隣人
日月のぞみ
第1話
私は隣人が怖い。
数日前に引っ越して来た巨漢のチンピラで喧嘩っ早い。怒鳴り声が早朝まで続いたこともある。
そんな事を知ってから、常に私は、彼の壁ドンに怯えて過ごしていた。日々、音を立てないよう細心の注意を払い、電子レンジですら使うのを辞めた。
しかし、ビクついてるのが気に食わないのか、壁ドンは悪化していた。今までより小さい音にすら反応されるのだ。私とて人間。鳴る。やはり人間、音は鳴るのだ。だからといって、今さらこの生活を変える勇気も無かった……。
それを続けて数ヶ月も経つと、だんだん部屋から出れなくなってきた。大きな音を鳴らすと、たまに隣から壁ドンを貰う。これが唯一のコミュニケーションだ。寝てる時にも殴られてるのか、夢にまで出てくる。……これは幻聴かもしれない。
限界であった。私は壊れつつある。そして、こんな結論に至ったのだ。
そうだ、あの隣人を殺してしまえばいい
当然と言えば当然だが、追い詰められたネズミは何をするか分からないものである。これも、臆病な私を追い詰めた隣人が悪いのだ。
そんな言い訳を何千何万と重ねながら、深夜。205号室、隣人の扉を開ける。手は震えるが、音は鳴らない。今までの生活で、音を立てずにドアを開ける事など習得済みである。このまま殺して、私に平穏を取り戻すのだ。
私がつま先立ちで、隠れるようにリビングに向かうと、そこには隣人の死体があった。
あの恐ろしかったチンピラである。今日の夜まで壁ドンをしていたはずのチンピラが、床に汁をぶちまけ、目は飛び出し、体中に蝿の卵を産みつけられた状態で死んでいた。
「う、うっ、えぅ――」
叫びそうなのと、吐きそうなので、音が出そうだ。音はいけない。いや、違う。そうっ、警察。救急? 分からないがとにかく誰かに知らせなくては。
いや待て、私はどんな状態だ。ナイフを持って、顔には覆面。そして床には隣人の死体。まずいだろう。とにかく、一度家に戻って警察に……連絡をしよう。
部屋で包丁をしまい、臭いのついた服を捨てる。何度か消臭剤を身体に振りかけ、着替えを行いスマートフォンを握りしめる。
110の数字を三度確認し、息を整え、震える指で電話を鳴らした。電話は、一、二と音が消える前に、即座に繋がる。
「110番緊急電話です。事件ですか、事故ですか?」
「……あ、あの、死体っ、死体を見つけて」
「……! 場所は分かりますか?」
「場所は――」
――――――――
―――――
―――
後日、警察から聞いた話では、隣人はひと月も前には既に死んでいたそうだ。死因は私情のもつれ。ある日の自宅飲み会で、友人と軽い口喧嘩になり、だんだんとヒートアップしていき、そのまま……。
私の脳で恐怖政治を働いた隣人。
常に王であった。心の中に隣人が生まれ、存在しないはずの一挙手一投足におびえるほどに。しかし、その隣人は死んでいたのだ。
だが、私が扉を開けるまで恐ろしい隣人は確かにそこに居た。私が外から確認しなければ今日も、明後日も隣の部屋で生きていただろう。そう考えると「私が隣人を殺した。」と言うのも強ち間違いではないのではないか。
ふと、そう思うと、今までより少し勇気が出た。次の日には、私は最寄りの家電量販店で、電子レンジを買った。
隣人 日月のぞみ @hituki-nozomi
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