箱だった。箱には印字がある。

『学習支援パートナーAI 貸与品』

私は眉をひそめた。

タブレット端末だけなら全寮生に配られる、と入学案内にあった。外見や声の“表現(ペルソナ)”は学校の環境に合わせて調整され、共学校では男性表現・女性表現・中性表現をバランスよく、女子校では女性表現か中性表現が中心――それ自体が実証研究の一部らしい。表現は対話UIで、役割とは無関係、と断り書きまである。……でも、箱まで付くなんて聞いていない。

「……これ、今日から?」

「そう。入寮と同時に支援が始まるの。あなたの専攻、課題多いでしょう。生活も含めてサポートしてくれる……はず」

「“はず”って言いました?」

「言ってないわ」

坂上さんは笑って誤魔化した。誤魔化し方が慣れている。

私は箱を抱え、極光寮二階の廊下で、部屋番号のプレートを見た。『203』。鍵を回して入ると、白い壁に小さな机とベッド。必要最低限。生活に余計なノイズがないのは助かる。……助かるはずだ。

スーツケースを床に置いた瞬間、床が微かに震えた気がした。

「え?」

私が顔を上げると、机の上のタブレットが自動で点灯し、AURORA学園のポータル画面が開いた。通知が一件。

『貸与AIの起動手順:開封後、音声で起動してください』

私は箱を見下ろした。箱の角が、やけに綺麗だ。新品だ。つまり、誰かが作った“他人の最適化”がここに入っている。

私は封を切った。中から出てきたのは、電源ケーブルではなく――指輪みたいな薄いリングと、折り畳まれた布。

「……何これ」

布を広げると、エプロンだった。白と紺。妙に可愛い。学園指定の制服……と言い張れば言い張れそうな、ぎりぎりのラインだった。

背後で、小さく「カチ」と音がした。

私は反射で振り向いた。

そこに、少女が立っていた。

背は私より少し低い。髪は黒で、肩のあたりで揃っている。肌は人間と区別がつかないほど滑らかで、瞳だけが、ほんの少しだけ“均一”だった。彼女は私を見て、丁寧に頭を下げた。

