『俺達のグレートなキャンプ220 秘技!健康になるジャーマンスープレックスをキャンパー達にくらわせよう』

海山純平

第220話 秘技!健康になるジャーマンスープレックスをキャンパー達にくらわせよう

俺達のグレートなキャンプ220 秘技!健康になるジャーマンスープレックスをキャンパー達にくらわせよう


「いやあああああ最高だなあああああ!」

石川は両腕を高々と掲げ、青空に向かって叫んだ。近くでコーヒーを淹れていた中年夫婦がびくっと肩を震わせ、コーヒーを盛大にこぼした。

ここは長野県某所のキャンプ場。標高1200メートル、週末ということもあり、30組ほどのキャンパーたちがテントを張り、思い思いの時間を過ごしていた。本来なら。

石川のテントサイトは、キャンプ場のほぼ中央。すでにテントは設営済み。焚き火台も準備万端。そして石川の目は、まるで獲物を狙う肉食獣のようにぎらぎらと輝いていた。

「石川、その顔やめろって。周りが警戒してる」

富山がクーラーボックスから飲み物を取り出しながら、呆れた声を出した。

「いやいや富山さんよお!今回のは本当にすごいんだって!」

石川は興奮を抑えきれない様子で、富山の肩を掴んでぶんぶん揺さぶった。

「やめっ、やめて!首が!首がもげる!」

「おお、悪い悪い!」

石川が手を離すと、富山はよろよろとクーラーボックスに手をついた。深呼吸を三回。

「で、今回は何するの。もう220回目でしょ?そろそろ普通のキャンプがしたいんだけど」

「普通?普通だって?富山、普通のキャンプなんて退屈すぎるだろ!俺たちは『グレートなキャンプ』をするんだぜ!」

石川の声がまた大きくなる。隣のサイトの大学生グループが、ちらちらとこちらを見ている。

その時、軽快な足音とともに千葉が戻ってきた。

「石川さーん!買ってきましたよー!」

千葉は大きな袋を両手に抱えて、息を切らしながら走ってきた。

「おお千葉!完璧だ!」

石川が袋の中身を確認する。その表情がにやりと歪んだ。

富山が恐る恐る覗き込む。

「ちょっと、何買ってきたの?」

袋の中には、サポーター、マット、そして——医学書?

「これはまさか...」

富山の顔が青ざめていく。

「そう!今回の俺達のグレートなキャンプは!」

石川が袋からマットを取り出し、地面に広げる。青いビニール製のマット。まるでレスリングの練習用のようだ。

「『健康になるジャーマンスープレックスをキャンパー達にくらわせよう』だああああああ!」

石川の高らかな宣言。

キャンプ場に、不穏な空気が流れた。鳥が一斉に飛び立った。

「え、ちょっと待って。ジャーマンスープレックスって、あのプロレス技の?」

「そう!あの華麗なる投げ技!でもな富山、これはただのプロレス技じゃねえんだ!」

石川は医学書をパラパラとめくり始めた。付箋が大量に貼られている。

「俺、調べたんだよ。ジャーマンスープレックスを正しく、安全に、そして健康的に行えば、実は体にめちゃくちゃいいんだって!」

「どこがだよ!」

「いいか、よく聞けよ。ジャーマンスープレックスはな、まず背中を反らすだろ?この動作が脊柱起立筋を鍛える!そして相手を持ち上げる時、大臀筋とハムストリングスが活性化!さらに着地の衝撃を吸収することで、体幹の安定性が向上!」

