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東井じゅん

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 日曜日の駅のホームに、異質な光景が混ざり始めたのは、十月の始め辺りだった。

 駅では見かけたことのない紺色のセーラー服が佇んでいる。初めて見かけた時は、ただそんな違和感を感じただけだ。

 二度、三度と目にする度に、またいるなと思い、あることにも気付く。

 一度目からひと月は過ぎるかという頃にも、変わらずセーラー服の少女は佇んでいた。それは、必ず学校が休みの日曜日で、そして何故かその少女は電車には乗らないのだ。

 ホームに下りる階段の傍、電車からは離れた位置からじっと動かない。ただの一歩も。

 停車した電車がドアを閉めて、ホームを走り去る。

 その後、彼女がどうしているのかは分からない。

 十一月の二度目の日曜日。その日は、少しだけ違った。

 いや、それまでのことを思うと大いに違うといっても構わないかもしれないし、たったそれだけのことに過ぎないかもしれない。

 電車が停車して、ドアがお馴染みの音を鳴らして開くと、彼女は数歩足を進めた。電車までは辿り着かず、いつも佇んでいる場所と乗降口とのちょうど中間辺りの位置でぴたっと立ち止まる。

 そして、やっぱり彼女は電車には乗らなかった。

 その様子を見てしまってから、それまで何もといっていいほど思わなかった疑問が湧き上がっては消えてくれない。

 帰り際、反対側のホームに降りた時にも、思わず彼女の姿を探してしまった。

 次の日の月曜日の朝にも、駅のホームを見渡してしまう自分がいた。

 そこに、セーラー服姿の学生は一人もいない。人が多くて見落としているんじゃないのか、と言われてしまえばそれまでだけど、ブレザー姿と会社員のスーツや私服の中であの制服なら多少は目立つのではないだろうか。

 最後尾の車両に乗り、流れていくホームを見ていても、彼女はいなかった。

 どうして、日曜日だけなのだろうか。

 どうして、あの子はいつも電車に乗らないんだろうか。

 たぶん、同い年か一コ下。中学生?

 気になりだしたことを頭から取り除くのは、難しいことなのだと思い知った。

 そのまま考えながら学校に行き、朝のホームルームが終わったことにも気付かず、窓の外をぼんやりと眺めていた。

 視線の先の渡り廊下や中庭に、生徒や教師の姿が横切り始めてやっと意識をそのことから切り離す。その時初めて、前の席に普段と違う人間が座り、なおかつ自分をじーっと見ているのに気が付いた。

