夢見る家
榛葉琥珀
前編
「そういえばこの前、叔父の話、聞きたいって言ってたよね」
神保町の喫茶店で、次の書き下ろし小説の構想について打ち合わせが終わり、一息入れていた時だった。少し多めに砂糖を入れた珈琲をすすりながら、
何のことかと記憶を探り、つい先日、彼女が親戚の葬儀を終えたと電話で聞いた時のことを僕は思い出した。
「ああ。行方不明だった叔父さんの死にまつわる話があるってやつですか?」
「そう。聞きたい?」
篠宮は意味深な笑みを浮かべて僕の反応を見ている。僕も編集者という職業柄、その手の話は嫌いではない。しかし、彼女の表情に引っかかり、素直に聞きたいと言っていいものか迷う。
「……何ですか、もったいぶらないでくださいよ。そんなにヤバい話なんですか?」
「あはは! 大丈夫。聞いたら恐怖が感染するとか、家に憑いてくるとか、そんな系じゃないから」
篠宮は楽しそうに笑った。実話怪談話が好きで、「住んではいけない」やら「○○を見た」やらの動画を見ている僕のことを知っていて、揶揄しているのがわかった。人が悪い。
ひとしきり笑った彼女は、珈琲を飲んでひと息つくと、こう切り出した。
「――あのね。『家が夢を見る』ってあると思う?」
私、出身はS県だって知ってるよね。S県S市。新幹線も停まるし、駅前は商店街が賑わっているけれど、車で十分も走ればのんびりとした田畑が広がるようなところよ。
私が住んでたのは、家の後ろにちょっとしたハイキングコースがある山と、周りはミカン畑と雑木林、隣の家までは畑を超えないといけない、そんな場所だった。小学三年生までは中心街に近い団地に住んでたんだけど、私の父には一軒家に住む夢があって。たまたま土地も家も安く手に入ったからって引っ越すことになったの。
その家はかなり特徴的で、まるで別荘地のペンションみたいな外見だった。三角屋根は白で外壁は明るいブルーだったわ。しかも三階建て。とてもかわいくておしゃれでね。中心街から辺鄙なところに引っ越すってふてくされていた私たちきょうだいは、いっぺんでその家が好きになったわ。
その家の前のご夫婦は、年老いて老人ホームに入るとのことで、その資金のために売りたいという話だった。リフォームして数年だけど、お子さんたちはそれぞれ地方で住んでいるし、相続なんかも済ませてしまいたかったみたい。まとまったお金が必要とのことで、いっそのこと手放すという話だった。
その家を、いざ買うとなった時、奇妙な『約束』を伝えられたわ。
――「この家のある部屋の夢を見たら、その場所には一週間行かないこと」。
なんか変な話だと思うでしょ? 私たちも初めはそう思った。もしかして、この家はいわくつきなんじゃないかって。
父と母が、詳しくご夫婦に訊いてみたんだけれど、自分たちも前の持ち主からそう聞いて数年過ごしたと言ったわ。ご夫婦も半信半疑だったらしいんだけど、暫く住んでみてその意味が理解できたって。奇妙な話で、買うのが嫌になってしまっても仕方がない。よく考えてくださいって。
それと、少なくともご夫婦の前の持ち主は、海外に行くため手放したのでそこで亡くなったわけではないことが、不動産屋を通じてわかっていた。
父と母は、私たちきょうだいにも同じことを話して、どうしたい? て訊いた。でも子供ってそういう『秘密』が大好きでしょう? 私と弟はそれを聞いてワクワクしたわ。一も二もなく賛成した。それに気が早いことに、中を見学して子供部屋は三階がいいって二人で決めてたのよ、こっそりね。
今度こそ買うと決めて連絡したら、ご夫婦もとても喜んでいたみたい。「この家は子供が住むのにぴったりだから、家も喜んでいると思う。暫く子供は住んでいなかったから」――そう言われたって。まるで、家に意思があるみたいにね。
そんな訳で、私たちはその奇妙な『約束』ごと、その家を手に入れた。
でもね、拍子抜けするくらい本当に普通の家だったのよ。普通って言い方が変なんだけれど。
前のご夫婦が、外装と水回りだけきれいにリフォームしてくれた中古のその一軒家で、私たち家族は七年くらい過ごしたわ。私が小学生から高校生まで。
――夢? うん。見たわ。でも、住み始めて二年くらい経った頃だったかなあ。だからそんな『約束』のことなんて忘れてたのよね。数日して、家の夢を見たことを思い出したのよ。
私が夢で見たのはね、両親の部屋のクローゼットだった。それが、クローゼットじゃなくて扉に変わってた。その扉の向こうは廊下で、廊下の先にも部屋があったわ。突き当りに窓があって、窓から外を眺めたのを覚えているわ。
