ヴァヴェルという悪魔
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──ヴァヴェルという悪魔
魔王、そして高位悪魔であるヴァヴェルの前世は日本に暮らす人間であった。
彼がこの世界で自分の意識を有したのは40年前。
そのときの魔王国は愚かな王の下ですでに崩壊しかかっており、新たな内戦へのカウントダウンが始まっていた。
ヴァヴェルはそのような王家の血筋など一滴も引いていなかったが、それでも彼は高貴な血筋である高位悪魔だ。
そして魔王国の歴代の王朝において魔王の条件は高位悪魔であること。
それだけだった。
ゆえにヴァヴェルはそののち始まった内戦に勝利して、魔王となれたのだ。
そんな魔王となった彼は首都バビロンの王城で暮らしていた。
ヴァヴェルの王城での朝は早い。
朝一番に王城に届けられた国営新聞社の新聞を手に食堂に向かい、エレーナとともに朝食。
メニューは決まって黄身がこぼれないように固く焼いた目玉焼き、カリカリに焼いたベーコン、それからバターをたっぷりと塗ったトースト。それだけだ。
高位悪魔であるヴァヴェルも夢魔であるエレーナも食事など必要ないのだが、ルーチンとして食事が組み込まれていた。
「昨日の軍事パレードのことは盛大に報じられているな。何よりだ」
「ええ。国民も軍の頼もしさに安堵するでしょう」
新聞に記された即位20周年記念式典の軍事パレードを称賛する記事を読みながら、ヴァヴェルは満足そうに言い、エレーナも微笑む。
「ああ。我が国の国民にもひとつぐらい誇れるものは必要だからな」
「それでしたらすでに陛下がおられるではないですか」
「私は恐れられはしても、誇られはしないよ」
「ふふふ。ご謙遜を」
むしろ、この場での目的は食事というよりエレーナとの会話であった。
ヴァヴェルがエレーナと出会ったのは内戦時のこと。
エレーナは西部の生まれで、西部で暮らしていた。
西部も内戦で治安や統治は崩壊していたが、西部でそれ以上に危険だったのは人間の軍隊の存在であった。
魔族の内戦に乗じて複数の人類国家が火事場泥棒を働きにきていたのだ。
そのひとつであるレヒスタン共和国は西部に攻め入り、かつて人類がここに暮らしていたという歴史を根拠に魔王国の領土を占領した。
彼らの占領下にあった魔族は迫害され、財産を奪われ追い出されるか、処刑された。
まだ幼かったエレーナも彼女の家族もそのような迫害に遭い、家族は処刑され、エレーナは冬の魔王国を難民たちとさまようことになった。
北の大地である魔王国の冬は冷たく、厳しい。
多くの難民が凍死するか餓死し、荒野で屍を晒していった。
しかし、内戦を戦っていたヴァヴェルの軍隊がそんな難民たちを救った。
ヴァヴェルの軍隊は彼らに温かく眠れるテントと飢えを満たす食事を提供し、また医療も提供した。
もちろんこれは純粋な親切からの行動ではない。
ヴァヴェルの狙いは難民になった魔族の中から戦える男性を探し、自らの戦列に組み込むことだった。
内戦を戦うヴァヴェルにはひとりでも多くの兵士が必要だったのだ。
しかしながら、それでも命を救われた難民はヴァヴェルに感謝した。
エレーナもヴァヴェルの庇護下で命を救われた。
まだ幼かった彼女はヴァヴェルに向けてこういった。
『私がおじさんのお嫁さんになってあげます!』
その幼子の大胆な告白にヴァヴェルたちは思わず苦笑したとジューコフ元帥たち関係者は言っている。
彼女は結局ヴァヴェルの妻となることはなかったが、ヴァヴェルからは娘のように可愛がられ、魔王国の統一においては侍従長として迎えられた。
そして、これがヴァヴェル唯一の縁故人事だと言われている。
「エレーナ。今日の午前中の予定は?」
「10時から閣僚会議。11時30分からボロディン設計局、マルコフ設計局の両局長とソコロフ・魔王国科学アカデミー総裁との昼食会です」
「ふむ。今日も忙しくなりそうだな」
今は朝の7時であるが、10時の閣僚会議まで遊んで過ごせるわけではない。
閣僚会議に先立ち、各省庁や軍からの報告書に目を通さなければならないのだ。
独裁者の辛いところはあまりに人に物事をゆだねられないところだとヴァヴェルは前々から思っていた。
あまりに仕事をゆだねすぎると腐敗しがちな独裁政権下では汚職が蔓延る。
だが、それだけならまだいい方だ。最悪の場合はヴァヴェルがゆだねた権力で彼に対するクーデターが起こりかねない。
ヴァヴェルにはまだやるべきことがある。
それを果たすまではこの権力を手放すわけにはいかないのだ。
* * * *
閣僚会議。
魔王国でこれが国王の下に開かれる御前会議と称されないのは、先に述べたようにヴァヴェルがこれまでの王朝とは何の血筋のつながりもない存在であり、それなのに歴史ある国家の振りをしてあれこれと古めかしく、ややこしい名前を使うのはは滑稽だからという理由だけだ。