 目が合うと、クラスメートの浅井あさいは、ニヤっと笑った。

「あ、やっと気付いたか、元山くん」

 わざとらしく付けで呼んできた浅井の声に、おれの頭はやっと働き出した。

「いつから」

 いたんだ? と聞こうとして、思わず立ち上がる。椅子が景気良く、ガタンという音をたてた。

「一限、移動っ。――だよな?」

 呑気に構えている浅井の様子に不安になって、聞いてしまった。

「大丈夫だって。まだ五分はある」

 三分前になったら、声をかけようと思ってたんだけど、と余裕そうに立ち上がる浅井の脇には化学の教科書とノートが抱えられている。

「最初に、声かけろよ……」

「元山があまりにもぼーっとしてたから、いつ気付くかなぁって」

「おまえがそうしてたら、置いて行ってやる」

「ひどっ。はくじょーもん。ひとでなしっ」

「なんとでも言え」

 人を面白がって眺めてたヤツに、同情の余地などない。

 ノートは机の中から、教科書は廊下のロッカーに取りに行って、そのまま化学室に向かう。

「でもさ、何をぼけっとしてたんだよ?」

 一瞬だけ間を置いて、

「考えてた」

 口をついて出たのは、そんな言葉だった。

「何を?」

「なんで、電車に乗らないんだろうって」

 当然のように「どういうこと?」と、浅井は怪訝な顔を返してきた。

 説明するとなると至極簡潔に終わってしまうそのことを、化学室へ行く道すがら、さらにかいつまんで話した。

 日曜日の駅のホームに、じっと佇むセーラー服の女の子。

 一度も、電車に乗った様子を見たことがないこと。

 何故か昨日だけは、停車した電車に近付いたこと。

 それでも、彼女は乗らなかったこと。

 簡単な相槌とともに話が終わる頃には、それほど遠くない化学室へと辿り着く。

 入り口の白いドアを目の前に、急に立ち止まった浅井に合わすように足を止めた。

「題して」

「ん?」

「元山くん、謎の少女に恋をするーってか?」

 反射的に、その後頭部を平手で叩いてしまった。

 あまりにも、言われたことが思いがけなかったせいだ。

「そんなわけあるか」

「だからって、叩くことないだろー」

 後に続いた抗議を背に、目の前のドアを開ける。

 もうほとんどの生徒が移動してきているようで、椅子は大方埋まっている。

 自分の席に着くと、頬杖をついて白い机の表面に目を落とした。

 そんなんじゃない。

 と、浅井の言ったことをもう一度否定する。

 恋なんかじゃない。

 たぶん、きっと。


「声、かけてみればいいじゃん」

 と、浅井はこともなげに言い放った。

 話をしてから数時間後の昼休みことだ。

「そんなの、ナンパじゃないか……」

「でもさ、それ以外に解決策ってないだろ?」

 そう言われてしまえば、言い返せない。

 声をかけるなんて、考えたことすらなかった。だいいち、本気で気になり始めたのは、つい昨日のことだ。それをいきなり声をかけるなんて、思いつくわけもない。

 押し黙ってもくもくと目の前の弁当を平らげていると、

「元山」

 何かひらめいたかのような浅井の弾んだ声が、呼ぶ。

「賭け、みたいにしたら? 次に見かけたとき、昨日よりもその子が電車に近付いたら、声をかける、とかさ」

 どうよ?

 と、浅井の目線が問うていた。

 結局、それに対して頷きもしなければ、首を振りもしなかったが、提案ともいえるそれに、僅かに心が動いた。



 その日は、家に帰ってからもぼんやりとしていた。

 母親の「ゴハンよ!」という声に気付かず、それが半ば怒鳴り声に変化してから追い立てられるように台所へと顔を出した。

 いつもは一時間以上は見るテレビはそこそこに、自室に引き上げて床の上に寝転がると、また何を考えるわけもなく天井を見上げたり、横を向いてみたりする。

 アパート暮らしのくせに一人部屋があるのは、ひとりっ子の特権だと言われたことがある。一戸建てでも兄弟が多ければ、相部屋だと友達からぼやかれた。

 それでも、四畳半に無理やり勉強机と箪笥を押し込んでいるから、残っているのはせいぜい布団を敷けるくらいの面積しかない。

 それも、来月で終わりだ。

 十二月に入ったら、完成した新居に引っ越すことになる。今度は学校から自転車で十分もかからない。それを見越しての、今の高校への進学だった。

 だから、電車通学も終わる。

 駅に行くこともなくなってしまう。

 自分が駅に行くことがなくなるのが先なのか、彼女が駅に姿を見せなくなるのが先なのか、という考えがよぎる。

 彼女を見かけだしたのも突然なのだ。同じように、急に姿を見せなくなることだってありえる。

 浅井の言った賭けの前に、彼女が駅に来るのかどうか。

 その日は、そんなふうにずっとぼんやりとしていたけれど、不思議と次の日にはそこまでは気にならなくなっていた。

 駅のホームに立った瞬間。

 セーラー服とすれ違った瞬間。

 繋がる要素と触れた時には、彼女のことが思い浮かんだけれど、一週間という時間はあっというまに過ぎ去っていった。



 そしてまた日曜日がきて、いつも通りに駅のホームに立っていた。

 無意識のうちに辺りを見渡して、セーラー服姿の彼女を探している自分に気付いて苦笑が浮かんだ。

 本当に、恋でもしているようだ。

 と、浅井の言葉ではないが、自分でもそう感じてしまった。

 小さくため息をついて、近くの柱に寄りかかる。固い感触が背中に伝わってきた。

 いつもと同じ時間と、いつもと同じ場所。ホームに下りる階段から数メートル離れたその場所が、高校に入ってからずっとの定位置だ。ここから、階段の傍に立つ彼女はいつも当たり前のように視界に入ってきていたのに、今日はその姿が見えなかった。

 そのまま彼女が姿を見せないうちに、電車が駅に到着した。後ろ髪を引かれる思いで、振り返りつつ電車に乗り込む。

 もしかしたら、もう来ないのかも?

