序章 秘密の文通

 広く暖かい部屋の中、2人の幼い王女姉妹が人形遊びをしていた。イルラット王国の第一王女であるシャーロットは、人形を膝に乗せ、部屋の扉を気にしている。うねりのない黒い長髪に、この国では珍しい焦げ茶の瞳。齢5歳ながら、美しいと評される少女は、妹であるティーロットから見ても、一国の姫にふさわしかった。お下げ髪にただの黒い瞳。何の変哲もない自分とは、大違いの容姿である。

「カリル、まだ帰ってこないね」

 世話役が他のメイドに呼び出され、しばらく経つ。なかなか戻って来ず、シャーロットは不安そうにつぶやいた。ティーロットは、人形の口にティーカップを近づけながら返答する。

「すぐに帰って来るよ。シャーロット、何かしたの?」

 シャーロットは、驚いた顔でティーロットを見た。あまりにも目を丸くしているので、ティーロットは笑ってしまう。

 いたずら好きの姉は、メイドを困らせることが度々あった。外見でしか姉を見ない人からすると、この美しい少女が問題を起こすことなど考えつかないだろう。昨日も、メイドの髪を触りたいと駄々をこね、最後には頭をリボンだらけにしていた。その姉が何かしでかしたのかと思ったが、どうやら違うようである。

「あのさ」

 ティーロットが言いかけたとき、窓の外から、小さな音がした。最初は聞き間違いかと思ったが、何度もつつくような軽い音に変わる。ここは、2階。城の警備は厳重にされており、誰かがいたずらをしているとは思えない。眉をひそめたティーロットは、大人を呼ぼうと立ち上がる。しかし、視界の隅で、シャーロットが窓に駆け寄っていくのが見えた。

「待って、シャーロット!」

 ティーロットは、思わず叫んでしまう。シャーロットは止まらないどころか、少し高めの窓枠に手をかけ、背を伸ばして勢いよく窓を開けた。ティーロットは身構えたが、何も起きない。数秒後、部屋に飛び込んできたのは、小さな茶フクロウだった。

「へディ!」

 ヘディと呼ばれたフクロウは、シャーロットの呼びかけにピィと鳴くと、そのまま胸に飛び込む。ティーロットは、扉にかけていた手を下ろし、シャーロットに駆け寄った。

 ヘディは、シャーロットが飼っているフクロウである。基本的に城の中で飼っているはずだが、なぜ外から帰ってきたのか。ヘディは顔を上げ、くちばしに咥えていた四角い紙を、シャーロットに差し出した。手のひらほどの大きさに折り畳まれた紙の端には、ともだちへ、と大きく書かれている。

「何それ、お手紙?」

 ティーロットの問いに、シャーロットは頷き、紙を開く。何かの書類の切れ端を使ったのだろうか。端々に文字が見えた。右下には、何かの紋章である赤い押印が見切れている。葉が連なっており、剣と鷲、王冠が描かれているように見えた。どこかで見たような紋章である。

 ティーロットが手紙の中を覗くと、今日したことや楽しかったことが、大きな文字で書かれていた。鉛筆で書かれた綺麗な筆跡だが、子どもが母親に体験したことを話しているような内容。まるで、ティーロットたちと同じ幼い子供が書いたもののようだった。

「これって、前に言ってた、お友達?」

 シャーロットは手紙を読むのに夢中で、生返事しかしない。ティーロットは、小さくため息をついた。

 姉は、半年前から文通をしている。隠すのが上手いせいで、行動を共にする事の多いティーロットでさえ、気付くのが遅れた。もちろん、両親や使用人は知るわけがない。

 相手の素性を知らないで文通しているというのだから、最初、ティーロットは猛反対した。しかし、相手が幼い子供と思われること、こちらに危害を加えることはないと判断したため、口外しなかったのである。それに、ティーロットが言わなくても、そのうち露見するだろう。姉には、つかの間の文通を、楽しんでほしかった。

 シャーロットは、何度も手紙を読み返している。肩をゆすっても、反応は薄い。暇を持て余したティーロットが部屋を歩き回っていると、扉の向こうからコンコンと音がした。シャーロットが、顔を上げる。