「着席」
閣僚会議の出席者は30名。
各省庁・委員会の閣僚、陸海空軍の参謀総長、そして魔王であるヴァヴェル。
着席する順番に魔王国の権力の構造が現れる。
ヴァヴェルが最初に着席するのはもちろんだが、次は
このように軍人が強い権力を握っているのが、今の魔王国だ。
「報告を」
それからヴァヴェルが閣僚たちに報告を求める。
「
そして最初にリュドミラが報告を行う。
「先の式典に招かれていた人類国家の使節たちは、そのほとんどが高く我々魔王軍の戦力を評価して報告しております。彼らの報告の具体的な内容は次の資料に」
閣僚会議の全員が配布された資料をめくる。
「レヒスタン共和国からは『魔王国の工業化は大きく進んでいる。ことに陸軍においては
レヒスタン共和国。魔王国と西部で国境を接する国家だ。
「ブリタニア連合王国からは『魔王国の航空産業は停滞しない様子。大型機こそ隠されていたが、小型機においては我が国の
ブリタニア連合王国。北海に浮かぶ島国にして大陸最大の海軍国家。
「ルミエール共和国からは『その戦車戦力は今は我が国の完全な脅威とはならないものの、トラック生産などの工業力の著しい発展から見て、将来的には我が国の重大な脅威となる公算が高い』」
ルミエール共和国。大陸西部に位置するかつての覇権国家。
「そして、アルトライヒ帝国からは『魔王国の歩兵・砲兵・装甲・航空戦力はいずれも高度に発展しつつあることが窺える。我が国と魔王国の間に存在するレヒスタン共和国が魔王国を食い止められなくなる日は近づいているだろう』」
アルトライヒ帝国。大陸中部に君臨する巨大帝国。
「よろしい。これで我が国の威信をかけたパレードは成功したというわけだ」
ヴァヴェルがそう言うと閣僚会議室に拍手が沸いた。
誰もが笑顔で魔王ヴァヴェルが讃えた軍事パレードの成功を祝っている。
「次の報告を」
しかしながら、次の報告は喜ばしいものではなかった。
「農業省からご報告させていただきます」
そう言って立ち上がるのはひょろりとした吸血鬼の閣僚で名をアレクセイ・グリゴーリエヴィチ・シューセフといった。
彼は少し不安そうに周囲を見渡したのちに報告を始めた。
「報告いたします。我が国の農業生産力ですが……低下の一途を辿っております」
シューセフ農業大臣はそう言い、資料をめくるように促す。
「我が国の食料自給率は依然として100%を超えていますが、それが5年前の160%から102%まで下落しています。農作物の品種別に見ますと小麦の収穫が特に大きく下落しており、続いてジャガイモなどの芋類が低下しております。いずれも主食に当たるものであり、収穫量の低下は国民生活に大きな影響を与えかねません」
彼が具体的な数字を述べるのに閣僚会議のメンバーたちがじっと沈黙し、険しい表情を浮かべた。
魔王国で農作物を食事を必要とするのはゴブリンやオーク、人狼といったものだ。
ドラゴンは僅かな肉しか食べないし、吸血鬼や夢魔は多種族の精気を吸い取ることで飢えを満たす。
「原因は大きく3つです。ひとつは単純な農業従事者の減少、続いてここ最近の異常気象、最後に内戦終結以来継続している人口増加です」
シューセフ農業大臣は続ける。
「人口増加にもかかわらず農業従事者が減っているのはどういうことかと思われるかもしれませんが、人口が増加しているのは主に工業地帯である都市部です。軽工業・重工業に従事する人口は増出していますが、我が国の食料生産の基本となる集団農場地帯では逆に人口が減少しているのです」
内戦後に人口増加で増えたのは人狼や吸血鬼、夢魔といった一定の知能を有するものたちが一番であった。続いてゴブリンやオークだ。
内戦の終結によって安心して家庭を持てるようになった層が子供を作り、それによって人口が増えていたのだ。
しかし、その現象が見られるのは都市部だけ。ヴァヴェルが組織した集団農場では逆に人口は減少しつつあった。
「人口増加による食糧不足はこれから深刻なものとなるでしょう。ですが、原因はそれだけではありません。我々はここ数年の冬季に生じた激しい寒波が、収穫量を減少させたと見ています」
ここ数年、魔王国はいつもより早く始まり、そして過酷な冬を迎えていた。それによって農作物にダメージが生じた可能性は十分に考えられた。
「今はまだ我が国の食料自給率は100%です。ですが、このまま問題を放置すれば人口増加に食料生産が追いつかなくなり、我々は深刻な飢饉を迎えかねません。労働人口の再配置や品種改良のための予算充実などにご協力いただきたい」
シューセフ農業大臣は閣僚会議のメンバーにそう求めたのだった。
「理解した。大きな問題だな」
シューセフ農業大臣の懸念にヴァヴェルが頷く。