 そんな思いが浮かぶ。

 来月には、自分が駅に来なくなるのと同じように、彼女もこの間が最後だったのかもしれない。

 きっとそうなのだ、と思った次の日曜日も、駅のホームに着いて習慣のように視線をぐるりと回してしまった。

 十一月も後半になり、朝の寒さも増してきた。陽が差せばましだが、吹き抜けの駅のホームでは、思わず陽だまりを求めてしまう。

 いつもよりも早く着いたホームは、いつにもまして人影がまばらだ。反対方面の電車の着く向かい側のホームは、こちらよりも遅く電車が着くから全く人がいない。

「あのぉ、すみません……」

 控えめながらも、はっきりとした声が耳に届いたのは、視線を動かすのを止めて地面に投げた時だった。

 顔を上げて、声の主の姿を認めて、思わず動きを止めた。

「定期、落としましたよ」

 確かに自分のものである定期入れを、すっと胸元の高さまで差し出したのは、件のセーラー服の彼女だった。

 驚きながらも、差し出された定期入れに手を伸ばす。

「あ、ありがとう」

 気の利いたことをいえるわけもなく、ありふれた言葉を口に乗せた。

 手に取ったと同時に彼女の手は離れ、当たり前のことにそのまま背を向けてゆく。その方向は、いつも彼女が佇んでいる定位置で、そう思い至ると不意に浅井の言葉が頭に浮かんだ。

 別に、浅井の言葉に乗るわけじゃないと、しても意味のない反論を心中でして、その背に声をかけた。

「あの、待って」

 と、それだけ言って、次が続かなくて困った。

 声に、ちゃんと立ち止まってくれて振り向いた彼女の方は、きょとんと不思議そうな表情を向けてくる。

 真っ直ぐと見ることができず、目を逸らして無意識のうちに首の後ろを掻くように左手を当てた。

 きっとじゃなく、間違いなく彼女を困らせている。

 何を何から言うのか、何も考えずに引き止めてしまった。

「あのさ……」

 直球で聞くしかないと、覚悟を決める。

「いつも、電車に乗らないのって、なんで?」

 やっと彼女に視線を向けると、じっと見返してくる目に、数秒もしないうちに後悔した。もう、そんな疑問なんて解決しなくてもいいと思った。

「……ごめん。答えなくてもいいから……」

 しどろもどろに自分で言ったことを取り消して、もう一度「ごめん」と言った。

「わたし、変でした?」

「え?」

「変に、見えてましたか?」

 うん、と頷いていいものかどうか迷った。

 変とは、思わなかったのだ。なにせ、本当に気になりだしてからは、何度も見かけていない。それまではただ――言うならば、日常の情景の一部に過ぎなかった。

 毎週の休日の駅での一場面。

「変、っていうか、気になった。この間は、近づいたのに乗らなかったから」

 くりっとした目が、見開いた。

「あの時は、乗ろうと思ったんです。でも、ダメでした」

「なんで?」

 眉根を下げて笑う彼女に、何の考えもなしに口を付いて出た。言った後に、しまったと思っても遅い。

 もしかしたら、彼女にとっては聞かれたくないことなのかもしれないのに。

 彼女は気を悪くした風もなかった。

「本当はあっちのホームで電車に乗らなきゃいけないんです。こっちの電車が出てから、十五分後くらい」

 向かい側のホームを見やって、笑って言った。

 それだけでは意味が分からず、それが顔に出ていたのか、少し考えた様子を見せた後言葉を続けた。

「海が、見たいなって思って」

「海?」

「Y駅で降りたら、歩いてすぐ海があるから」

 それ以上、口にするつもりはないようだった。

 Y駅は、自分が降りる駅だ。歩いて五分もかからないところに、海岸がある。夏場は、海水浴場として賑わいを見せ、花火大会が行われたりもする。

 今、こんな季節では、ほとんど人影などないだろう。

 お互い言葉が続かない数秒の間に、ホームに電車が到着する音楽が鳴り、僅かに遅れて電車が滑り込んできた。

 二人ともが、口を開くドアをみつめたまま動こうとしなかった。

 休日のホームに待っていた数少ない乗客は、どんどんと電車のほうへと歩み寄っていく。ホームに突っ立っていたら、そのまま置いていかれてしまう。

「今日は、どうするの?」

 彼女は、電車をじっと見つめている。

「乗っても、すぐ引き返せるよ?」

 Y駅に下り電車が入って、数分後に上り電車が到着する。この電車に乗って、Y駅に着いてからすぐに引き返すことは可能だ。以前、気分が悪くて、学校に行かずに引き返したことがあるからよく覚えている。

