「ただの老いぼれ執事ですが、何か?」〜お嬢様を追放した愚かな王子たちへ。私が現役時代に「剣聖」と呼ばれていたことは、内緒にしておいてくださいね〜

kuni

第1話

「シルヴィア・ラングレー! 貴様との婚約を、この場を持って破棄する!」


 王城の大広間に、耳障りな甲高い声が響き渡った。

 煌びやかなシャンデリアの下、着飾った貴族たちがざわめきと共に道を開ける。

 その視線の先にいるのは、この国の第二王子であるジェラルド殿下と、その腕にべったりと張り付いている男爵令嬢のマリー様。

 そして、殿下に指を突きつけられ、顔面蒼白になっているのが、わが主(あるじ)である公爵令嬢、シルヴィアお嬢様だ。


「で、殿下……? 急に何を仰るのですか? 来月には結婚式が……」

「黙れ! お前のような華がなく、可愛げもなく、俺の心の支えにもなれないような地味な女は、王妃にふさわしくないのだよ!」


 殿下は鼻を鳴らし、勝ち誇ったように隣のマリー様の腰を抱き寄せた。


「見ろ、このマリーの可憐さを! 彼女こそが『真実の愛』だ。お前のように、いつも『書類仕事が』だの『予算が』だのと、小言ばかり言う陰気な女とは違う!」

「小言などでは……! 殿下が執務を放り出して街へ遊びに行かれるから、私が代わりに決済を……」

「言い訳をするな! 大方、俺の能力に嫉妬して、俺の評判を落とそうとしていたのだろう?」


 やれやれ。

 私はシルヴィアお嬢様の一歩後ろに控えながら、内心で深く溜息をついた。

 私の名前はグレン。ラングレー公爵家に長年仕えている、ただの執事である。

 今年で七十歳。寄る年波には勝てず、最近は腰痛と老眼に悩まされる日々だ。

 そんな老いぼれの目から見ても、今の殿下の発言は噴飯ものだった。


 この国の内政が回っているのは、ひとえにシルヴィアお嬢様が影で支えているからだ。

 優秀すぎるお嬢様が、無能な殿下の尻拭いを完璧にこなしてしまっているがゆえに、殿下はご自身の無能さに気づいていない。

 まさに『裸の王様』ならぬ『裸の王子様』である。


「さらに、俺が許せないのは……その薄汚い従者だ!」


 不意に、殿下の矛先が私に向いた。


「おい、そこの老いぼれ! 貴様だ!」

「……おや、私のことでございますか?」


 私はゆっくりと腰を曲げ、恭しく一礼した。


「左様でございます。しがない老人ですが、何か?」

「その態度だ! 王族の御前であるにも関わらず、いつも眠そうな顔をしおって! 見ているだけで不愉快なんだよ!」

「申し訳ございません。どうにも最近、まぶたが重くて……」

「ふん、言い訳は見苦しいぞ。大方、主人であるシルヴィアが無能だから、従者もたるんでいるのだろう」


 殿下は嗜虐的な笑みを浮かべ、周囲の近衛騎士たちに目配せをした。


「おい、その薄汚い二人を捕らえろ! 王族侮辱罪および、国政を混乱させた罪で断罪する!」

「はっ!」


 殿下の命令を受け、二人の近衛騎士がガチャガチャと鎧を鳴らして歩み寄ってくる。

 お嬢様が「きゃっ」と小さく悲鳴を上げた。

 騎士の一人が、お嬢様の細い腕を乱暴に掴もうと手を伸ばす。


「おとなしくしろ!」


 その瞬間だった。


