風に乗れ

美心(みごころ) かえで

第1話 日常 流れるままに

 明日香あすか第一小学校の正門に高くそびえる二本の木。下校のときに、稲田翔一(いなだ しょういち)はいつも眺めている。


「一体何年経ったらこんなに高くなるんだろう」


 てっぺんまで見上げると、その先は青い空に続いていた。どこまでも先に青く青く、ときどき小さな雲が、「ささささ」っと流れていく。


「本当に高いな~」


 冷たい風が「ビュッ」と吹く。


 翔一は空の高さに心を奪われて、寒さを忘れていた。


「この風に乗って、あの空の彼方に行けたらな~」


 下校のとき、翔一は決まってそう空想に耽る。


「いなボー」

 叫び声を聞いた途端、翔一は前に吹っ飛んだ。地面に倒れ込むのを何とか体勢を立て直し、踏みとどまった。


「一緒に帰るって約束したじゃん」

 振り返るまでもなく声で分かる。

 花岡幸雄はなおか さちお、あだ名は「さっち」だ。翔一の親友であり悪友だ。

 すかさず翔一の首に手を回し、抱きついてきた。


「あ~あ、今日も途中までは、このままべったりくっ付かれたままなんだな…」

 翔一は独り言を言った。

 学校ではいつもクラスの中心にいてワイワイやっている翔一だが、時々どうしようもなく一人になりたくなるときがある。今日もそんな気分だったから、ついさっちとの約束をすっぽかして一人で歩いていた。

 かと言って翔一は、そんなさっちの接し方が嫌いではない。こんな強引なやり方は、むしろ落ち込んだ気持ちを無理やり明るくしてくれる。


「俺を慕ってくれる友達がいて恵まれてるな」


 翔一は思った。

 二人はぴたりとくっ付いて、じゃれ合いながら歩いている。さっちの家に着くまでは、いつもこんな調子だ。

 さっちの家は坂の途中にある、かなり古い1階建ての一軒家だ。でも広くて、奥へ奥へと部屋がいくつもあるちょっとした迷路だ。さっちのお母さんは、買い物なんかには日本の小さめの車を使っているが、横のガレージには、巨大な白塗りの外車が停めてある。普通の車2台分はある長さだ。


「本当にこんなもん動くんだろうか。道が狭いこの町じゃ、運転するのも大変だろうな」

 別れ際、さっちが聞いてきた。


「いなボーさあ、今日しっ君ち行くだろ。しっ君が来いって」

 しっ君こと品川 しながわ ひろし、翔一のもう一人の大親友。でもしっ君は悪友ではない。

 なんと言うか、すごく大人びていて、一緒にいるととても安心する存在だ。クラスで一番体格がいいが、太ってる訳ではなく筋肉質だ。身体だけでなく、精神的にも非常に大人で、とても頼りがいがある。

 何故かは知らないが、お父さんはいない。でも家族はとても仲が良く幸せそうだ。


「うん、家にランドセル置いたら、さっちんちに行くよ、20分くらいで」

 翔一が答えた。当然宿題はしない。二人は軽く手を振り別れた。


 翔一の家の前の道に出た。舗装はされてなくて石や土で凸凹だ。足を挫かないように注意しながら歩き、家に着いた。小さな家だ。ドアを開ける。鍵はかかっていない。


「ただいま」

 狭い玄関のすぐ先はもうリビングだ。

 リビング…、実際はそんな風に呼べたものではない。6畳二間と4畳の台所にトイレ、庭というか空き地に風呂、3畳の両親の仕事部屋、これが翔一家のすべてだ。1階建てで、もう建って何十年経つんだろう。

 ミシンの音が聞こえる。軽快に走り、止まり、また走る。家は洋服屋をしている。住居兼店舗だ。外の看板がなければ、普通の小さな家。


「おかえり」

 母の声が聞こえた。翔一がランドセルを置き出かけようとすると、


「宿題は?」

と母がいつもの調子で聞いてくる。


「あとで」

翔一もいつもの調子で返した。


 自転車でさっちの家に着いた。あっという間だ。階段を数段上がって呼び鈴を鳴らそうとすると、


「ウワッ、ワッワッワッ」


 いきなり巨大な塊が飛びかかってきた。翔一は階段を踏み外しよろけた。騒ぎを聞きつけたさっちが慌てて飛び出してくる。


「ジョン、やめろ、おいジョン!」

 さっちが全身を使って何とか押さえつける。「ライオン丸」、さっちの家で飼っている犬だ。コリーとかいう犬でとにかくバカでかい。背中に乗れそうだ。翔一は過去に数回追い回されたことがある。