 その電車は、彼女が乗る予定の電車と同じなのだから、何の問題もないはずだ。

 乗らないのなら、それでもいい。

 乗るのならば、早く決めないと電車が発車してしまう。

 ほんの僅かの間の後に、彼女は頷いた。

 電車に乗っている間、二人はほとんど会話を交わさなかった。

 ドアの傍に立って、ぼんやりと外を眺めたりと、はたから見れば全く無関係の二人に見えているかもしれない。

 電車の中は、暖房で暖まった乾いた空気が漂っていて、外の寒さは感じさせない。駅のホームで待っていた間に冷えた指先にだけ、寒さが残っている。

 平日の通勤通学ラッシュに比べると随分と人が少ないが、座席はほとんど埋まっている。空いていても、二人がけに一人は座っているような具合だ。

 海か……。

 流れていく窓の外の景色に目を向けたまま、ふと思った。彼女も同じように外の景色を見ている。

 もう少し経つと、外の景色に海が見えてくる。海岸線を走り抜けたところで、Y駅に到着だ。

 到着までたかだか五分程度の時間を長く感じてしまうのは、不安があるせいかもしれない。

 自分が、彼女に乗るように催促してしまったようだ、と。

 もしかしたら、彼女は乗らないほうが良かったのかもしれない。あのまま、自分だけが電車に乗って、何気なく別れたほうが良かったのかもしれない。

 引き返せる地点はあるけれど、彼女の行動を押したのは、きっと自分の言葉だ。

 ため息をつきそうになって、すんでのところで堪えた。

 窓の向こうへ、海が見えてきた。景色の中の海は、他の景色と同じようにガラス越しに流れていく。自分にとっては、いつもと変わりない風景だ。

 ちらりと一瞬彼女のほうへと目を向けると、あちらもちょうどこちらを見ていて目が合う。彼女は、気まずそうに反射的に目を伏せた。

「……兄が、清丘きよおか高校の卒業生なんです……」

 彼女の視線の先は、自分が着ている制服だ。正確に言えば、学ランの襟元についている校章。

 思わず目が合ってしまい、気まずさに耐えかねて言ったことだったのだろうが、それに対してどう返そうか困った。

 敬語を崩さないところを見ると、おそらく彼女は年下だ。そうすると、中学生ということになる。

「うち、受けるの?」

 おそらく、受験生だろう。

「……そのつもりです」

 一瞬黙り込まれたので、違うかと思えば、その後に思いのほか力のこもった声が続いた。

 その後は、一言も言葉を交わさないうちに、電車はY駅に着いた。

 立っていた場所とは向かい側のドアが、音を立てて開く。

 条件反射のように、無意識のうちに体を電車の外へと向かわせていた。一歩遅れて、彼女が同じように動いた。

 満員電車のときとは違い、人の流れはばらばらだ。人が少ないからこそ、早く進む者もいれば、ゆっくりと歩く者もいる。二人はどちらかといえば後者で、改札へと向かう人たちの最後尾にいた。