彼はすでに農業省からの報告書を事前に読んでいたので、このことを会議前に把握していた。その深刻さも報告を受ける前に把握していた。
「対処しなければならないが……」
魔王国が先にシューセフ農業大臣が述べたような高い食料生産を実現できたのは、本来農業など知らないゴブリンやオークを強制的に農奴として働かせたからだ。
もちろん今の魔王国には表向きには農奴などいない。
だが、集団農場というのは事実上の農奴制である。集団農場からの脱走や労役の拒否は厳しく取り締まられているのだから。
もちろん集団農場にメリットがある。
大規模な農業が行えるので農業の機械化が進めやすく、生産量も管理しやすい。事実これによって生産量は莫大に増えた。
「市場経済を部分的に組み込むというのはどうでしょうか?」
ここでシューセフ農業大臣が提案。
魔王国では経済は国家がほぼ完全に統制していた。
王政社会主義国とでも呼べばいいのか、国民に私有財産の所持は僅かにしか認められず、全ては資産は国有化されており、経済は国が管理している。
そこに市場経済による自由競争はないが、計画経済で定められたノルマを満たすための努力は一応存在している。
だが、それで不十分なのだ。
集団農場の魔族たちはいくら努力して豊作になっても、自分たちに与えられる報酬が一定なことに不満を抱き、そのせいで労働へのモチベーションは低下していた。
「そうだな。それを考えなければならない段階かもしれない。集団農場を維持しつつも、ノルマを超えた分の生産には関しては余剰生産物として自由に売買できるようにするということも考えよう」
ヴァヴェルはシューセフ農業大臣の言葉にそう応じた。
「これで生産力が回復するといいのだがな。今は期待するしかない」
それから農業に関してのみ自由経済を導入することは検討されることになり、農業省が持ち帰って詳細を詰めることになった。
「次の報告を」
それからも閣僚会議は続き、経済から軍事まで様々なことは話し合われたのだった。
* * * *
それから閣僚会議は終わり、ヴァヴェルは次にボロディン設計局、マルコフ設計局の両局長とソコロフ・魔王国科学アカデミー総裁と昼食会に臨んだ。
昼食会では戦車設計を行っているボロディン設計局から今の軽戦車の後継車両の開発について、マルコフ設計局は
それが終わると30分ほどの休憩時間が訪れる。
「どう思う、リュドミラ、エレーナ?」
その時間帯にヴァヴェルはリュドミラとエレーナに問う。
問うのは当然、シューセフ農業大臣が指摘した食料自給率の低下についてだ。
「我々はこの大陸で孤立しております」
まずリュドミラが告げる。
「もし、食料自給率が低下し続けて100%を切ったとしても、我々に農作物を輸出しようとする人間はほとんどいないでしょう」
「そうだな。我々は大陸の嫌われ者だ」
そう、魔王国はこの大陸で孤立していた。
歴史的に魔族と人間が融和したことはなく、彼らはずっと対立し続けていた。
今でこそ法律で改められているが、ゴブリンからドラゴンまで魔族はかつて人間を食らっていたのだ。
そんな捕食者と被捕食者が仲良くすることがあり得るはずもなく。
「収穫量が減ったのは異常気象が原因とも聞いています。確かに去年の冬も厳しかったです。今年の冬は穏やかだといいのですが……」
エレーナはそう言い、憂鬱そうな表情を浮かべる。
「天候ばかりは我々の手の及ぶところにない。我々はまだ食料自給率が100%を超えている間に備蓄を行うなどできる限りの手を尽くすだけだ。冬ごもりの準備をしなければ生き残れないのは獣も魔族も、人間も同じ」
ヴァヴェルは首を横に振ってそう述べた。
「ですが、原因は異常気象だけではありません。我が国の人口増加と農業従事者の減少。それがあります。ここは都市部の人間を集団農場に再配置するということも考えるべきかもしれません」
「そうだな。それも含めて対策を考えねばなるまい」
せっかく都市部で学者や熟練工として育成できた人材を集団農場に移動させたくはないが、このままでは一次産業、二次産業のバランスが崩れてしまう。
完全な自給自足が求められる魔王国においてそれは危機的だ。
「もし、この国で再び内戦以来の飢餓が発生すれば……危険なことになります。今でこそ我々は軍事力で国民を従えていますが、それが破綻する可能性があるのです。空腹は理性を喪失させますから」
リュドミラは最悪の状況を想定して告げた。
「ああ。私はこの国を守りたい。そのためにはできることしなければ……」
ヴァヴェルは彼女の言葉に小さく唸りながらそう言った。
ヴァヴェルのやらなければならないこと。
それはこの魔王国を、彼の新しい祖国を守るということ。
それだけだった。
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