石川は本を指差しながら、まるで大学教授のように熱弁する。

「加えて!相手との一体感が生まれることで、オキシトシンが分泌!ストレス軽減効果もあるんだぜ!つまり!健康!」

「それ、普通にハグでいいじゃん!なんで投げるの!?」

「ハグじゃパンチが足りねえんだよ!インパクトが!衝撃が必要なんだ!」

「何言ってるのか全然わかんない!」

富山の必死のツッコミ。しかし千葉は目を輝かせている。

「すごい!石川さん、本当に研究したんですね!科学的根拠まで!」

「だろ!?千葉はわかってくれるよな!」

二人はがっちりと握手。

「というわけで富山、お前が一番目な」

「は!?」

「だって富山、最近パソコン作業多くて肩こりひどいって言ってたじゃん。これで一発解消だぜ!」

「解消されるのは肩こりじゃなくて私の意識でしょ!!」

富山が両手を前に突き出し、後ずさる。しかし石川はじりじりと迫ってくる。

「大丈夫だって。俺、ちゃんと練習したし。千葉にも昨日10回くらいかけたけど、ぴんぴんしてるだろ?」

「10回!?千葉くん、よく生きてたね...」

富山が千葉を見ると、千葉は親指を立ててにこやかに笑っていた。

「最初はびっくりしましたけど、意外と気持ちいいですよ!着地の瞬間、ふわっと浮遊感があって!あと視界が一瞬キラキラして!」

「それ脳震盪の前兆だから!」

「よし、じゃあ富山、準備体操からな」

「いやだから私やらないって言ってるでしょ!」

「ほら、腕を回して。血行を良くしないと」

石川が富山の腕を取って、無理やり回し始める。

「やめっ、やめてってば!うわあああ、見てる!みんな見てる!」

確かに、周囲のキャンパーたちが完全に注目していた。中年夫婦は口をぽかんと開け、大学生グループはスマホのカメラを向けている。

「石川さん、マット広げましたよ!」

千葉が準備万端の様子で報告する。青いマットの上に、白いテーピングで「安全第一」と書かれている。

「完璧だ千葉!よし富山、いくぞ!」

「いやあああああああ!」

石川が富山を抱え上げる。富山の両足が地面から離れる。

「落ち着け富山!息を吸って!深呼吸だ!」

「落ち着けるわけないでしょこの状況でえええええ!」

石川は富山を背後に回し、腰を低く落とした。まさにジャーマンスープレックスの構え。

「いいか富山、着地の時は力を抜くんだ!そうすれば衝撃が分散される!」

「そもそも投げなきゃいい話じゃん!理論がおかしい!おかしいってえええ!」

「せーのっ!」

ブリッジ。

石川の体が綺麗な弧を描く。富山の体が宙を舞う。青空を背景に回転する富山。彼女の表情は、完全に諦めている。

ドスン。

マットに着地。見事な受け身だった。

「...あれ?」

富山がゆっくりと目を開ける。

「生きてる...私、生きてる...」

「だろ!?言ったじゃん!完璧に安全だって!」

「それで、どう?肩こり楽になった?」

富山はゆっくりと首を回してみる。そして目を見開いた。

「...あれ?なんか...すっきりしてる?肩、軽い...?嘘でしょ?」

「だろおおお!?やっぱり効果あるんだよ!健康ジャーマンスープレックス!」

石川が両拳を突き上げる。その時だ。

「あの、すみません」

振り返ると、初老の男性が杖をついて立っていた。腰が曲がり、顔には疲労の色が濃い。

「さっきの、見てたんですけど...私にもやってもらえませんか。腰痛がもう3年も治らなくて...病院も5軒回ったんですが...」

男性の目には、藁にもすがる思いが浮かんでいた。

「おお!任せてください!」

石川の目が輝く。

「ちょっと待って石川!」

富山が慌てて立ち上がる。しかし石川は聞いていない。

「では、お名前は?」

「田中と申します。65歳です」

「田中さん!準備はいいですか!」

「お願いします!」

石川が田中さんをゆっくりと抱え上げる。

「せーのっ!」

ブリッジ。綺麗な回転。そして着地。

田中さんは地面に座り込んだまま、動かない。

「...あの、田中さん?」

富山が恐る恐る声をかける。

そして次の瞬間。

「治った...治ったああああああ!腰痛が!3年間苦しんだ腰痛がああああああ!」

田中さんが跳ね起きた。杖を放り投げて、その場で飛び跳ねた。

「すげえ!すげえよこれ!魔法か!?神の御業か!?」

「科学です!」

石川が胸を張る。

その様子を見ていた周囲の人々が、ざわざわと騒ぎ始めた。

「おい、今の見たか...」

「杖なしで飛び跳ねてるぞ...」

「嘘だろ...」

そして、一人の女性が進み出た。30代後半くらい。目の下には深いクマ。

「あの、私...眼精疲労がひどくて...仕事でパソコン使いすぎて...目薬も効かなくて...」

「任せてください!」

石川が女性を抱え上げる。

ブリッジ。回転。着地。

女性が目を見開く。