……でも、そんなところないのよ。そこは現実では二階の窓先の空中なの。そんな場所から外を見たことなんてないのに、夢の中では、その空中が窓になっていて、そこから家の外を見ていたわ。雑木林を透かして隣の家を見たのを覚えている。そんな景色見たことないのに。不思議よね。
幸いなことに、両親の部屋のクローゼットなんてめったに行かない場所だったから、その『約束』は忘れていたけれど結果として守れたのよね。でも、このことか、って思ってから暫くは両親に話せなかったわ。……怖い、と言うのともちょっと違うんだけど。口に出すと、そのことを現実問題として考えなくちゃいけなくなるのが何だか勿体なかったのかもね。「自分は家の夢を見たぞ」って『秘密』にしておきたい気持ちというか。
私は一、二年に一度くらい、忘れたころに『クローゼットの夢』を見てた。そして誰にも話さなかったけれど、『約束』も守っていた。
父も母も弟も、その話題を口にすることはなかったわ。
――暫くして、父の事業が立ち行かなくなって、その家を売らなければならなくなったの。――悲しかった。でも、どうしようもなかった。
父の仕事仲間の伝手で、東京に職と住む場所が見つかった。弟は転校して、私は一年浪人して東京の国公立大を受験することになったわ。悔しさややるせなさはあったけれど、家族で前向きに頑張ろうって思ってた。そして幸いにも、家の状態がよかったから、すぐに借り手が見つかりそうだったのよ。
ところがね……私の父の弟――叔父が、横槍を入れてきた。あの家に住みたいって。
叔父は、実家暮らしで引きこもってて。祖父母、とりわけ祖母が末っ子だから甘やかしてね。ろくに働いていなかったしお金もなかったのに、私たちの住んでいた家を気に入ったらしかったわ。
冗談じゃない、って最初は父も突っぱねたわ。買い手だってちゃんとした人だったし、こちらの値で買ってくれるって話だったのよ。でも、東京に来てからは頻繁に戻れないことをいいことに、嫌がらせをしてきてね。私たち家族だけじゃなくて、買い手の人にも。気が滅入ることに、祖母もいっしょになってやっていた。電話を何回も掛けてきて留守電がいっぱいになったわ。昼間も夜も関係なく掛けてきて大声で怒鳴って、時には酔っぱらった状態で。
……父も母も、最後は音を上げた。叔父に二束三文で家を譲ったのよ。もちろん、金を出したのは祖父母よね。
――あの頃は辛かったわ。父は慣れない仕事に変わって、母もパートに出るようになっていたから、私は受験勉強だけでなく、家事も手伝っていた。弟も多感な時期で転校したし、一軒家から狭いアパートに引っ越したことに苛立ってよくケンカしたわ。そして、追い打ちをかけるかのように、叔父と祖父母から色々言われて。故郷の知り合いに、あることないこと吹聴もしていたらしいわ。知り合いからも心配する連絡がきて、恥ずかしいやらやるせないやらで。
――だからね、ちょっとした復讐のつもりだったのよ。『約束』を伝えなかったのは。
実際は、あまりにもごたごたしすぎて、そんな話をする余裕がなかっただけなんだけれど。結果的に、その『約束』を言い忘れたのに気が付いたのは、一年くらい経ってからだった。
……私が、あの家の夢をまた見たの。あの『別の空間に繋がるクローゼット』の夢を。
私、東京に出てきて、両親に初めてあの家の夢の話をしたの。まるで、あの『家』が私を呼んでいるような気がして。
そうしたらね、その夢を、両親も弟も見ていたの。同じ『クローゼット』の夢を。
驚いたわ。私たちはそこで初めて、同じ夢を見ていたことを知ったのよ。夢を見たのはそれぞれ違う日、夢での行動も違ったけれど、決まって見るのは『別の空間に繋がるクローゼット』だった。まるで、家が『持ち主に夢を見せてる』ような、そんな気がしたわ。
さあ、どうする? ……私たちは考えた。でも、『約束』を守らなかったどうなるか、肝心のそこは、聞かされていなかったの。私たちも迂闊だけれど、その『秘密』ごとその家を愛してたから、どうなるかなんてどうでもよかった。
……でも、叔父はどうだろう? そこまで考えて、そこまで私たちが考える必要があるのか? と思った。だいたい、叔父が夢を見て、どうするかなんて私たちにはどうでもいいでしょ? 叔父と祖父母には散々な目に遭ったのよ。私たちは家も金をも奪われたも同然なのに、忠告してあげるなんてお人好しすぎるでしょう?
……結局、何も言わなかったわ。酷いかもしれないわね。
――叔父が失踪したのは、その家に住み始めて二年過ぎた頃だった。
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