自認するということ

きと

自認するということ

 私は、大学4年生頃、統合失調症を発症した。

 当時の私は、指導を担当する助教授のパワハラやモラハラ(正確には、アカデミックハラスメント、つまりはアカハラというのかもしれないが)にひど疲弊ひへいしていた。

 好きな動画を見ても心は動かない。食事は、おにぎりを1つ食べるだけでも喉を通って行かず、30分費やす。睡眠も21時に布団へ入っても、眠りにつくのは朝の5時ということが頻繫にあった。当然、自殺願望も強くなった。

 症状が出始めた頃は、非常に戸惑った。いつものことができなくなる。それだけのことに聞こえるかもしれないが、心には深い傷がついた。なぜ。どうして。そんな言葉が、よく頭に浮かんできた。自分の中で、得体の知れない怪物が静かに暴れているような感覚だった。

 実際に、夏休み期間に私へ会いに来た両親は、私が非常にげっそりしていたと語っている。私としては、そこまで酷い状態になっているとは、思ってもみなかった。

 そして、母親と共に総合病院の精神科へと向かった。その精神科で告げられた病名が、統合失調症だった。

 統合失調症は、脳の神経伝達物質のバランスが崩れることが、主な要因である。もともとの体質に環境の変化などのストレスが重なり、発症する。誰かに監視されているという妄想などの陽性症状、気分の落ち込みなどの陰性症状がある。私の場合は、陽性症状の妄想が非常に強かったと記憶している(あくまでも自分の自覚だが)。

 私は、病名を告げられるまで、恥ずかしながら統合失調症という名前を知らなかった。統合失調症の主な症状を説明されると、確かに自分のことだと深く納得できた。自分の中の得体の知れない怪物を学名をつけて、分類することができた。そうすると、ふと恐怖心というのが、少しずつ消えていった。「あの怪物は、こういうことをしてくるけど、対処法もあるんだよ」と教えてくれる専門の飼育員がいるような、そんな感覚。

 そこから、投薬治療が始まり、私の症状は幾分いくぶんかマシになった。

 統合失調症は、治ることのない病気だ。症状がほとんどん出なくなる、寛解かんかいという状態にはなるが、完治には至らない。人によって、認めることが難しいかもしれない。

 それでも、私は統合失調症を自認できて、良かったと思っている。

 人間は知らないものを恐れるというように、統合失調症だと分かるまでは、私はとても恐い思いをした。自分がおかしくなっていく感覚は、もう味わいたくない。

 辛い、ということを自ら認める。それは、弱さではなく、自分を守れるように強くなる手段だ。戦い方を習い、辛さを嚙み締める。場合によっては、辛さから逃げてもいい。それだって、戦い方の1つだ。

 私は、学生生活を終えた後も職を点々とした。今の職場に入るまで、随分と時間がかかったが、自分なりに長く戦える環境に身を置くことができた。辛いこともあるが、戦うことができている。

 それもこれも、自分のことを認めることから全てが始まった。

 自分を認めることで、自分を守ることができるようになった。

 辛いことがあるなら、誰かに頼ったり、どこか遠くへ逃げたり、何か制度を利用してもいい。自分が壊れるよりは、絶対にマシなはずだ。

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