「え...嘘...見える...すっごいクリアに見える!あの山の木まで一本一本見える!視力2.0くらいになってる気がする!」

「マジかよ...」

富山が呆然と呟く。

「次、俺!」

若い男性が飛び出してきた。

「猫背が治らなくて!整体も行ったけどダメで!」

「任せろ!」

ブリッジ。回転。着地。

「うおおおお!背筋が!ピンと伸びた!姿勢が!俺、モデルみたいな姿勢になってる!」

男性がその場でポージングを始める。

そしてもう一人。痩せた中年男性が震える声で言った。

「俺...うつ病って診断されて...もう2年も...薬も飲んでるけど...毎日が辛くて...」

石川の表情が真剣になる。

「わかりました。任せてください」

石川が男性を優しく抱え上げる。そしていつもより丁寧に、いつもより慎重に、ブリッジをかけた。

着地。

男性は地面に座り込んだまま、目を閉じている。

数秒の沈黙。

そして。

「...軽い。心が、軽い。なんだこれ...嘘みたいだ...さっきまでの重苦しさが、全部消えた...」

男性の目から涙が溢れ出す。

「嘘だと思えるくらい...気楽になった...こんな感覚、何年ぶりだ...」

「よかった...」

石川も目頭を押さえた。

そしてキャンプ場全体が、異様な熱気に包まれ始めた。

「俺も!俺も腰が痛いんだ!」

「私も肩こりが!」

「頭痛持ちなんです!」

「不眠症で!」

「便秘が!」

「花粉症が!」

人々が次々と集まってくる。もはや列ができている。いや、列というより群衆だ。

「よっしゃああああ!全員やってやる!」

石川が拳を突き上げる。

そして始まった。健康ジャーマンスープレックス祭り。

ドスン、ドスン、ドスン、ドスン。

リズミカルにマットに人が着地していく音。そしてその度に上がる歓声と奇跡の報告。

「五十肩が治った!」

「膝の痛みが消えた!」

「偏頭痛がなくなった!」

「アトピーが!」

「花粉症が!」

「痔が!」

もはや医学的根拠もへったくれもない。しかし人々は確かに健康になっていた。プラシーボ効果なのか、本当に効果があるのか、もはや誰にもわからない。

そして30分後。

「キマるううううううう!」

さっきの田中さんが叫んだ。目がトロンとしている。

「もう一回!もう一回やって!お願い!」

「お、おう...?」

石川が戸惑いながらも、再度田中さんを投げる。

「うひょおおおお!これだああああ!この浮遊感!この衝撃!たまんねえええええ!」

田中さんが恍惚の表情を浮かべている。

「ちょっと、田中さん?大丈夫?」

富山が心配そうに声をかける。

「大丈夫!超大丈夫!むしろ最高!もう一回!」

「いや、でも...」

「もう一回いいいいい!」

田中さんが石川にしがみついた。

そして周囲を見渡すと、他の人々も同じような状態になっていた。

「もう一回やって!お願い!」

「俺も!俺にも!」

「ジャーマンスープレックスがクセになった...ぐへへへへ」

眼精疲労が治ったはずの女性が、よだれを垂らしながら石川に近づいてくる。

「ちょっと、みんな落ち着いて!」

富山が人々の前に立ちはだかる。しかし人々は聞いていない。

「ジャーマンスープレックス...ジャーマンスープレックス...」

「投げて...投げて...」

「キメさせて...」

もはやゾンビ映画のような光景だ。人々がよろよろと石川に迫ってくる。

「うおおお!わかった!わかったから落ち着け!順番に!順番にやるから!」

石川が叫ぶ。そして再び投げ始めた。

ドスン、ドスン、ドスン、ドスン、ドスン。

もはや機械のような正確さとスピードで、石川は人々を投げ続ける。

1時間。

2時間。

3時間。

夕方になっても、人々の列は途切れない。それどころか、噂を聞きつけた隣のキャンプ場からも人が来始めた。

「ここでジャーマンスープレックスやってるって聞いたんですけど!」

「俺にも!俺にも頼む!」

石川の顔から汗が滝のように流れている。腕が震えている。呼吸が荒い。

「石川さん、大丈夫ですか!?」

千葉が心配そうに声をかける。

「だ、大丈夫だ...まだいける...」

しかし明らかに限界が近い。

「ちょっと休憩しましょうよ!」

富山も心配そうに駆け寄る。

「いや...まだみんな待ってる...俺が...やらないと...」

石川がまた一人投げる。しかし着地が乱れた。

「石川さん!」

そしてまた一人。石川の足がよろけた。

「無理しないでください!」

「大丈夫...俺は...グレートキャンパーだから...」

石川がまた一人を抱え上げようとした瞬間。

ガクッ。

石川の膝が崩れた。

「石川さん!」

千葉と富山が駆け寄る。石川は地面に座り込み、荒い息をしている。

「誰か...今度は...俺に...やってくれ...」

石川が震える声で言った。

周囲の人々が顔を見合わせる。

「え、やり方...わかんない...」