 階段を登って、また降りる。上りと下りのホームを挟んだ向こうに改札があるから、どうしても階段を使わなければならない。

 先に改札を出て、乗り越し料金を払う彼女の姿を何気なく見つめた。

 引き返すとは、言わなかったし、そうしなかった。

 自分がこうして待つ必要もないのだけれど、声をかけてしまって今まで隣にいた手前、一言なにか言わなければ別れられない気がした。

 だからって、そのなにかが自然に浮かぶわけではないのだけど。

 改札を出てきた彼女と視線が合った。

 一歩、一歩と近付いてきた彼女が、正面で立ち止まる。

「今から、部活ですか?」

 少女から向けられた何気ない会話に、どこかほっとした。

 自分からは、何を言えばいいのか分からなかった。今日は、最初からずっとそんな感じだ。

「うん、午前中だけだけど」

「頑張ってくださいね」

 そう言う彼女に、君は──と聞く前に、彼女は今通ってきた改札に目を向けると言葉を続けた。

「ここまで来てすっきりしたので、このまま折り返します」

 交わした言葉は、それだけだ。

 彼女とは別の方向へ歩き出して、ただ、明日どうやって浅井をごまかそうかと、思い浮かんだのはそんなことだった。



 それからひと月以上の時が過ぎ、そして桜の季節になる頃には、彼女のことを思い出すこともなくなっていた。

 彼女と話をしてY駅で別れた次の週の日曜日には、彼女は駅のホームに姿を見せなかった。

 目的を果たしたのだから、本来乗る電車とは反対方面のホームに立つ理由がなくなったのだ。それは、当然のことだった。

 そして自分もまた、その駅のホームとは関わりのない日々を送り出す。

 いくらか物寂しさを感じたものの、次の週、そのまた次と時が過ぎればそれも薄まっていった。たった一度の不思議な出会いだと、そう感じていた。

 浅井からもしつこい詮索はなかった。もしかしたら、忘れた頃にネタにされるのかもしれない。

 冬が終わり、いつのまにか春になり、学年が一つ上がった。

 新しい家にもすっかり慣れた。新しいクラスにも慣れ始め、もう数日経てば、カレンダーを一枚捲ろうかというそんな頃だった。

「元山、一年のコが元山みなとを探してるって」

 部活が終わる時間になり、帰り支度をしているところに、わざわざ違う部に所属している浅井が来て言った。

「おれ?」

「二年に元山は、おまえしかいない」

 そう言われてみても、探される理由が分からない。

 浅井もそこまでは知らないらしく、首を傾げるばかりだ。

「一応、待ってもらってるんだ。会ってみ」

「違ったら、どーすんだよ?」

「違わないって。元山湊って名前の二年は、一人しかいないんだから」

 念押しをする浅井の言葉に、どこか納得のいかない思いで「分かった」と口にした。

 学食の自販機のところと場所を言われて、「浅井は?」と聞けば、「まだ片付け終わってないから」と足早に部のほうへと戻っていった。

 本当に、そのことのためだけにわざわざ言いに来たらしい。

 浅井が立ち去ってから、まずいことにその待っている相手がどんな人なのかを聞いていないのを思い出した。

 男なのか、女なのか。見れば、分かるのか。「一年のコ」って言っていたから、女子?

 考えながら、言われた場所へと足を向ける。どちらにしろ、学食は自転車置き場へ行く途中にあるのだから、通り道だ。数分もしないうちに自動販売機の姿が目に入ってくる。

 その傍に、一人の少女が立っていた。

 あと、一、二メートル、というところで思わず足を止めた。

 セーラー服じゃないけれど、同じ高校の制服を纏った、駅でのセーラー服の彼女がそこにいた。

 駅で佇んでいたときとそのままの雰囲気と同じの彼女を、見間違えるはずが無かった。

「元山先輩?」

 彼女が気付いて顔を向けた。

「おれ、名前言ったっけ?」

 相変わらず、気の利いたことの一つも言えずに、そんな当たり障りのないことを聞いた。

「定期に、名前が書いてありましたから。ここに入学できて、また会えたら伝えたいことがあって。でも、駅では出会えなくて」

「十二月に入って、引っ越したから。でも、なんで?」

 情けないことに、おれの口からは疑問しか出てこない。

 彼女は、数歩だけ足を進め、離れていた距離を少しだけ縮めると、明るい表情で笑った。

「あの時、ありがとうございました。声、かけてもらえて、やっと思いきれたんです」

 よければ話を聞いてほしい、そんな彼女の言葉におれは頷いた。

「兄はここの卒業生で、ヨット部の部員だったんです。大学でも続けて、有望な選手でした」

 それは、全て過去形で、つまりは今はそうではないという意味を示していた。

 清丘高校には、県下では珍しくヨット部がある。インターハイの常連でもあった。

「怪我をしたんです。復帰はできなくて、それからヨットのことも、高校のことも、うちでは話題にされなくなりました」

 でも、と続いた。

「兄が話してくれていた高校のことが、すごく楽しそうで。だから、ずっと、ここに入学したかったんです。ぎりぎりまで、本当の志望校のことを両親にも言えなくて」

 でも、あの時、あの電車に乗って、それで勇気が持てたんです。

 話してみたら、意外と兄が一番賛成してくれました。

 そう話す彼女は、どこか思い詰めたふうのあった駅のホームでの姿とは違い、すっきりと晴れ晴れとしたものだった。

 彼女に何かを言おうとして言葉にできず、言いよどむ。

 そして、やっぱり彼女の方が先に、

「自己紹介、してなかったですね」

 あ、と思い至ったように言って、また笑った。


佐倉さくらあおいです。これから、よろしくお願いします」

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