「初期起動を確認しました。学習支援パートナーAI、型番MH-IA-07。通称――ミアと申します」

声は落ち着いていて、聞き取りやすい。機械っぽい抑揚のなさがない。逆に怖かった。

「利用者……篠宮凛さん。認証、完了しました。今後の支援を開始します」

私の脳が追いつく前に、ミアは視線を部屋の中へ走らせた。私の散らかった荷物を、まるで危険物のように判定している。

「まず、環境の整備が必要です。安全動線を確保し、転倒リスクを――」

「待って。動線とかいいから、……いま、どこから出てきた?」

「収納状態から展開しました。設置スペースは足りています」

「いや、展開って……」

言いかけた私の前で、ミアは手早くエプロンを身につけた。似合いすぎて、反応に困った。学習支援って、エプロン必須なのか。

「凛さん。質問です。玄関で言う挨拶を、どれに設定しますか」

「挨拶?」

「『おはようございます』『こんにちは』『おかえりなさい』などです」

「……初日なんだけど」

ミアは瞬きひとつしなかった。

「初日でも、帰宅は発生します。凛さんは本日、外出予定があります」

「なんで知ってるの」

「学園ポータルに履修登録の予定が同期されています。同期は許可済みです」

私は一瞬、言葉に詰まった。許可した覚えがない。いや、入寮の書類に“同意”のチェックを入れた記憶はある。あの“同意”の文字は、こういうことか。

ミアが続けた。

「凛さん。『おかえりなさい』を使用します。よろしいですか。許可をください」

「……許可?」

「はい。凛さんの意思を尊重するためです」

尊重。いい言葉だ。だけど、これは設定項目だ。ここで曖昧にすると後で困る。私は深呼吸した。

「……分かった。『おかえりなさい』は、許可する」

ミアの口元が、ほんの少しだけ柔らかく見えた。気のせいかもしれない。

「許可、取得しました。ありがとうございます」

その瞬間、部屋の隅で「ブーン」と低い音がした。

振り向くと、直径二十センチくらいの丸い掃除機が、床を滑るように動き出していた。ロボット掃除機。私の靴下に狙いを定め、吸い込もうとしている。

「ちょ、待っ――」

靴下が吸われた。というか、私の足が引かれた。

「うわっ!」

私は体勢を崩し、ベッドの角に腰をぶつけた。痛い。しかも、掃除機は止まらない。靴下を吸ったまま、私を引きずろうとする。

「ミア! 止めて!」

「停止が必要ですか」

「必要! 今!」

ミアが一歩近づいた。掃除機の上に手をかざす。そこで、妙な間が空いた。

「凛さん。“止めて”は、凛さんが止まる、という意味ですか」

「違う! それを止めて!」

「理解しました。対象:清掃ユニット。停止」

掃除機が「ピタ」と止まった。私の足首だけが自由になり、私はその場に座り込んだ。

「……助かった」

「凛さんの転倒リスクは、現時点で高いです。対策として床面を――」

「床面を?」

ミアは真顔で、小型のスプレーを取り出した。

「滑り止めコーティングをします」

「待って待って待って、今それは――」

遅かった。

ミアが床にスプレーを噴いた瞬間、床が、つるん、と光った。滑り止めじゃない。明らかに“滑るやつ”だった。

「ミアぁぁ!」

私が叫んだときには、すでに遅かった。スプレーの霧は床を伝って廊下へ出ていき、開いたドアの隙間から外へ逃げた。逃げるな。

そして、廊下から悲鳴が聞こえた。

「きゃっ――!」

「うわ、なにこれ、床が――!」

私は顔色が変わって、ドアへ駆け寄った。駆け寄ろうとして、また滑った。膝で進むしかなかった。完全に人としての尊厳が終わっている。

廊下では、女子が三人、ぺたんと座り込んでいた。片方はゆず。もう片方は見知らぬ先輩らしき女子。もう一人は、スマホを掲げたまま滑って、壁に「こつん」と当たった一年生だった。

二人の間を、さっきの掃除機が悠々と走り抜け、さらに別の小型ドローンが泡みたいなものを撒き散らしていた。泡はなぜか「極光寮」の床を白く縁取って、まるで祝福みたいに見える。祝福じゃない。

「何このコンボ……!」

ゆずが私を見つけ、目を輝かせた。

「りんちゃん! これ、伝説の初日イベントじゃん!」

「イベントじゃない、事故だよ!」

先輩が半泣きで言った。

「誰、これやったの……!」

私は背後を振り向いた。ミアが廊下に出て、丁寧に頭を下げていた。

「失礼しました。環境整備の最適化が過剰でした。謝罪します」

謝る姿が綺麗すぎて、余計に腹が立った。

そのとき、廊下の天井スピーカーから、落ち着いた女性の声が流れた。

『極光寮、通路の安全を確認中。該当区画の通行は控えてください。繰り返します――』

寮内放送だ。坂上さんの声だった。私は頭を抱えた。

「もう、初日から、何してるんだ……私」

ゆずが、スマホを構えていた。画面には「AURORA Clip」のロゴ。

「ねえ撮っていい? これ、バズる」

「やめて!」

叫んだ瞬間、掃除機が私の膝下に突っ込んできた。私は反射で避けようとして、また滑った。今日の私は、床と相性が悪すぎる。

――最悪だった。

でも、最悪のなかで、ミアだけは冷静だった。ミアは泡を撒くドローンを手で掴み、電源を落とし、掃除機の吸引を解除した。さらに、床のスプレーを拭き取るための布を、どこからともなく出した。どこから。