「犬って、怖がって逃げ回る人間を見ると楽しいみたいだ」

 翔一は逃げ回る間、チラッと後ろを振り向くと犬がニタニタ笑っているのを見たことがある。間違いなく笑っていた。

 だから「ライオン丸」が階段の脇にいるのは分かっているんだけど、恐怖で腰が砕けてしまう。


「ふうっ、おっかねえ…」


「さあ、行こうぜ」

 さっちが軽快に自転車をこぎ始め、翔一がついていく。

 さっちはウィリーをやって見せた。ウィリーとは、自転車の前輪を上げて走ることだ。 

 翔一も負けじとやってみるが、ちょっと上がったと思ったら、あっちへふらふらこっちへふらふら、とても走れたもんじゃない。

 さっちは遥か遠くへ行ってしまった。翔一は、ウィリーを諦めてさっちを追った。さっちは、まだウィリーを続けている。しかも片手運転、すごいバランス感覚だ。


「こいつ天才だな~」

 翔一はニヤッと笑い感心した。


 しっ君の家に着いた。酒屋さんで表通りに面して店になっている。脇の道を抜けて裏口に回った。引き戸を開けて


「しっ君」

と呼ぶ。


「よう、さっち、いなボー来たか」

 大人びた声が聞こえ、しっ君が出てきた。 

 体は大きいけど動きは機敏だ。


「俺の部屋行こうぜ!」

 としっ君が指を差しながら、すぐ裏にある離れの家に向かって歩き出した。

 そう、部屋と言っても1階建ての一軒家なのだ。こじんまりしているが自分専用の家、翔一は心の中でため息をついた。

 クラスには仲のいい友達が結構いる翔一だが、しっ君とさっちとは特に息が合った。学校でも放課後でも、本当によくダべっている。何をそんなに話すことがあるのだろうと不思議に思うかもしれないが、とにかく何でもネタにして、ふざけ合って笑いが絶えない。


「まあ座れよ」

 しっ君が促し、翔一とさっちは小さなファブリックのソファーに腰かけた。


「これ飲もうぜ!」

 しっ君は持っていた3本の瓶ジュースを栓抜きで開け差し出した。お店の商品だ。


「家が酒屋だと、ジュースが飲み放題でいいな」

 翔一の率直な感想だ。


 しっ君がレコードをかける。外国人の歌が流れる。男だ。


「何だろう、大人っぽいな…」

 翔一は、こんな感じの音楽は今まで聴いたことがなかった。


「ビリージョエルっていうんだ」

 そう言いながら、しっ君は翔一にレコードジャケットを渡した。

 ジャケットには、外国の男の人が、暗い部屋の中で懐中電灯を照らしている姿が写っている。

 翔一はしばらくそれをじっと見つめ、音楽をじっと聴いていた。その間、翔一はぼんやりと考えた。


「俺は、この音楽に惹かれているんだろうか、それともこの雰囲気に惹かれているんだろうか?

 そうだ、この雰囲気だ。こうやって自分の部屋があって、好きなときに好きなだけ大きな音で好きな音楽が聴ける。こうして友達を呼ぶこともできる…」


「おい、いなボー、聞いてんのかよ?」

 横に座っていたさっちが、飛びついてきた。


「しっ君が、このスピーカー自分で作ったって言ってんだよ、聞いてたか?」


「ああっ」

 突然我に返った翔一は、とりあえずさっちが指さす方へ目をやった。黒いスピーカー、低音部分がリズミカルに振えていた。


「えっ、これ、自分で作ったの?スゲーいい音!」

 翔一は、何とか二人の話題に追いついた。


「まあ、作ったって言っても、そこのホームセンターで売ってた組み立てキットを買ってきて、組み立てただけだけどな」

 しっ君が控えめに答える。


「でもさぁ、やっぱ音が違うよなあ、低音も高音も響きが超いいよな」

 さっちが興奮気味に褒める。翔一も勢いよく頷くが、音がいいか悪いかなんて正直二人とも解ってないし、それはどうでもよかった。

 ただ、やっぱりしっ君はちょっと大人で、まだ翔一達にはできないようなことや知らないことをすっとやってのける、そんな一歩先を行く憧れの存在だった。


「俺も作ろうかな?」

 何でも真似したがるさっちの癖が出た。翔一は、ニヤッと笑ったが、


「じゃあ俺も!」


 とは言わない。


 知っていたのだ。もし作ったとしても、翔一の家ではこんな大きなスピーカーなんか鳴らせないし置く場所もない。

 そもそも買うお金もない。そう、翔一は知っていた。


 翔一は、ただ一つのことだけを願っていた。


「どうかこの楽しいひと時がずっと続きますように…」


 レコードは、艶やかな黒色を放ち回り続けた。

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