「俺もやってもらう専門で...」

「投げ方、教えてもらってない...」

誰一人として、ジャーマンスープレックスのやり方を知らなかった。みんな投げられるだけで、投げる技術は学んでいなかったのだ。

「そんな...」

石川の目から涙が溢れる。

「俺は...みんなを健康にした...でも...俺は...誰にも...投げてもらえない...」

その姿は、あまりにも哀れだった。健康の伝道師が、自らは健康になれない。与えるだけで、受け取ることができない。

「なんて...なんて皮肉な...」

富山が呟く。

そして石川は力尽きたように、その場に倒れ込んだ。

「石川さん!」

「意識が!意識がない!」

千葉が慌てて救急車を呼ぶ。

10分後、サイレンの音とともに救急車が到着した。

「患者さんはどちらですか!」

「ここです!」

救急隊員たちが石川のもとに駆け寄る。

「意識レベルは?」

「さっきまで朦朧としてましたが、今は完全に意識ないです!」

「原因は?」

「ジャーマンスープレックスのやりすぎで...」

救急隊員の動きが止まる。

「...は?」

「ジャーマンスープレックスを、3時間以上、100人くらいに、連続でかけ続けて...」

救急隊員たちが顔を見合わせる。

「...初めて聞いたな、その搬送理由」

「俺も30年やってるけど初めてだ」

救急隊員たちは困惑しながらも、石川をストレッチャーに乗せた。

「同乗される方は?」

「私が!」

千葉が手を上げる。

「わかりました。では病院まで」

救急車が出発する。その様子を、キャンプ場の人々全員が見送っている。

みんな、申し訳なさそうな表情だ。しかし目はまだトロンとしている。中毒症状は消えていない。

「...どうしよう」

誰かが呟いた。

「ジャーマンスープレックス...もうできないのかな...」

「明日また来てくれるかな...」

人々の呟き。

富山は頭を抱えた。

「何なのよこれ...何が起きてるのよ...」

彼女は終始、ただただ唖然としていた。最初から最後まで、理解が追いつかなかった。

健康になるはずのジャーマンスープレックスが、中毒性のある麻薬のようなものになり、そして創始者である石川は過労で倒れた。

「これ...キャンプなの...?これ、本当にキャンプだったの...?」

富山の問いかけに、誰も答えられなかった。

夕日が沈み、キャンプ場は静かになった。

しかし人々の目には、まだあの浮遊感への渇望が残っている。

マットだけが、夕日に照らされて、虚しく地面に広がっていた。

その上には、「安全第一」の文字。

なんとも皮肉な光景だった。


翌日。

病院から戻ってきた千葉の報告によると、石川は過労と筋肉疲労で入院することになったという。

「1週間は安静だそうです」

「そう...」

富山はため息をついた。

そしてキャンプ場を見渡す。

昨日の人々は、まだいた。

テントの前で、じっとこちらを見ている。

まるで、石川の復活を待つかのように。

「ジャーマンスープレックス...」

「また...投げてほしい...」

小さな呟きが、あちこちから聞こえてくる。

「...帰ろう、千葉くん」

「はい...」

二人は急いで荷物をまとめた。

そして車に乗り込む直前、富山は振り返った。

人々がゆっくりと、こちらに歩いてきている。

「ジャーマンスープレックス...」

「投げて...」

「健康に...なりたい...」

「早く乗って!」

富山が叫び、二人は車に飛び乗った。

エンジンをかけ、急発進。

バックミラーに映る、手を伸ばす人々の姿。

「なんだったの、あれ...」

富山の呟き。

千葉は黙っている。彼も、何が起きたのか理解できていない。

そして車が山道を下っていく。

キャンプ場が遠ざかっていく。

しかし富山の脳裏には、あの光景が焼き付いている。

健康を求めて群がる人々。

中毒のような渇望。

そして倒れた石川。

「もう...もう普通のキャンプがしたい...」

富山の心の底からの願い。

しかし彼女は知っている。

石川が退院したら、また何か始めるだろう。

220回もグレートなキャンプをやってきた男が、これで終わるはずがない。

きっと次は「221回目」がある。

そしてまた、とんでもないことが起きる。

「...神様、お願い。次は本当に普通のキャンプにしてください...」

富山の祈りは、きっと届かない。

なぜなら石川という男は、普通を拒絶して生きているのだから。

車は山道を下り続ける。

そして富山の携帯に、メッセージが届いた。

石川からだ。

『退院したら、次は「健康になる空中殺法」をやろう!』

「いやああああああああ!」

富山の絶叫が、山々にこだました。

完。

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