青い、青い海。

指野 光香

青が好きだったお前と

「いよいよ明日と思うと……なんか緊張するな」

「そうかぁ? 形だけだろお前らの式なんて」

「あるんだよ色々と……万年独り身男にはわかんねぇかもしんねえけどさ!」


 彼は、いつも真ん中にはいない。

 けれど、輪の外にもいない。

 どこにでもいて、誰とでも仲良くやれて、誰からも好かれる男。

 その代わりどこにもいなくて、誰とも一線を引いて、誰にも心を開かない男。

 そんな男が、この海にだけは剥き出しの命を曝け出していることは、多分、俺だけが知っていた。


「ひっでぇ。散々車出してやったのにさぁ」

「じょーだんだよ、じょーだん! 感謝してますよ、親友」


 はじまりは高校二年の夏。

 勉強と部活と家庭とすべてを投げ出して原付を飛ばした先、見慣れない海沿いを歩く途中、見慣れた鞄を見かけた。その持ち主は防波堤に座って遠くを眺めていた。

 青い空と灰色の海によく似合う日焼けした肌。

 水面に反射した太陽光を受けて光るこげ茶色の髪の毛と、なおその暗さを増す射干玉の瞳。

 あまりに絵になっていたもんだから、つい声をかけてしまった。それから、俺たちの友情ははじまった。

 一緒に原付を飛ばしていろんな海岸を走った。いつもお前は手の届かないほど遠くを見ていた。

 車の免許を取ってからは釣り具を載せていろんな場所へ釣りに行った。はじめて一本の糸を介して海と繋がったとき、実はお前が泣きそうになってたことも俺は知ってる。

 大学に行っても就職しても、俺たちは毎週末二人で糸を垂らした。

 お前は「この時間だけは気が安らぐ」と言ってくれたけど、お前に救われていたのは俺の方だったよ。


「ほんっと調子いいやつ。てかお前、結局ルアーも持ちっぱじゃん」

「あ! わりぃ忘れてた……や、いうてこれからも一緒に釣り行くべ、俺ら」

「どうだか。四カ月後にはパパだろ。釣りなんか行ってる場合じゃなくなるよ」

「そ、れはそうだけど……でもいつまでも赤ちゃんってわけじゃねえんだから。いつか奥さんも子どもも連れて四人でさ」

「そこまで責任持てねえよ。お前ひとりでも運転気ぃ使うのに」


 でも、明日から本当に、お前は一人じゃなくなる。誰かの隣に居場所を作って、一線を越えて、その人に心を開いた。

 俺以外も知ることになった、お前の剥き出しの命。

 俺だけは知れない、お前の生き方。


「そう言うなよ。こいつが俺の親友だぞって、家族にはちゃんと紹介したいんだよ。できればあの、俺らが出会った海で」

「なっつかしいなあ。ま、考えといてやるからさ、それまで捨てられないように奥さん大事にしろよ」

「わぁってらぁ。言われるまでもねえ」


 きっと今日が最後の、二人きりのドライブ。


「今日も海はきれいだなあああああ!??」


 そう思うと耐えきれなくて、つい急ブレーキを踏んだ。


「なに!? なにどした!??!?」

「……結局、ずっと聞けなかったんだけどさあ」

「? お、おう?」

「お前、海の何が好きなん?」

「あー? そうだなぁ~……」

「ずっと、ずっと聞きたかったんだよな……釣り好きになったのも関係あるか?」

「……恥ずい答えしか浮かばねえや」

「聞かせろよ。ルアー忘れた分だと思え」

「笑うなよ? ……海って、綺麗じゃん。深い青と生命がずっと続いててさぁ、遥か彼方では空とも星とも混じって一つになれる! だからリールでつながってるときは、俺もこの星に居場所があるって実感できて好きだった」