 ――コン。


 乾いた音が、大広間に響いた。


「あ、が……っ!?」


 お嬢様に触れようとした騎士が、突然、悲鳴を上げてその場にうずくまったのだ。

 彼は自分の手首を抑え、脂汗を流しながら震えている。

 まるで、巨大な鉄塊で粉砕されたかのように、手首があらぬ方向へ曲がっていた。


「な、何だ!? 何をした!?」


 もう一人の騎士が剣を抜こうと身構える。

 私は「おや?」と首を傾げ、自分の手元にある杖を見つめた。


「申し訳ございません。どうにも最近、手の震えが止まらなくて……」


 私はプルプルとわざとらしく手を震わせてみせる。


「杖を持ち直そうとしたのですが、手元が狂って当たってしまったようです。まさか、軽く当たっただけで、王国の精鋭である近衛騎士様が骨折されるとは……。いやはや、最近の騎士様は骨が弱くていらっしゃいますな。カルシウムが足りていないのでは?」

「き、貴様……!」


 騎士が顔を真っ赤にして怒るが、私はあくまで「老人の過ち」という顔を崩さない。

 殿下が顔を引きつらせて叫んだ。


「ええい、気持ち悪いジジイだ! もういい! 貴様らは国外追放だ! 北の辺境、『死の森』へ今すぐ消え失せろ! 二度と俺の前に顔を見せるな!」


 死の森。

 そこはSランクの魔物が跋扈し、入った者が二度と戻らないと言われる魔境だ。

 事実上の死刑宣告に、会場からは冷ややかな嘲笑が漏れる。


 お嬢様が絶望に膝を折ろうとした瞬間、私はそっとその背中を支えた。


「行きましょう、お嬢様」

「で、でも、爺や……」

「こんな埃っぽい場所は、お嬢様の肌に良くありません。ちょうど、静かな場所で茶葉の栽培でもしたいと思っていたところです」


 私は殿下に背を向け、優雅に一礼した。

 その目には、侮蔑も、怒りも浮かべない。ただ、道端の石ころを見るような無関心を込めて。


「それでは殿下。どうぞ、その『真実の愛』とやらとお幸せに」


 そう言い残し、私は震えるお嬢様の手を引いて、大広間を後にした。

 背後で殿下が何か喚いていたが、私の遠くなった耳にはもう届かなかった。


 ◇ ◇ ◇


 王都を追放されてから数時間。

 私たちを乗せたボロボロの馬車は、石畳の街道を抜け、鬱蒼とした森へと続く獣道を進んでいた。

 御者もいない。手綱を握るのも私の役目だ。


 ガタゴトと揺れる馬車の中で、シルヴィアお嬢様は目を赤く腫らしていた。


「……ごめんね、爺や」


 消え入りそうな声だった。


「私のせいで、爺やまでこんな目に……。長年尽くしてくれたのに、退職金どころか、こんな魔境へ連れてきてしまうなんて」

「何を仰いますか」


 私は手綱を固定し、馬車の客室へと移動する。

 そして、どこからともなく取り出したティーセットを、揺れる車内で器用に展開した。


「お嬢様の淹れる紅茶より美味しい店を、私はまだ知りませんので。お嬢様がいなくなるなら、私だけ王都に残る理由がありませんよ」

「爺や……」

「さあ、まずは一杯どうぞ。心を落ち着かせるハーブティーです」


 湯気の立つカップを差し出すと、お嬢様は涙を拭い、小さく微笑んで口をつけた。

 その時だ。


 ――ヒュンッ!


