残るモノ
姫紳桜雅
第1話
人の強い想いはその場に留まり、時が解決してくれるのをまっている。そう、ここにも一つの想いが浄化の時を静かに待っているのかもしれない。
女は自分の命の終わりを、自らが決めてしまった。
大好きだった彼と初めて出会った場所は、二人だけの秘密の待ち合わせ場所となり、そこで彼と語り合う静かに流れる時間が、女にとって至福の時だった。
しかしある日突然、彼はその場に来なくなってしまった。約束をしていたわけではない。それでもこの場所で会う、それが暗黙の了解となっていると女は思っていた。だから、毎日その場所へ通い続けた。
彼に会いたい。その一心で。
しかし、その想いも崩れ去る瞬間がやってきてしまった。それもテレビで。彼は国民的女優の隣で幸せそうに微笑み、彼女と見つめあっていた。その画面の上には、
『国民的女優 電撃入籍!!お相手は爽やかなイケメン』
の文字が躍っていた。そして画面に映る人は皆微笑ましそうに二人を祝福していた。
女は気付けばあの場所に来ていた。
二人しか知らないこの特別な場所、目印にしていた大きな木の麓。幹にそっと触れてみる。柔らかな温かみが伝わってくるような気がする。手を置いた少し上、茸があった。あの日の彼との会話が蘇る。
『あ、キノコが生えてる』
『ん?ああ、これエノキだからね』
『エノキなの?エノキって白くないんだ』
『エノキはこの木の名前。このキノコはエノキダケっていうのが正式名称なんだよ』
『え?そうなの??』
『そう。因みに、スーパーで売ってるエノキダケが白いのは太陽の光に当てずに育てたからなんだ』
『へー、そうなんだ!物知りなんだね~・・・』
女が感心すると、彼はそんなことないよと照れたように笑っていた。そんな彼の顔が女は大好きだったのだ。
彼との会話はいつもこんな風に新しい発見をくれる。そしてそれを喜ぶ女に彼はいつも優しい笑顔で応えてくれていた。それこそが女の至福だったのだ。彼の優しい笑顔が・・・。
「もう1年経ったんだ」
時は12月。風は冷たく、体の芯まで冷えてきそうだった。あの頃も同じような感覚だった筈だが、それでも傍には穏やかに微笑む彼がいて、寒さもただの演出だった。しかし今は・・・。
「もう終わっていいかな。私・・・。最後にもう一度、会いたかったのにな・・・」
女はエノキに背を預け座り込むと、持っていた包丁を自分の左手首に当て一気に引いた。
流れ出る血が腕を伝い、伝った所は暖かく感じた。
今は痛みよりもこの苦しみが終わる事への期待が大きかった。そして背中のエノキが暖かく包んでくれているような錯覚の中で、女は静かに目を閉じた。
女がその場所で発見されたのは、翌日だった。偶々ランニングのコースを変えて走っていた男性が、エノキに力なく寄りかかっている女を見つけてすぐに警察に連絡をした。
いつもは静かな冬のエノキの傍は大騒ぎになった。警察に、鑑識に、野次馬に・・・。連絡した男性も事情を聞かれている。しかしそんな騒動は一週間もすれば落ち着いた。そして残ったのは、大きなエノキと、彼ともう一度会いたかったという女の静かな願いだけだった。
女がエノキの下で亡くなってから、彼にもう一度会いたいという想いはまるで固く縺れた毛糸のように固まって、その場に留まり続けていた。最初はもう解ける事はないのだろうと思える程固く絡まった想いは、時が経つにつれその縺れを柔らかく、ゆっくりと解れていた。縺れた毛糸を根気強く解くように。その縺れが完全に解けた時、女の想いはこの場所から解放されるのだろう。きっと女もその時を待っているのだ。そしてこの場所から解放されて上がっていける日を、彼への想いを断ち切って次のステップへ進めるように待ち続けているのだ。
しかしそれは簡単には叶わなかった。
女が亡くなって3年目のある日、静かに絡まった毛糸を解こうとしていた所へ、突然の子供の泣き声が静寂を破った。それはまだ幼い、5歳くらいの女の子のものだった。
「ひっく・・・っく・・お・・かぁ・・さぁん・・・」
母を呼びながら不安そうに歩いている。いまや残留思念としてその場に留まっていた女の想いは、女の子の泣き声で自らも不安定になっていった。
子供の泣き声で保護欲を掻き立てられるのは、その人に心の余裕があるからだ。そんな余裕のない人には、その声は余計に不安定さを増長させる。
この時の女の想いも同じで、ゆっくりと解けかけた想いが再び固く縺れそうになっていった。子供の不安に女の想いが引っ張られているようだった。
その時、不意に静かで優しい、温かみのある風が女の子に吹いた。
「ひっく・・・ひっく・・・?」
しゃくりあげていた女の子が顔を上げると、更に風は一つの方向へ向かって吹き、エノキの葉をザワザワと揺らした。女の子は泣くのをやめ、しっかりとした足取りで、目には見えない筈の風と葉のざわめきに誘われるように歩き出し、再びエノキの麓には静寂が戻った。
そして女が亡くなってから5年が経ったある夏の日。いつも静かなエノキの傍に突然、大きな音量で音楽をかけている車が入ってきた。
「わぁすげぇじゃん!!」
「ほんと、ここ最高だね!静かだし、気持ちいい」
やたらと大きな声で話す若者5人がドヤドヤと車から降りてきた。
「だろ?この前近く通りかかってさ、ここならバーベキューやっても怒られねぇんじゃね?って思ってさ。夜には花火もできるっしょ?」
キャハハと大きな声で笑い合う。そして車から早速バーベキューの道具を下して来てエノキが精一杯つけた葉の大きな影の中にそれらをセッティングし始めた。
女の想いはゆっくりと想いを解いていた所を邪魔されてしまった。大きな声が女の想いを踏み荒らしていく。
『うるさい・・・
うるさい・・・
うるさい!!!』
耳障りの悪いノイズに女の想いが震える感情を募らせていく。それが爆発しそうになった時、それまで穏やかだったエノキが急にザワザワと枝を揺らして緑の葉を落とし始めた。
女の想いの感情に憎しみがこもり始めると、枝はますます激しく揺れだす。
「な、なんだ?急に葉っぱが・・・」
「ねぇ、ちょっとヤバくない?帰ろうよ」
「馬鹿言うな。ここまでくるのに2時間かかってんだぞ。バーベキュー食ってからじゃねーと・・・」
若者達の会話を聞いていたかのように一瞬、風が止まった。直後、バキッ!という破裂音と共に、まだ瑞々しい若いエノキの枝が折れ、若者に向かって落ちてきた。
「きゃーっ!」
「うわぁ!!」
若者達は慌てて車に戻った。しかしまだ出発はしない。車内では早く出発しよう。いやバーベキューの道具が、と口論をしているようだった。車はまだ出発をせず、その場に留まり続けている。すると、先ほど折れて落ちてきた枝が何故か急に舞い上がり、車を目がけて飛んできた。
「ぅ、うわぁぁ!!!」
もうバーベキューの道具の事など気にしている余裕もなく、車はすぐにその場所を離れて行った。
そしてエノキの麓にも静寂が戻った。
しかし、それからが大変だった。若者達がこの場所を心霊スポットとしてSNSに投稿したのだ。すると、何故か生きた人間達はこの場所に集まりたがり、女の想いは解す時間を奪われていった。
人は入れ替わり、立ち代わりやってくる。朝から深夜までやってくる。そして風が吹いただとか、葉が揺れただとか、女の声がしただとか、何かあるだけで大騒ぎをするのだ。
だが一方で、これだけ怖いと騒がれているスポットなのに、極稀に違った投稿もあった。それは木と風に助けてもらった。という投稿だった。悪意なくその場所で困っていると、木と風が出口まで案内してくれるというのだ。そのギャップが余計に心霊好きの心をつかんだようだった。
世間の騒ぎとはうらはらにその間、女の想いはどんどん固くなっていく。ゆっくり解して浄化できる時間がないのだ。
その度に助けてくれたのはエノキだった。エノキはその大きな枝で女の想いを守ろうとしたように思えた。
そしてこの場所は国内でも有数の心霊スポットとして有名になった。
女が亡くなって30年経つ頃には、地元の警察によってこの場所は立入禁止となっていた。それは若者達が肝試しにやって来ていたのだが、その中で死人が出たことがきっかけだった。とはいっても、女の想いや、エノキが何かをしたわけではない。突然の突風に驚いて転倒した若者の転んだ先に大きめの石があり、それで頭を打ち、偶々打ちどころが悪くて亡くなったのだ。元々大勢の若者が来て騒いだり、ゴミを放置して帰ったりと苦情も出ていたことから、この事故をきっかけにこの辺りを立入禁止とした。だからほとんど人は入ってこない。女の想いは数年前から浄化されつつあった。
それが20年ほどぶりに、その場に人がやってきた。一人の紳士だった。
彼はまっすぐにエノキの麓に向かうと、持っていた花束をその場に置いた。
「ごめん。随分待たせたよな」
すぐにわかった。年齢を重ねてはいたが、彼だった。
「あの頃、本当は君にプロポーズをするつもりだったんだ。
でも今の妻、僕の幼馴染なんだけど、あの時の結婚相手の父が病でもう長くないって言われて、彼女の花嫁姿を見せてあげたかったんだ。
君には約束も、言葉をまだ渡してなかったから、僕だけが我慢すればいい、そう思ってたのに、息子が心霊物が好きでね、この場所の事を見たんだ。テレビで。僕にはすぐにわかったよ。君だって。僕はてっきり君は素敵な人を見つけて結婚して、幸せに暮らしてると思ってたから・・・いや、違うな。そう思いたかったんだ。自分の罪悪感を少しでも軽くするために。だから、ここを見た時僕はジッとしていられなかったよ」
彼はそう言ってエノキの幹にソッと触れた。よく女がしていたように。
「はは、君が言ってた通りだ。温かい気がするよ・・・」
そう言って笑う彼の顔は、寂しそうに歪んでいた。
風が、穏やかで温かい風が吹いてきて、彼の全身を包んだ。
『ありがとう・・・会いに来てくれて・・・本当に、ありがとう・・。・・大好きです・・・』
彼は上を見上げた。葉の間からこぼれる陽の光だったのかもしれない。でもそれ以上に眩しいと思う程の綺麗なキラキラとした光の粒が、ゆっくりと上空へと舞い上がっていくのが見えた。
「僕こそ、ありがとう。僕も大好きだ」
彼はそう呟くと、しばらく幹に凭れ溢れそうになる涙を堪えていた。
しかしやがて彼はエノキから身を離し、最後にもう一度だけ幹に触れるとエノキに背中を向けて歩き出した。父と同じ病気にかかり今現在苦しんでいる妻と、ホラーオタクへと成長した息子と、オシャレに気を遣う可愛い娘との生活へ戻るために。
終わり
残るモノ 姫紳桜雅 @tokoharu
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