「そうか……そうかぁぁ…………」


 お前はずっと、求めてたんだよな。


「んだよ。笑えよいっそ」

「……笑わねえよ。真面目な答えだろ」

「まーな。だから声かけてくれたお前には感謝してんだよ、ずっと。こんな世界があるって教えてくれてありがとな」

「そうだな。釣りがなかったら奥さんとは会えなかったもんな」

「それもある! 感謝してるぜキューピットさま!」


 俺じゃあ与えられなかったんだよな。

 十年以上そばにいて、それでもお前が満ちることはなかったんだよな。

 なのに俺の見せた世界が巡り巡ってお前の居場所になったのは……何とも皮肉だ。


「せっかく停まったんだし、降りようぜ」

「路駐。俺が捕まんだけど」

「離れなければ大丈夫だって。ハザード焚いてすぐそこ行くだけ! な?」

「……しゃあねえなあ」

「そうこなくちゃ!」


 俺が車を降りるころにはお前はもう防波堤の上まで駆け上がっていた。

 あの日と同じ、日焼けした肌。こげ茶色の髪。

 あの日と違う、茜色の空。群青の海。

 今日を限りの、漆黒の瞳。俺だけを映した、お前の眼。


「これからは、今まで通りってわけにはいかねえけどさ」


 俺が隣に立つのをたっぷり待ってから、お前はたっっっぷり溜めた言葉を放った。


「けど、俺にとってお前は世界一の親友で、恩人だ。それは永劫変わんねぇ」

「んだよ、こんな日に口説いてんのか?」

「馬鹿か。だからよ、お前が困ったときは、今度は俺の番だ。いつでもどこでも駆けつけて、命でもなんでも賭けてやる」

「馬鹿はお前だよ。それは家族に使ってやれ」

「もちろん。だけど俺にとってはお前もそのくらいの存在だ! って、ちゃんと言っときたかった。それだけ」


 俺たちの間を吹き抜けた一陣の潮風のように、あっという間にお前は助手席に戻りやがる。

 答え一つ返させちゃくれない。

 本心一つ言わせちゃくれない。


「ま、とりあえずしばらくはこのドライブもお預けだなぁ。パパ活がんばんねえとなぁ」

「冗談じゃすまんぞ、俺らもうおっさんになるんだからな? ……あと言ってなかったけど、俺海外赴任決まったから。仮に独身のままでもしばらくお預けだったよ」

「まじか!? おめでとう、いやまず言えよ~、送別会やるよな!?」

「はは、んな時間ねえよ。式が終わったらそのまま出国さ」

「ええ~……や、てかそんなときにごめんな!?」

「いいんだよ。俺が誘ったんだから」

「いや、俺から言ったろ今回は。ま、よかったよ最後に二人で会えて」


 ちげえよ。

 この恋の始まりは、俺がお前に見とれちまったからで。

 この恋の終わりは、俺がお前と海を繋げちまったからだ。

 どっちも、俺のせい。


「ま、じゃあお前向こうで結婚するかもしれねえわけ?」

「しねえよ。俺の好みは結構うるせえから」

「おー、そういや聞いたことないわ。聞きてえかも」

「……義理堅くて、社交性があって、でも人嫌いで、秘密主義で」

「なんか思ってたんとちがうな」

「釣りが好きで、海が好きで、それで」

「……うん」

「誰かのために生きられる、人かな」

「はは、そうか」


 今、俺が握るハンドルを大きく左に切ったら。

 橋から落下した車体はそのまま海の藻屑になることだろう。

 そうしたら俺たちは一緒になれる。

 そうしなきゃ、俺たちは一緒になれない。


「二人で見る海が、な」

「ん?」

「なんでもない。ほら前見ろよドライバー。安全運転で頼むぜ」

「わーってるよ。ちゃんと家族のとこまで送るって」


 だから俺は、この海を往くんだ。

 その防波堤の、向こうへ。

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青い、青い海。 指野 光香 @AlsNechi1436

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