 鋭い風切り音と共に、何かが馬車の屋根に突き刺さった。矢だ。

 続いて、周囲の茂みから殺気立った男たちが姿を現す。

 全身を黒装束に包んだ集団。その動き、明らかに素人ではない。

 王家直属の暗殺部隊、『影の牙』だろう。

 殿下も用心深いことだ。「死の森」へ着く前に、確実に我々を始末するつもりらしい。


「きゃっ!?」

「おっと、いけませんね」


 お嬢様が怯えてカップを落としそうになるのを、私は空中で優しくキャッチした。

 一滴もこぼれていない。


「車輪の調子が悪いようです。少々、見て参りますね」

「え? で、でも、外には……!」

「大丈夫ですよ。すぐに終わります。お嬢様は、そのまま紅茶を楽しんでいてください。決して、カーテンを開けてはいけませんよ?」


 私は子供に言い聞かせるように微笑むと、ステッキを手に馬車の外へと降り立った。


 外には、十数人の暗殺者が待ち構えていた。

 彼らは一様に、この老いぼれを見て鼻で笑った。


「なんだ、出てきたのはヨボヨボの爺さん一人か」

「公爵令嬢はどうした? まあいい、まずはこの老いぼれから片付けろ」


 リーダー格と思われる男が合図をすると、三人の男が同時に飛びかかってきた。

 短剣が月の光を反射し、私の首元へと迫る。

 速い。

 常人であれば、悲鳴を上げる間もなく絶命していただろう。


 ――だが。


「……遅い」


 私にとっては、あくびが出るほどの止まった世界だ。

 私は「よいしょ」と声を出しながら、手にしたステッキを軽く横に薙いだ。


 ゴオオオオオオッ!!


 ただステッキを振っただけだ。

 しかし、そこから生じたのは、暴風と見紛うごとき衝撃波だった。

 飛びかかってきた三人の男は、短剣ごと吹き飛び、背後の大木に叩きつけられて動かなくなった。


「な、なんだ……!?」

「魔法か!? いや、魔力の光は見えなかったぞ!?」


 残った暗殺者たちが狼狽する。

 私はコンコン、とステッキで肩を叩きながら、ゆっくりと彼らに歩み寄った。


「やれやれ。最近は物騒ですね。森の掃除も楽ではありません」

「き、貴様、何者だ! ただの執事ではないな!?」

「何者、ですか」


 私はモノクルの位置を直しながら、困ったように眉を下げた。


「昔は『剣聖』だの『帝国最強』だのと物騒な名前で呼ばれておりましたが……今はただの老いぼれ執事ですよ。名前など、忘れてしまいました」


 そう言った瞬間、私は姿を消した。

 いや、彼らの動体視力を遥かに超える速度で踏み込んだのだ。


「え?」


 暗殺者の一人が間の抜けた声を上げる。

 次の瞬間、全員の武器が粉々に砕け散り、全員が同時に地面に崩れ落ちた。

 峰打ち……ならぬ、ステッキ打ちである。

 殺してはいない。だが、全身の骨が悲鳴を上げているだろうから、当分は立ち上がれないはずだ。


「ふぅ。やはり腰に響きますな」


 私はトントンと腰を叩くと、懐からハンカチを取り出し、ステッキについた埃を丁寧に拭き取った。

 そして何事もなかったかのような顔で、馬車へと戻る。


「お待たせいたしました、お嬢様」


 扉を開けると、お嬢様が心配そうに私を見上げた。


「大丈夫だった? 外で凄い音がしたけれど……」

「ええ、車輪に枯れ枝が絡まっていただけですよ。少し手荒く取り除きましたが、もう大丈夫です」

「そう……よかった」


 お嬢様は安堵の息を吐き、再び紅茶を口にした。


「美味しい……。やっぱり、爺やの淹れる紅茶は世界一ね」

「お褒めに預かり光栄です」


 私は恭しく一礼する。

 馬車は再び動き出した。

 目指すは「死の森」。

 世間では絶望の地と呼ばれているが、私にとっては、現役時代に庭のように駆け回っていた場所だ。


「さて、まずは住居の確保ですね。……昔馴染みのドワーフたちに、声をかけておきましょうか」


 私は御者台で手綱を握りながら、夜空に浮かぶ月を見上げた。

 愚かな王子たちよ。

 貴方たちは、虎の尾を踏んだのではない。

 眠れる竜の逆鱗を、自ら踏み抜いたのだということに、まだ気づいていないようですね。


 こうして、追放されたお嬢様と、ただの老いぼれ執事による、辺境スローライフ(建国無双)が幕を開けたのである。

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