その神を、雲で覆い被せたら
ひるね
第1章 shedding its skin
最近寝ていると身体が痒い。掻きむしりたい。傷の治りかけの、かさぶたを剥がしたくなるような、むず痒さが全身に広がっていく。
寝苦しい夜は何日目だろうか。
そんな時は必ず同じ夢を観る。美しい青龍が大雨の降る空の中を飛び続けるのだ。
青龍は稲妻が走ると、光をシャワーの様に浴び気持ちよさそうに唸る。稲妻が当たる感触は、皮膚に、痒さと共に慣れ親しんだ感覚を伝えてくる。思い出せと脳裏に訴えるように。
***
寝苦しい夜が続いて寝不足でも、高校生の日常は目まぐるしくやって来る。
朝は苦手だが、六時には起きないと最低限の清潔感を保った一般以上レベルの男子高校生は生成されないのである。
俺、秦野星(はたの せい)は模範的善良な高三男子だ。
一応、学区では一番偏差値の高い高校に通っている。
シャワーを浴び終え、自室に戻る。伊達メガネを付けて黒髪マッシュヘアを整えていると、足元に黒い何かが光っている。
俺はため息をついて、異物を取り上げるとカバンの中にしまった。ゴミ箱に捨ててもいいのだが、なんだかお母さんには見られてはいけない気がした。
最近はそれを学校のゴミ箱に捨てる事が習慣化している。
「今日、バイトだから帰りは十時くらいになる」
「三年なのにバイトしてて大丈夫?あ、もうママ太れないからドーナツは貰ってこないでね?」
「大丈夫、俺内心点の評価いいから、推薦でいけそうだし。変に国立目指して浪人したら笑えないしね〜。あ、ドーナツ新作でも食べないって事?俺新作は購入して明日の朝ごはんにするけど」
お母さんは悔しそうな顔をしながら、新作には抗えない。と唸りながら新作ドーナツを俺に頼んだ。
***
朝の混雑する電車は苦手なので、比較的早い時間に教室には到着するようにしている。誰もいない教室は昼間の賑やかな雰囲気とガラリと顔を変える気がして好きだ。
匂いも湿度も空気の触感も違うのだ。そつ無くこなす程よい真面目な男子高校生である俺は、こうやって空き時間に勉学に励む。
バイトが終わってからだと眠いし、労働後はジャンキーな動画や音楽で自分を甘やかすのが最高のご褒美に感じる。
ズキ ズキ ズクンッ
キーーーーー
数学の応用に手をつけた瞬間、首元に鈍痛が走る。痛みが治まる頃に痒みとともに、耳鳴りがした。
まただ。痒みと共に身体がバラバラになり崩れ落ちる感覚が込み上げてくる。
額から吹きこぼれる汗を急いでカバンから出したハンカチで拭う。そして、我慢出来ずに項から広がる違和感に触れて掻きむしった。
パラパラパラパラ
朝足元に現れた、黒いゴミ。今は自分の首元から落ちた。俺は震えながら黒い異物を手のひらに乗せ、じっと見た。
これは……ゴミではない。
「鱗だ」
意図せず口から出した言葉が誰もいない教室へ響いた。教室の外から誰かが通りすがった気がしたが、朝練の奴らが通っただけだ。
俺は身体から生み出されたであろう鱗をポケットにしまった。後で、中身が見えない袋に入れてトイレのゴミ箱に捨てよう。
「星〜おはよ〜」
朝練を終えた、クラスメイトの柏木裕太が汗を拭きながら教室へ入ってきた。
「Switch全然当たんねーのな」
何時になったら買えるのやらと文句を言いながら、俺の前の席に座った。俺はポケットに入った鱗を触りながら、当たり障りなく空返事をした。
ポケットの中身の空間は現実と非現実が混ざり合って、酷く広く感じた。
自分に起きている不可解な現象が頭の中から離れなかったが、俺は一日をやり過ごすことに決めた。
ネットで症状を調べても、目を背けたくなる様な皮膚病しかヒットしなかった。大体の皮膚病は皮膚が硬くなる症状だった。
俺は皮膚が硬くなっているのではない。身体から鱗が剥がれているのだ。剥がれた場所は十七年間を共にしている人間の皮膚だ。
バイト先で同現象が起きないか不安だったが、休んで病院に行く勇気もなく、結局俺は労働先へ足を運んだ。
***
「新作発売日はやっぱり混んだね」
トングを洗浄機にかけながら大学生の同僚が微笑む。
