潤々(うるうる)のち
なかむら恵美
第1話
正月、兄を呼んだ。
近くに住んでいる。60を迎えようとしているのに、未だ独身。
結婚する予定は今後もない。
父母(ちちはは)を看取った後は、まるで余生のような人生だ。
若い時に貯めに貯めておいた諸々で、どうにかやっている。
簡単な料理と雑煮、チョイとばかりのお茶請けなどを用意する。
夫は単身赴任中、一人息子はおデートだとかで、家にいない。
兄と妹。2人だけのこういう時間は、極めてシンプルだ。
賑やかさはない。けど、それなりに盛り上がる。
子供の頃の話とか、ご近所さんがね、こういう本を読んだ、どこそこ
に行ったら等々。
語彙が豊富で喋りの上手い兄に魅了され、つい、時間を経つのを忘れる。
「そうだ」
おもむろに、兄がウエストポーチからポチ袋を取り出した。
2枚。「こころばかり」
クリーム色の上品な和紙仕様で、掌サイズ。和服姿で手毬を突いた、
女の子がデザインされてもあるものだ。
「これ、カズくんに」
<一昭くんへ>
ボールペンで記したのを、最初に渡した。
「少ないけど」
「ありかとう。社会人なんだから、もう、いいのに。でも、喜ぶわ」
「うん」
少し照れていた。
裏を返す。
<令和八年 元旦 中田沼 源一郎(なかたぬま げんいちろう)>
記される。
「と」
<由子へ>
残りの一枚を、また、渡す。
潤々(うるうる)と来た。涙腺が崩壊の準備を始めている。
何と嬉しいお正月!何と目出度いお正月!
ブラボー盛りに華が咲く。
「この間の、代金。お釣り」
「お釣り?」
「奢って貰っただろ、この間」
「あ~っ」
思い出した。
二週間ぐらい前だろうか?
本屋をぶらぶらしていたら、偶然、会った。
お昼に近い時間でもあったので、近くの茶店で奢ったのだ。
兄のは税込み850円であったが、細かいのがなかった。
1000円出したので、今度お釣りをねと、冗談交じりで言ったのだ。
「150円、入っていますから。10円玉が10枚と、50円玉が1枚。
確認して下さい」
悠々と兄は珈琲を飲み、お茶請けを口に運ぶ。
「・・・・・」
一挙、興冷め。
潤々(うるうる)から、落胆だ。
<了>
潤々(うるうる)のち なかむら恵美 @003025
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます