森の忘れ物と、秘密のハニートースト


 昨夜の迷い子――名はニナというらしい――は、私の船のソファーで丸くなって泥のように眠っていた。

 エルフの血を引く彼女は、このルナリア湖を囲む『精霊の森』の守り手の一族だったが、最近森に現れた「異変」のせいで、満足に食事ができていなかったという。


「……ふわぁ。おはよう、レナさん」


 陽の光に目を細めながら起きてきたニナの鼻が、クンクンと動く。

 キッチンから漂う、甘くて香ばしい香りに抗えるはずもない。


「おはよう、ニナ。ちょうど朝ごはんができるところよ」


 今日の朝食は、昨日市場で見つけた「岩石パン」のリメイクだ。

 そのままでは歯が折れるほど硬いパンだが、厚切りにして、地元の濃厚なミルクと卵を混ぜた液に一晩浸しておいた。


 それをバターを引いた魔導フライパンで、弱火でじっくりと焼く。

 仕上げに、ニナが「お礼に」と差し出してくれた『森の雫(しずく)』……野生のハチミツをたっぷりとかける。


「はい、特製ハニートースト。熱いうちに食べて」


 ニナは昨夜のスープの時と同じように、祈るような手つきでフォークを握った。

 外側はカリッと、中はプリンのようにトロトロになったパンが、ハチミツの野性味あふれる甘さと絡み合う。


「んんんっ……! なにこれ、噛まなくても溶けちゃう!」


 ニナの笑顔を見て、私も自分の分を口に運ぶ。

 甘い幸せが脳に染み渡る。宮廷での朝食は、いつも毒見の後の冷えたサラダばかりだった。誰かに毒を盛られる心配をせず、甘いパンを頬張れることのなんと贅沢なことか。


 食べ終えて一息ついたところで、ニナが少し申し訳なさそうに切り出した。


「ねえ、レナさん。お願いがあるの。森の奥に、私の村があるんだけど……最近、そこにある『太陽の果実』が、変な霧に包まれて採れなくなっちゃったんだ」


「太陽の果実……。もしかして、あのマンゴーに似た、食べると体がポカポカする魔法の果物?」


 私の問いに、ニナは大きく頷いた。


「それが食べられないと、村のお年寄りが元気がなくなっちゃって。……レナさん、すごく強い魔法使いなんでしょ? あの霧を、なんとかできないかな」


 私は窓の外に広がる、深い緑の森を見つめた。

 スローライフを満喫すると決めたけれど、美味しい果実が危機に瀕していると聞いては、元宮廷魔導師の名が廃る。


「いいわよ。その『太陽の果実』、私も食べてみたいしね」


 私はカモミール号のエンジンを始動させた。

 船体から青い魔力が溢れ出し、ゆっくりと高度を上げる。


「さあ、ニナ。特等席で案内して。次は空飛ぶ船で、デザートの収穫に行きましょう」

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2026年1月14日 00:17

宮廷魔導師、辞めてきました。〜小型魔導船で巡る、世界の美食とスローライフ〜 @ikkyu33

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