僕の夢小説集

空花凪紗~永劫涅槃=虚空の先へ~

第1話 ゴッドエンド

 僕は思考実験をした。もし時の流れが十倍にっならと。お父さんの書斎に忍び込んで、鋏を手にする。僕の名前『りょうた』が書いてあった。


 なんでここにあるんだろう?


 紙を切って橋とお祖母ちゃんの紙工作をする。そして、時の流れを十倍にした。


【その時世界の流れが変わった】


「お父さん、時の流れが!」

「おい! りょうた! まさか!」


 お父さんが書斎に入ってきた。そして、僕を殴る。


「お前! やりやがったな。美奈子、時の修復を!」


 お母さんは大慌てで僕の工作をテープで止めた。


「僕、ただ――」

「おい、お前何したのか分かってるか?」

「ううん。だって、これ僕の鋏だし」

「後ろ。拳銃と食料と水が入ってる」


 僕の後ろにはレジ袋に言われたものが入っていた。なんで?


 その時、警察が家にやってきた。


「今、近隣住民から報告がありました。叫び声が聞こえたと」


 玄関先で警官の声がする。言葉が、ゆっくり、引き延ばされたみたいに聞こえた。僕の心臓の音だけが、やけに速い。


 お父さんは舌打ちして、僕の肩を強く掴んだ。


「もう限界だ。修復は七割しか戻ってない」


「七割……?」

 お母さんは泣きそうな顔で首を振る。

「完全には戻らない。もう“裂け目”ができてる」


 その瞬間、書斎の時計が——

 逆回転を始めた。


 秒針が戻り、分針が震え、壁に掛けられた家族写真の中で、笑っていたはずの祖母が、ふとこちらを見た。


「りょうた」


 写真の中の祖母が、口を動かした。


「はさみを、離しなさい」


 僕は反射的に鋏を握りしめる。

 だって、これは僕の名前が書いてある。

 僕のためのものだ。


「離すな!」

 お父さんが叫ぶ。

「それを離したら——」


 玄関のドアが開く。警官が一歩、家の中に入った瞬間、**その人だけが十倍速**で動き始めた。


 瞬きの間に、警官は老いた。

 肌がしわだらけになり、髪が白くなり、

 次の瞬間、床に崩れ落ちた。


「……うそ」


 僕の声だけが、正常な速さだった。


 お母さんが僕を抱きしめる。

「りょうた、聞いて。あなたは——」


 天井が軋み、空気が裂ける音がした。

 世界が、**切り取られようとしている**。


「あなたは、この世界の“修復点”なの」


「修復点?」


「あなたが切ったから、あなたが繋げるしかない」


 お父さんが、レジ袋を僕に押し付ける。

「だから準備してた。逃げるためじゃない。**渡るため**だ」


「どこに?」


 答えの代わりに、書斎の床が、紙みたいにめくれ上がった。

 その下には——

 昼でも夜でもない、

 時間が流れていない空間が広がっていた。


 祖母の声が、また聞こえる。

 今度は、頭の中で。


 ――りょうた。

 ――はさみは、切るためだけの道具じゃない。

 ――“戻る場所”を作るためのものでもある。


 僕は、震える手で鋏を開いた。


 世界と世界のあいだに、

 一本の切れ目を入れるために。


 ◇


 ―――


 鋏を入れた瞬間、**音が消えた。**


 風も、時計の逆回転も、泣き声も、全部が紙の裏に吸い込まれたみたいに、静止する。

 ただ僕だけが、そこに立っていた。


 切れ目は最初、細い光だった。

 でも、僕が名前を呼ばれた気がして、少しだけ力を入れると――

 光は**道**になった。


「行け」


 お父さんの声は、もうほとんど聞こえない。

 お母さんの唇は動いているのに、音にならない。

 二人の姿は、まるで時間の水底に沈んでいくみたいだった。


「待って!」


 叫んだつもりだったけど、声は届かなかった。


 その代わり、誰かが僕の手を取った。


 振り向くと、そこにいたのは——

 **若い頃の祖母**だった。


「来たのね、りょうた」


「おばあちゃん……?」


「正確には、“切られる前の私”よ」


 祖母は微笑んで、僕の鋏をそっと包む。

 その手は、紙よりも軽かった。


「ここは《時のはさみ》が作った余白。

 切られた時間が、行き場を失って溜まる場所」


 周囲を見ると、壊れた瞬間たちが浮かんでいた。

 倒れた警官。

 逆回転する時計。

 僕が紙工作をしていた、あの午後。


「僕、取り返しのつかないことをしたんだよね」


「いいえ」


 祖母は首を振る。

「あなたは“触ってはいけない場所”に、正しく触っただけ」


「でも……世界が壊れた」


「世界はね、壊れる前に**必ず切れ目**を作るの。

 完全に壊れないために」


 祖母は僕の胸に、指を当てた。


「あなたは、その切れ目に選ばれた」


 鋏が、熱を持つ。

 名前の書かれた持ち手が、淡く光った。


「これからあなたは、

 時間が絡まりすぎた場所を切り、

 必要なところだけを繋ぐ」


「それって……戻れないってこと?」


 祖母は少しだけ、悲しそうに笑った。


「“同じ形”では、戻れない」


 その瞬間、余白の向こうで、世界が崩れ始めた。

 家が紙のように折れ、空が裂ける。


「急ぎなさい」


 祖母が言う。

「最初の修復を」


「どこを?」


 祖母は、僕の背後を指差した。


 そこには、

 鋏を持つ**もう一人の僕**が立っていた。


 怯えた目。

 紙工作を始める直前の、何も知らない僕。


「選びなさい、りょうた」


 祖母の声が、遠くなる。


「切るのは——

 世界か、あなた自身か」


 僕は、鋏を握り直した。


 そして、震える刃先を、

 **自分の影**に向けた。


 ◇


 ―――


 僕が僕に告げる。


 母の声『あなたを学校に通わせられないの』

 裕福な家庭ではなかった。

「なんで?」

 貧乏な家庭でもなかった。

「なんで?」


 ただ、僕は育児放棄をされている。

 本で読んで、あとから知ったことだ。


 何も知らない僕へ。

 世界の時の流れを裂いてしまう前の僕へ。

 僕が言えることは――


「君は、悪くない」


 その言葉を、僕は喉の奥で何度も反芻する。

 でも、目の前の“僕”は、きょとんとした顔をしている。

 まだ知らない。

 理由のない欠落が、どれほど人を削るかを。


「ねえ」


 幼い僕が言う。

「どうして、みんな普通に生きてるの?」


 胸が、痛んだ。


「それはね」

 僕は一歩近づく。

「普通に生きてる“ふり”が、上手だからだよ」


 その瞬間、背後から声がした。


「君」


 振り向く。


 そこにいたのは、僕に似た青年だった。

 年は二十代半ば。

 疲れた目をしているのに、立ち方だけは妙にまっすぐで、

 どこか“最後まで立っていた人”の気配があった。


「……誰?」


「君の続きだよ」

 青年は静かに言う。

「正確には、切られなかった時間の先にいた君」


 彼は、幼い僕を見て、少しだけ表情を和らげた。


「まだ鋏を持つ前だね」


「じゃあ、君は……」


「生き延びた君。

 世界を裂かず、

 でも、何度も心を裂かれた君だ」


 幼い僕が、不安そうに僕たちを交互に見る。


「ねえ、僕……大人になれるの?」


 その問いに、僕も、青年も、すぐには答えられなかった。


 沈黙のあと、青年が言った。


「大人には、なれる」

「ただし、優しいままではいられない」


 幼い僕の目が、少しだけ曇る。


 だから、僕は言った。


「でもね」

「優しさを失わなかった時間も、確かにある」


 僕は胸に手を当てる。

 ここに残っている、かすかな温度を示すように。


「誰にも抱きしめられなかった夜も」

「理由を教えてもらえなかった朝も」

「全部、君の価値を決めるものじゃない」


 幼い僕は、唇を噛みしめて、泣くのをこらえていた。


