盲目の楽師は、片腕の傭兵に世界の歌を聴かせたい

春野 菜摘

第1話 盲目の楽師は、血の匂いを聴く

その音は、剣戟よりも早く彼女に届いた。

――金属が骨を削る、鈍い悲鳴。


ミレアは演奏を止めなかった。石畳に腰を下ろし、膝の上に置いた古いリュートの弦を、静かに爪で弾く。

人々のざわめきや逃げ惑う足音、血の匂いに混じる恐怖の息遣いが、乱れた波のように広がっていた。


それらすべてが、音となって彼女の世界を形作っている。ミレアは生まれつき、光を知らない。

だがその代わりに、彼女は音を“視る”ことができた。


呼吸の乱れ、心拍の震え、武器を握る指先の緊張が、音色の歪みとして彼女の耳に届く。

彼女にとって世界は、輪郭ではなく、無数の旋律が重なり合う譜面だった。


今、彼女の前方五歩ほどの場所で、片腕の男が三人のならず者に囲まれている。

剣が振るわれるたび、風を裂く鋭い音が夜気を切り裂いた。


だが、その剣の軌道は異様なほど正確だった。無駄がなく、恐れがない。

まるで長年、死と共に歩いてきた者の音。


(……強い。)


ミレアは、わずかに弦の調子を変えた。この世界では、音楽は祈りであり、同時に魔術でもある。

派手な光や炎を生むものではないが、耳から入る音は心と身体を容易く揺らす。


彼女の旋律が空気を震わせると、ならず者たちの足取りがわずかに乱れた。

距離感が狂い、均衡感覚が傾く。それはごく小さな干渉だったが、それだけで十分だった。


その一瞬を、男は逃さなかった。

――ズン、と重い音がして、人が倒れる。


続けて短い衝突音が二つ、三つ重なり、最後に鈍い衝撃が地面を打って終わった。

残った二人は、恐怖に駆られて逃げ出していく。


血の滴る音が、地面に規則正しく落ちていた。

ミレアは、最後の和音を静かに閉じる。


余韻が消えるまでの一瞬、世界が薄い膜を張ったように静まり返った。

その静けさの中で、彼女は男の呼吸を確かめる。


荒いが、折れてはいない。戦いを終えても、まだ身構えている音だった。


「……助けてくれて、ありがとう」


ミレアは男の方を向かずに言った。彼女にとって“向く”とは、視線ではなく耳を向けることだった。


男はしばらく黙っていたが、やがて低く掠れた声で答えた。


「……俺の方こそだ」


右腕がないことは、音でわかる。重心の偏りや装備の擦れる位置が不自然に響いていたが、

その身体の使い方は異様に洗練されている。


「なぜ、目が見えないのに……」


「わかるの?」

ミレアは微笑んだ。


「剣の音が、嘘をつかないから」


男は短く息を吐き、苦笑したようだった。


「楽師か?」


「ええ。盲目の、ね」


「……危ない場所だ。ここは」


彼の足音が一歩近づき、血の匂いが濃くなる。


「あなた、怪我してる」


「慣れてる」


「慣れてる音じゃない」


男は言葉を失い、沈黙に深い疲労の色が混じった。


「……名前は?」


「ミレア」


「俺は、カインだ」


その名を聞いた瞬間、ミレアの胸がわずかに疼いた。

理由はわからないが、その音の響きがどこか哀しみに似ていた。


「一つ、お願いがあるの」


「なんだ」


「次の街まで、護衛してほしい」


男は即答しなかった。彼の中で、過去が軋む音がした。


「……俺は、片腕だ」


「知ってる」


「傭兵だぞ」


「それも」


「……それでも?」


ミレアはリュートを抱きしめるようにして、静かに頷いた。


「あなたの剣は、まだ生きたい音をしてる」


長い沈黙の後、カインは短く笑った。


「厄介な楽師だな」


「褒め言葉?」


「……ああ」


こうして、盲目の楽師と片腕の傭兵は、同じ道を歩き始めた。

まだ二人とも知らない、この出会いが王国の運命を揺るがす最初の一音であることを。



――作者コメント――

はじめまして。お読みいただきありがとうございます。

盲目の楽師と、片腕の傭兵が旅をする物語です。

派手な展開よりも、音や沈黙、二人の距離感を大切に描いていこうと思っています。

ゆっくり進んでいきますが、少しずつ変わっていく関係を見守っていただけたら嬉しいです。

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