029 とある男の叶わなかった願い

 夜の燈京、地下深くの廃墟のような一室。


 薄暗い魔術灯の明かりだけが、埃っぽい空気を淡く照らしていた。


 灰島冬弥は、ぼろぼろのソファに深く沈み、虚ろな目で天井を見つめていた。


 彼は二十代前半の青年だった。

 茶髪の短髪、整った顔立ち。

 しかし、今の彼の瞳には、もう光がなかった。


 一つの願いがあった。


 魔術と科学が発展したこの世界でも、 絶対に叶えることのできない願い。


 今は亡き恋人に、もう一度会うこと。


 そのために、彼はどれだけの汚い仕事に手を染めたか。


 数え切れないほどの恨みを買い、血を流し、罪を背負ってきた。

 恋人を助けるためなら、どんなことでもした。

 それでも、彼女は死んだ。


 灰島はゆっくりと目を閉じた。


 心身はすでに限界だった。

 精神はぼろぼろにすり減っていた。

 そんな彼が最後にすがりついたのが、馬鹿げた都市伝説だった。


 『銀翼の聖女』。


 出会った者は願いを叶えられると言われる、幻想の存在。


 そして、実際にその聖女に会った夜。


 夢の中の出来事だと、灰島は最初は決めつけていた。

 白い修道服、銀の翼、底の見えない視線。

 すべてが非現実的すぎた。


 だが、長剣が胸を貫いた痛みは、紛れもない現実だった。


 冷たい刃が心臓を突き破る瞬間、灰島は安堵した。

 これでようやく、願いが叶う。


 死ねば、恋人のいる世界に行ける。

 そう信じていた。


 銀翼の聖女は、無言で剣を引き抜いた。

 灰島の身体は、炎に包まれながら再生した。

 不死者となった。


 しかし——


 願いは、叶わなかった。


 死んでも、恋人の姿はどこにもなかった。

 ただ、永遠に続く孤独と、

 自分の身体が勝手に再生し続ける恐怖だけが残った。


 灰島はゆっくりと目を開けた。

 部屋の隅に置かれた、古い写真立て。

 そこに写る笑顔の恋人が、彼を静かに見つめていた。


「……まだ、足りないのか」


 掠れた声が、暗い部屋に落ちる。


 灰島冬弥は立ち上がり、窓のない壁に向かって歩いた。

 そこに貼られた無数の写真とメモ。

 すべては、ある計画のためのものだった。


 不死者となった今、彼はもう一つの道を選んでいた。

 恋人をこの世界に呼び戻すために。


 たとえ、その代償が、

 この街のすべてを狂わせることになろうとも。


 灰島の唇が、かすかに歪んだ。

 それは、笑みとも、嗤いともつかない表情だった。

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