俺はレジで釣り銭を合わせながら当たり障りなく返事をした。早く帰りたい。昨晩から連続して発生している痒みに怯えていた。
可愛い女子大生がいれば、いつもはそのままダラダラと雑談をするのだが、俺は帰りたい一心で作業を進めた。
「そういえば、あの人!今日は新作含めて二十個も買って行ったよ。すごいよね。ここ最近、週三は来てるよ。星くんが出勤してると高確率で来てる気がするんだけど…。制服、西高だよね?知らない?」
俺は、そんな奴いた?と空返事をしながら作業を進めた。頻繁に店を訪れて、ドーナツを大量に購入する奴。
普通に仕事してたら絶対覚えるし、俺も知っている。顔が良い奴なので、同僚は接触を持ちたいのか声高めで身体を揺らしながら話しを続けた。
そいつは去年の二月頃から店に現れるようになった気がする。俺と同じ西高の制服で、とにかく背が高い。
俺の身長は百七十五センチ程で、低くは無い。そいつは百八十センチを超えているだろう。
バイトの女の子はそいつが現れる度に話題にしていた。わからなくもない、切れ長の目は冷たそうに見えたが、従業員と交わす一言二言の会話は物腰低く、紳士的だ。
俺はバイト先ではモテている自覚があったため、そいつの人気度にはイライラしていた。
だから話題には出さなかったし、知らないふりをしていた。
いや、避けている理由はそれだけではない。怖いのだ。レジで何度か対応した事があったが、何かを見透かすような目は俺の目の奥を突き抜け、じんわりと汗をかかせた。
俺は身体の異変とそいつが関係がある事を確実に感じていた。首の皮膚が疼く気がする―。
一人の際に感じる首の痒みとは違う。体の芯から湧き上がる地響きのような鼓動を感じていた。
意識すると鼓動以外の異変が始まりそうで、俺は怖かった。とにかくそいつの話をするのが今は嫌だ。
レジ締めを終えると、俺は急いで勤務制服から着替え、新作ドーナツの紙袋を手にすると、自転車に跨った。早く帰ろう。帰ってから考えよう。
「秦野」
店裏の駐輪場に、ドーナツの袋を持った背が高い男がぬるっと顔を出した。
俺は自転車を漕ぎ始めた足を止め、そいつに苦笑いした。
「何?ごめん、急いでる。というか誰」
「これ、見覚えないか?」
そいつはポケットに手を入れると、一枚の黒い異物を目の高さに持ってきてヒラヒラと泳がせた。
なんで…鱗を…?俺の身体からバイト中に落ちてしまったのか?
あぁ!休めばよかった。どうしよう、バレてしまったのか?
頭の中でグルグルと自分の声が反響し、実際には声を出せない。固まった俺に奴はゆっくりと近づいてきた。
俺は自転車のサドルに脚をかけ、奴とは反対方向を向いた。
「ごめん!俺今日急ぐからまた!」
「ちょっ、秦野!秦野!まて!」
自転車を漕ぎ始めた俺を奴は迷いなく追いかける。俺は通知表、体育五しかとった事ない男だ。一心不乱に立ち漕ぎで逃げ切った。
俺自身がまだあの異物について向き合えていないのに、やめてくれ。
***
「おはよう、秦野星」
昨日の俺の必死な逃走は無惨にも昼休みに音を立てて崩れ去った。食べかけのドーナツを手からボトリと机に落としてしまった。
俺の体育五は無駄だったのか。
「俺も体育五だ」
「お前、心が読めるのか!?」
パシっと乾いた音を立てて、奴は俺の頭を軽く叩いた。
「お前が勝手に個人情報を開示してきただけだろ」
失礼なやつだな。
「話がある。秦野星」
グイッと手を引かれ耳元で囁かれた。その瞬間、首がチリッと焼けるように傷んだ気がした。
教室は、長身のイケメンの登場にザワついていたが、そいつは俺を担ぐと走って教室を出た。俺は身体をくねらせ抵抗したが、何故か力が入らない。
「おい!ちょっと!やめろ!恥ずかしいだろ!というかお前誰だ!」
「俺は、露木雷(つゆき あずま)だ。恥ずかしいのは俺もだ」
恥ずかしさを微塵に感じさせない淡々とした喋りで露木と名乗る男は、俺を担いだまま校舎裏の用務倉庫の前で止まり、ゆっくりと降ろした。
「入ってくれ」