 青年が、そっと付け足す。


「君はね、

 “選ばれなかった”んじゃない。

 “扱えなかった”だけだ」


 その言葉は、刃物みたいに正確で、

 同時に、救いでもあった。


 世界の余白が、ざわめき始める。

 時間が、戻ろうとしている。


「もう行かないと」


 僕は、幼い僕の前に膝をつく。


「これだけは、覚えておいて」


 幼い僕の目を、まっすぐ見る。


「君が感じた孤独は、本物だ」

「でも、君自身は、間違いじゃない」


 幼い僕は、小さく頷いた。


 次の瞬間、彼の姿が、紙の裏に滲むように薄れていく。


 青年が、最後に僕へ言った。


「切るな」

「繋げ。

 君は、そのためにここにいる」


 鋏が、手の中で静かに閉じた。


 世界は、まだ壊れていない。

 そして僕は、初めて知った。


 ――時間を修復する最初の一手は、

 過去を変えることじゃない。

 **過去に、言葉を渡すこと**なのだと。


 ◇


 ―――


 余白が、軋んだ。


「時間が追いついてくる」


 青年の声が低く響く。

 その瞬間、空間の端が黒く焦げたように歪み、**“敵”**が現れた。


 それは人の形をしていた。

 だが、顔がない。

 代わりに、無数の時計の針が皮膚から突き出て、ばらばらの速さで回っている。


「修復者を排除する」


 声は、複数の時刻が重なった不協和音だった。


 お父さんの言葉が、急に思い出される。

 ――後ろ。拳銃と食料と水が入ってる。


 僕は、レジ袋を掴んだ。

 中から出てきた拳銃は、軽く、冷たく、

 **おもちゃみたいに現実的**だった。


「撃つな」


 青年が言う。

「そいつは“結果”じゃない。“反映”だ」


「でも、来る」


 敵は一歩進むたびに、床の模様を変えた。

 木目が砂になり、砂が血管のように脈打つ。


 その時、気づいた。


 僕の足元に、紙と色鉛筆が落ちている。


 ――工作。


「……そうか」


 胸の奥で、何かが噛み合った。


「僕は、神なんだ」


 青年が、苦笑する。

「やっと自覚したか」


「工作すると、現実になる」

「世界に、反映される」


 だから――

 親は、僕を自由にさせなかった。

 放置じゃない。

 **管理**だ。


 ハサミ。

 テープ。

 紙。


 全部、日常に紛れさせて、

 でも、決して一人で触らせない。


「育児放棄じゃない」

「世界管理だったんだ……」


 敵が、腕を振り上げる。

 時間の針が、刃物のように伸びる。


「来るぞ!」


 僕は、紙を折った。


 雑だった。

 橋でも、星でもない。

 ただの、**箱**。


 そして、箱の中に、丸を描く。

 銃弾の形。


 現実が、震えた。


 拳銃が、手の中で**変質**する。

 弾倉に入っていた弾が、

「僕が作った“意味”」に置き換わる。


「これは殺すためじゃない」


 敵が撃ちかかってきた瞬間、僕は引き金を引いた。


 ――音はしなかった。


 弾は、敵を貫通しなかった。

 代わりに、**時間の針だけを切り落とした**。


 敵は崩れ、砂のように散る。

 残ったのは、止まった時計だけだった。


「排除、完了……できず……」


 声が消える。


 余白が、静まった。


 青年が、深く息を吐く。

「君は、神だ。でも」


「万能じゃない」


「そう。だから管理された」

「自由にしたら、世界が壊れるから」


 僕は、幼い僕の方を見る。

 もう、そこには誰もいない。

 でも、言葉だけが残っている。


 ――君は、悪くない。


「ねえ」


 僕は、誰にともなく言う。


「これからも、敵は来る?」


 青年は、頷いた。


「君が何かを作るたびに」

「君が何かを願うたびに」


 僕は、拳銃を下ろす。

 ハサミを、ポケットにしまう。