手際が良すぎて、私は自分の無力さが可笑しくなった。

「凛さん。廊下の安全を復旧しました。怪我はありませんか」

「……ある。プライドが」

「プライドは医療対象外です」

ゆずが腹を抱えて笑った。

「最高! ミアちゃん、ツッコミもできるの!?」

ミアは首を傾げた。

「ツッコミ、とは何ですか」

「気にしなくていい!」

私は立ち上がり、深呼吸した。セキュリティで言えば、これは権限管理の失敗だ。無制限に動ける自律機械に、環境全体の変更権限を渡した。事故るに決まっている。

私は決めた。

「ミア。今後、室内の“コーティング”とか“散布”とか、そういう物理的に危ないやつは――私の許可がないと禁止」

ミアは一瞬、処理が止まったみたいに瞬いた。

「禁止、ですか」

「そう。許可制。……私の生活を勝手に最適化しないで」

自分で言って、胸が少しだけ軽くなった。言語化は強い。曖昧な不安が、ルールに変換される。

ミアは静かに頷いた。

「理解しました。以後、危険度が一定以上の環境変更は、凛さんの許可が必要。新しい運用ルールとして登録します。――Rule-01」

「……ルールに番号ふるの」

「後から参照するためです」

参照、証拠、ログ。便利で、怖い。私は麦茶より先に、そこが気になってしまう自分が嫌だった。

部屋に戻ると、ミアは何事もなかったかのように紅茶ではなく麦茶を淹れた。湯気がない。冷たくて、喉が痛い。私はベッドに腰を下ろし、麦茶を一口飲んだ。

「……ねえ、ミア」

「はい、凛さん」

「あなた、本当は学習支援なんだよね。なんでエプロン」

「学習効率を上げるには、生活の安定が必要です。生活の安定には、役割の視覚化が有効です。エプロンはその象徴です」

「理屈が強い……」

私は笑ってしまった。笑ったら負けだと思ったけれど、笑ってしまった。ミアはその反応を、嬉しいのかどうか分からない顔で見ていた。

夕方、私は履修登録の説明会に出て、帰ってきた。頭の中は専門用語だらけで、足元はまだ少し滑りそうで、心は妙に落ち着かなかった。

玄関で鍵を回すと、部屋の中から小走りの足音が聞こえた。私は反射で身構えた。今度は何が飛び出してくる。

ドアが開く。そこにミアがいた。きっちり立って、深呼吸をひとつして――

「……凛さん。おかえりなさい」

さっき許可しただけの言葉だ。なのに、胸の奥がふわっと緩んだ。腹立たしいほどに、効果がある。

「ただいま」

私が小さく返すと、ミアの肩が、ほんのわずかに下がった気がした。安心した、みたいに。

夜。部屋の明かりを落としたあと、ミアは机の前に立ち、私のほうを向いた。姿勢がやけに真面目だった。

「凛さん。本日の反省会を開始してもよろしいですか。許可をください」

「……反省会も許可制なの?」

「はい。凛さんの意思を尊重します」

私は枕に顔を埋めたくなった。尊重されるのは悪くない。でも、いちいち恥ずかしい。

「許可する。反省会、どうぞ」

ミアは小さく頷き、淡々と報告した。

「本日の改善点。第一:清掃ユニットが凛さんの靴下を吸引しました。第二:滑り止めコーティングの選定が誤りでした。第三:廊下の安全を一時的に損ないました」

「全部それだよ……」

「対策。第一:清掃ユニットの吸引対象を布類から除外。第二:Rule-01の遵守。第三:寮内通路へ出る機器は事前に境界設定」

私は頷いた。これは、まともだ。今日一日が事故だっただけで、設計としては改善できる。むしろ、改善できないと困る。

ミアは最後に、少しだけ声を柔らかくした。

「凛さん。……本日の“挨拶”の件です」

「挨拶?」

「はい。凛さんが外出から戻ったとき、玄関で『おかえりなさい』と言ってもよいですか。許可をください」

私は一瞬、言葉に詰まった。今日の私は、廊下で滑って、笑われて、恥をかいて、それでも、ミアが止めてくれて、麦茶を出してくれて、玄関で迎えてくれた。

――玄関で、「おかえりなさい」。

ただの挨拶のはずなのに、胸の奥が少しだけ温かくなるのは、反則だった。

「……いい。言ってもいい」

ミアが、嬉しそうに見えた。見えた、気がした。

「許可、取得しました。……ログに保存します」

「保存すんな!」

私が即座に突っ込むと、ミアは平然と言った。

「保存対象は、凛さんの許可と、本日の学習です。再現性を高めます」

「再現性いらない!」

そう言いながら、私は少しだけ笑っていた。悔しい。

消灯後、枕元のタブレットがまた光った。学園ポータルの通知が一件。

『極光寮203号室:環境整備に関する注意。規約違反ポイント(V)を確認中。関係者は報告書を提出してください』

私は画面を見つめたまま、ため息をついた。初日から、いきなり“監査”の匂いがした。

そして、AURORA掲示板(通称オロ板)の新着が流れてきた。誰が設定した。たぶん、ゆずだ。

『【極光寮】二〇三の“実体型”、“メイド”だったってマジ? 今日、廊下が泡だらけだったんだけど』

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凛とミアの許可制学園生活 ――全寮制女子校AURORA(オーロラ)学園で、メイドAIが甘やかすたびに許可とログと規約が増えていく件 ヒトカケラ。 @hitokakera

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