露木は用務倉庫の鍵をポケットから取り出すと、鍵を開けて中に入る。
「自分の部屋みたいに言うなや」
俺はこれ以上の抵抗は無駄に感じ、中へ入った。露木は深呼吸をすると、俺の目の前にたち低い声でゆっくりと口を開いた。
「お前も気がついてると思うが。俺とお前は人間ではない」
は?人間ですけど…。何言い出すんだこいつは。
「お前の身体から出てきた物は、お前の皮膚が青年期を終え成龍に向かっているための脱皮した際の鱗だ」
俺は全く会話についていけず、口を開けることしか出来なかった。いや、ドン引きしていた。
「すまん、俺気がついてはないし、龍って何?あとなんでお前鱗の事知ってんの?気持ち悪い」
露木はしまったという顔で口元を手で隠した。
「申し訳ない。お前は頭が良いから全て察して繋げていると勝手に考えていた」
露木雷。コイツは少し馬鹿なのかもしれない。
「鱗について答えろ。なんで知ってんの」
「かなり長くなるが…端的に言うと、お前が落とした鱗を俺は回収していたんだ」
「うわ……気持ち悪い」
「なっ!失礼だな!お前!俺は早起きは苦手なのに、お前の後を付けるために朝五時に起きてたんだぞ!?お前がバイトの日はドーナツを沢山買ってイートインしたり、店の外でお前を見ながら食べたり……!!」
「ストーカーじゃねえか!」
露木はストーカーという単語にショックを受けたのかわなわなと身体を震わせ、青くなっていた。
「ストーカーではない……」
露木は小さな声で呟くと、下を見た。なんなんだコイツ。
「たしかに俺は最近、身体から鱗みたいな変な皮が身体から出ることがある」
「説明させてくれるか。あと本当にストーカーではない。秦野」
「分かった。真面目に聞く」
俺と露木は、用務室に置かれている体育マットの上に並んで座った。
「お前は龍だ」
しーん。と口に出したくなるくらい、露木の発言で寒くて居た堪れない空気になった。
「しーん」
口に出してしまった。
「馬鹿にしているのか」
露木が身体を俺にグイッと向けて、眉間に眉を寄せた顔を近づけた。
「近い。キモイ」
「キモイ!?俺が!?」
露木の身体が近づくと、チリと首が痛痒く感じる。その感触を抑えるために俺は首に手を当ててギュッと摘んだ。
「やっぱりな。痒いんだろ。首」
露木の手が俺の首筋にある手にそっと触れた。
ズキ ズキ ズクンッ
キィー!!!!
昨晩と同じ耳鳴りと痒みが俺を襲う。
俺は勢いよく、露木の手を振り払い無我夢中で首を掻きむしった。
バラバラバラバラッ……
今までとは桁違いの量の鱗が俺の首からはがれおちた。悍ましいのにキラキラと黒光する鱗が体育マットと床にちらばっている。
「やはり、近しい血があると、進みも早くなるのか」
「……なんなんだよ。これ……」
俺は荒い呼吸を上げながら、首を抑えて露木の目を見る。露木の瞳孔には電線が走っているように見えた。
目が会う度にパチパチと光る。俺は光に囚われたように動けない。美しい光だ。
露木は立ち上がると、一枚一枚鱗を拾い上げた。
「お前、数ヶ月前からだろ。痒み。それと当時に来る脱皮も」
「……。脱皮……?」
「そうだ。脱皮だ。繰り返し言うが、お前の身体は成龍になるための過程の途中だ」
「お前……何言ってんの……」
俺はバカにしたように空笑いをし、立ち上がった。
「じゃあ、これは何だ。説明が出来るか?」
露木は角度をゆっくりと変えながら鱗を見つめて、俺に座れと促した。
「全てを話すとお前は混乱し、バランスを崩すだろう。それは俺にとっても都合が悪い。秦野、とりあえずお前の面倒は俺が見る。いや見なくてはならない」
「面倒ってなんの……。気持ち悪い」
俺はおどけたように笑うが露木は鱗を一枚一枚チェックしていた。
ふざけてないとやっていられない。
首がズキズキと痛む。
「先程も言ったが、お前は龍だ」
「お前は?」
「俺もだ。当たり前だろう」
「当たり前って…」
「龍だからなんなの?龍だっていうならやめたい。この痒くなってキモイのが剥がれ落ちるのも…」
「無理だ。お前は龍だから。鱗が落ちるのは健康に成長している証だ」