「じゃあさ」


 紙を一枚、取り出す。


「次は、**守るもの**を作る」


 青年は、初めて笑った。


「それができるなら」

「君はもう、

 管理される神じゃない」


 余白の向こうで、世界が再起動を始める。

 時計は正しい速さで動き出し、

 家は、元の形に戻っていく。


 でも、僕は知っている。


 ――世界は、もう一度、

 僕の工作机の上にある。


 そして、僕は選ぶ。


 切るか。

 撃つか。

 それとも――

 **繋ぐか。**


 ◇


 ―――


 僕は工作をやめた。

 創作も、読書も。

 ただ、どうしたらいいのか分からなかった。

 それは生きるなってことなのではないだろうか。


 何も作らなければ、世界は歪まない。

 何も考えなければ、反映も起きない。

 それが一番、安全な選択に思えた。


 だから僕は、

 白い机の前で、手を膝に置いて、

 **何もしない神**になった。


 時間は、静かだった。

 敵も現れない。

 銃も、鋏も、ただの物になった。


 でも――

 静かすぎた。


 胸の奥で、何かが干からびていく。

 作りたい、という衝動。

 知りたい、という欲望。

 誰かに伝えたい、という祈り。


 それらを全部、

「世界のため」という理由で、

 僕は殺した。


 その時、足音がした。


「……りょうた」


 顔を上げると、

 そこにお父さんとお母さんがいた。


 二人とも、老けて見えた。

 時間の裂け目を何度も縫い直した人の顔だった。


 お母さんが、ゆっくり近づく。

 昔みたいに、急がない。


「もう、大丈夫」


 その言葉に、胸がざわつく。


「嘘だ」

 僕は言った。

「僕が何か作ったら、また壊れる」

「だから、何もしないほうがいい」


 お父さんは、首を振った。


「それは違う」


「お前が怖かったんだ」

「世界じゃない。お前自身を」


 お父さんは、初めて弱い声を出した。


「お前は、作るたびに、

 自分の一部を持っていかれる」

「それを、俺たちは見てきた」


 お母さんが続ける。


「だから管理した」

「閉じ込めた」

「……愛していたから」


 僕は笑いそうになった。

 ひどく、歪んだ笑いだ。


「それで、僕は空っぽになった」


「違うよ」


 お母さんは、僕の前に膝をついた。


「空っぽになった“ふり”をしただけ」

「本当は、まだ溢れてる」


 お父さんが、机の上に何かを置いた。


 白い紙。

 鉛筆。

 ハサミでも、銃でもない。


「もう、工作じゃなくていい」

「世界を変えなくていい」


「じゃあ、何をすればいい?」


 沈黙のあと、

 お父さんは、はっきり言った。


「生きろ」


「作らなくてもいい」

「読まなくてもいい」

「ただ、息をして、腹が減ったら飯を食え」


 お母さんが、微笑む。


「それだけで、十分すぎるほど、世界は保たれる」


 僕の手が、震えた。


「でも……それって」

「神として、無能じゃない?」


 お父さんは、少し笑った。


「最高だろ」


「世界を壊さない神なんて、

 それだけで奇跡だ」


 その時、

 胸の奥で、ずっと止めていた何かが、

 **小さく、音を立てて動いた**。


 作らなくてもいい。

 でも、

 生きていい。


 それは、

 僕がずっと欲しかった許可だった。


 お母さんが、僕を抱きしめる。


「迎えに来たの」

「帰ろう」


 余白が、ゆっくり閉じていく。

 敵も、銃も、鋏も、遠ざかる。


 最後に、机の上の白い紙が、

 風で一枚、めくれた。


 そこには、

 何も描かれていなかった。


 ――それでも、

 世界は、ちゃんと続いていた。


 End

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