第6話 システムの審判
イザベルは、アダムの新しいアパートの住所を突き止め、アポなしで押しかけた。
インターホンを鳴らし、ドアが開く。
アダムは、そこに立つイザベルの顔を見て、すべてを察した。彼女の瞳は、怒りと、裏切られた者の痛みで燃えていた。
「……何の用だ」
「あなたが、アダム・ハリソンね」
イザベルは、アダムの返事を待たず、荒々しく部屋に踏み込んだ。
そして、持ってきたタブレットを彼のラップトップの前に叩きつけた。画面には、二つの脚本データ(アダムの過去作と『アリア』の改稿版)が表示されている。
「どうして私の名前を奪ったの!?」
イザベルの叫びが、静かで清潔なアパートの部屋に響く。
「どうして私のメッセージを、あなたの才能で歪めたの! これは私の物語だった!」
アダムは、しばし黙って彼女の激情を受け止めていたが、やがて静かに口を開いた。その声は、怒りではなく、すべてを諦めたかのような深い疲労を帯びていた。
「歪めてなどいない。君の情熱を、大衆に届く形に『最適化』しただけだ」
「何様なの、あなたが!」
「僕は、」とアダムは自嘲気味に続けた。「僕は『伝える力』だけを持っていた。だが、この業界は、僕が『声』を持つことを許さなかった」
アダムは、白人男性であるという理由だけで「不適格」とされ、才能を腐らせていたこと、借金に追われる生活、および500万ドルの屈辱的な契約……そのすべてを、淡々と告白した。
イザベルは、目の前の男を憎むと同時に、彼もまた自分と同じく、あるいはそれ以上に、リチャードが支配する「システム」の犠牲者であるという、複雑な現実に打ちのめされていた。
「……許せない」
イザベルは震えていた。「あなたも、リチャードも、このシステムも。全部許せない」
彼女の瞳に、再び情熱の火が宿った。それは初期稿にあった無軌道な怒りとは違う、真実を求める強い意志の光だった。
「私は、私の名誉を捨ててでも、この欺瞞を公表する。あなたが真の脚本家であることも、スタジオがD&Iを食い物にしていることも、全部」
*
その足で、イザベルはリチャードのオフィスに乗り込んだ。
「リチャード。私は知っている。アダム・ハリソンが、本当の脚本家だということを。全てを公表する」
リチャードは、その告発を聞いても、一瞬の動揺も見せなかった。
彼はデスクの上の『アリア』のポスター(イザベルの顔が大きく写っている)を眺め、冷徹に笑った。
「イザベル。君は賢いと思っていたが、残念だ。君が公表して、誰が喜ぶ? 君のコミュニティか? いや、彼らは『理想の旗』が折れたことに失望するだけだ」
「……何ですって?」
「システムは、真実よりも『美しい虚構』を必要としている。君が公表した瞬間、君はスタジオを裏切った『感情的で不安定な女』になる。したがってアダム・ハリソンは、契約違反で全てを失う。それが現実だ」
*
イザベルがオフィスを飛び出した直後、リチャードは行動を開始した。
その夜。アダムのアパートのチャイムが鳴った。
ドアの外に立っていたのはリチャード。そして、彼の後ろには、スタジオの弁護士と、屈強な警備員が二人控えていた。
「イザベルが動いた」
リチャードは部屋に入るなり、冷ややかに告げた。
「彼女は、全てを公表するつもりだ。君の存在も、この契約も」
アダムは、ゴクリと唾を飲んだ。
「アダム。君に、最終的な選択を迫るために来た」
リチャードは、弁護士が差し出した新たな書類をテーブルに置いた。NDA(守秘義務契約)の補強文書だ。
「選択肢は二つだ。一つは、イザベルと共に真実を公表する。その場合、君はこのNDA違反で500万ドルの違約金と、前金の返還を求められる。君の全財産と、君の脚本家としての人生、その全てを失う」
リチャードは、アダムの目を射抜いた。
「もう一つは、この虚構を最後まで演じきることだ。イザベルを『不安定な嘘つき』として切り捨てる。そうすれば、君は残りの報酬と、生涯にわたる創作의 自由(我々の影で書き続ける権利)を得る」
沈黙が部屋を支配する。
名誉か、創作か。
アダムは、数時間にも感じられる長い葛藤の末、震える手でペンを取った。
彼は、人前に出られなくても、名前を奪われても、「最高の物語を創り続ける」という、ただ一点の渇望を選んだ。
アダムは、補強文書にサインした。
インクが紙に染み込む。彼の才能は、その瞬間、名誉と完全に切り離され、500万ドルの金と沈黙という名の檻に、永久に封印された。
*
数日後。イザベル・ロドリゲスが一部のメディアに「真実」をリークしようとしたが、スタジオは即座に「彼女の精神的な不安定さ」と「過度なプレッシャーによる虚偽の発言」という声明を発表した。
同時に、アダム・ハリソンが「コンサルタントとしてイザベルの才能を心からサポートした」という内容の(リチャードが書いた)宣誓書が提出された。
イザベルの「声」は、システムの脅威として、完全に封殺された。
リチャードは、この「トラブル」を完璧に処理した手腕を評価され、スタジオの幹部へと昇進した。
映画『アリア』は、記録的な大ヒットとなった。
批評家は「D&I(多様性)と商業エンターテイメントの奇跡的な両立」と絶賛し、イザベル・ロドリゲス(の名前)は、業界の最高名誉である脚本賞の最有力候補として世界に報じられた。
真実を知る者は、誰一人、その光の当たる場所にはいなかった。
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