「明日、病院に行く」
「今までずっと行かなかったろう?いや、行けなかったのか」
露木が首に触れようとしたが、俺はまた勢いよく振り払った。
「すまん。失礼な行為だった。お前は俺たちにとって、不可欠かつ神々しい存在だ。協力して欲しい」
こいつが話す内容は、ふざけているようだがどうにも作り話にも聞こえない。根拠はないが、露木は俺に嘘をつかない……気がするのだ。
「で、俺はどうなるわけ」
露木は、立ち上がり俺の前に膝まづき、目を見てゆっくりと口を開いた。
「青龍様。先程までの無礼な発言や立ち振る舞い、お詫び申し上げます。私は、稲妻を司る龍家、露木明の息子、雷と申します。青龍様。時は満ちました。ご帰還願います」
露木はそう告げると、少し微笑んだ。俺は露木の瞳に写っている自分の姿を見つめる事がやめられない。
パチパチと音が鳴りそうな黄色い光が瞳に写る俺を囲んでいた。
「なに急に!気持ち悪いな……。帰るって何処にだよ」
「京にございます、神の社です」
露木は、顔を上げ俺の目を捕らえるようじっと見た。露木の瞳の中には幾つもの小さな光が線になって集まっていた。
その線は、電線が絡まり合うように細かい光を発していて、瞬きをして見ても酷く美しかった。
***
どうやらすぐ京都まで拉致されるわけでも無さそうで、そのまま露木と教室へ戻り、俺は普通に授業を受け、自宅へ戻った。
露木の言っている事は、よくある漫画やラノベの中の話の様で、俺は信じられ……なくないのだ。
鱗の事があるから。
露木はチューブに入った塗り薬を取り出し、俺の首に塗った。これで数日は痒みを伴う脱皮?は抑えられるらしい。
その薬を俺に渡せと言ったが、露木はニヤリと口角を上げてこう言った。
「塗って欲しければ、俺が塗ってやる」
あいつ、ストーカーな上に変態でもあるな…。
一連の流れに現実味はないが、あいつの話は何故か信用出来る。俺は、ポケットに入れたままだった鱗を一枚取り出して、ベッドに身体を投げた。それを深呼吸をしてから見つめる。
全体的に黒いのに、中は小さな星を集めたかのように星空が広がっていた。角度を変えればキラキラと光を放つ。
俺が見ているのを感じたように、見れば見るほど光は強くなった。こんなにも異質な物体なのに、不気味には思えない。
見ていると不思議と心が休まる。今まで感じたことがない安堵感。なんだろう。無くした片割れを見つけたような。母子家庭だからか?
いや、母は優しくていつも俺に寄り添ってくれる。そりゃあ鍵っ子だったから一人で母を待つ時間もあったりして寂しかったけど…。
寂しかった…寂しかった…?そうだ、寂しかった。それはそれは暗い穴の中に落ちてしまったように。穴から外を見上げても小さな光が見えるだけ。穴に向かって、小さな俺は叫ぶんだ。
(誰か!誰か!怖い!暗いよ!嫌だ!怖い!怖い!怖い!)
叫び続けても、誰からも反応はない。俺は捨てられた…。泣きじゃくっても、叫んでも、呟いても、また喚いても誰も助けてくれないんだ。
「やば、脂汗かいたな。子供の頃の夢思い出してどーすんの」
鱗をなんだか捨てる気にはなれず、子供の頃に使っていた巾着に入れて、カバンにしまった。
「この巾着。懐かし。欲しかったポケモンの絵柄じゃなくて気に入らなかったんだよなぁ。お母さんの顔、申し訳なさそうだったな」
俺はそのまま深い眠りについた。風呂に入らず眠るなんて、有り得ない。インフルエンザ以外は許されない。
でも、今日は酷く疲れたからいいだろうか。そう言えば…あの夢はたしか続きがあったはず。
泣きわめく俺は途方にくれて、そう、今みたいに眠ってしまったんだ。
(寒い、怖い。お母さん、お父さん。なんで来てくれないんだ。みんな、この夢を見る時は…お母さんお父さんが迎えに来るって言ってたんだ。寒いよ。寂しいよ。一人はいやだよ。なんで俺には…誰にも来てくれないの)
暗く深い穴には小さな龍が蹲って啜り泣いていた。
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