「姫様、カリルです」

 失礼いたします、と言いながら、世話係であるカリルが部屋へと帰ってきた。シャーロットは、慌てて手紙をポケットに突っ込む。ぐしゃっと、紙がつぶれる音がした。

 カリルは、シャーロットの隣に座るフクロウを見て、驚いた表情をする。

「あら、ヘディ、ここに居たんですか。また貴方が行方不明になったというから、他のメイドから叱られてしまいましたわ」

 カリルは、ヘディを抱き上げる。

「フクロウと言えど、姫様お付きである自覚を持っていただかなくては」

 ヘディは頭を撫でられると、ピィと鳴いて目を細めた。カリルは少し屈み、シャーロットに向けて手を伸ばす。

「お待たせしてしまい、申し訳ありません。私のいない間、お変わりはありませんでしたか?」

 ティーロットが頷くと、カリルは微笑んだ。

「さぁ、姫様、もうすぐ昼食ですので、行きましょう」

 シャーロットは頷き、ティーロットの手を取る。彼女らは、カリルに促されて部屋から出ていった。


 数か月後の春、5歳になったティーロットは、シャーロットも在籍している学園の初等部に入学した。隣国であるマール王国との境界に位置しており、貴族などの上流階級の子どもが通う、高等部までの一貫校である。今年は、マール王国の第一王子も同じく入学すると、国中で話題となっていた。

 イルラット城内でも、美しい王子と同級生になることに対し、羨ましいという声がある。ティーロットに対しては、王子と懇意になれば、いずれマール王家へ輿入れできるのではないかと期待が寄せられていた。正直、ティーロットは自身の結婚など興味はない。イルラット王国の王女である以上、周りからの好奇の目は避けられない。目立つのは大嫌いである。注目の的が分散される意味で、王子が入学するのはありがたいと思っていた。

 入学して数日後、ティーロットが人目を避け、学園を歩いていると、遠くで歓声が上がった。誰か有名人でも来ているのだろうか。ティーロットがその場所に行ってみると、初等部の中庭で人だかりができていた。初等部だけでなく、中等部以上の人もいるようである。

 目を凝らすと、中心に小さな子どもがいるようだった。癖のない金髪に、漆黒の瞳。遠くながらも、1人だけ輝いているように見える容姿。紛れもない、マール王国の王子である。直接的に会話をしたことはないが、大きな式典で顔ぐらいは見たことがあった。王子は輪の中で、楽しそうに会話をしている。ティーロットから見ると、たった5歳の子どもを大勢の子どもが取り囲み、へつらう様子が異様に思えた。

 ふと、王子がこちらを見る。目が合ったティーロットは、しまった、と思った。慌てて目を逸らして下を向くが、王子が何か言ったのだろうか、遠くから大勢の目線を感じる。何も起こらないでくれ、と願っていると、1つの足音が近づく気配がした。

「ティーロット様で、いらっしゃいますか?」

 顔を上げると、端正な顔立ちの子どもがいた。紛れもなく、先程まで輪の中心にいた王子本人である。こちらを見つめる漆黒の瞳は、虹彩によっていくつもの色が重なっており、見つめられるだけで吸い込まれそうだった。ティーロットは、怖いと思った。

「以前、祝賀会でお見かけしましたが、直接のご挨拶は初めてですね。私は、マール王国の第一王子、ラシュー=マールと申します。お会いできて光栄です」

 ラシューの礼をする様は、同じ年齢の子どもとは思えないほど完璧である。一国の王家同士が交流しているからか、2人は大勢の注目の的となっていた。ティーロットは小さく息を吸い、微笑んで、スカートの端を持つ。メイドから教えられた通りに、軽く膝を曲げた。

「イルラット王国の第二王女、ティーロット=イルラットと申します。こちらこそ、お会いできて光栄ですわ」

 ラシューは、目尻を下げ、柔和に笑っている。ティーロットは、ラシューの首元にあるブローチが目についた。葉が円状に連なっており、剣と鷲、王冠がある紋章が描かれている。

 既視感を覚えて記憶を辿ると、昔に姉が文通をしていた手紙にあったものと同一であると気付く。まさか、姉の文通相手は、マール王家に関する人物であるのか。どこまでの階級の人間かは分からないが、紋章を使うことができる人物は限られる。てっきり、イルラット王国内での文通かと思い込んでいたのに。ティーロットは、体温が引いていく心地がした。

「どうしましたか?」

 止まってしまったティーロットに、ラシューが声を掛ける。

「いえ、何でもありませんわ。同門として、これからよろしくお願いしますね」

 ティーロットは慌てて取り繕い、軽くお辞儀をしてから、早々に立ち去った。頭の中は、姉の文通相手のことで埋め尽くされている。冷や汗をかいていた。

 姉は、相手が誰か知っているのだろうか。マール王国の、王家に準じる人物であるかもしれない事実を知っているのだろうか。今でも文通が続いているのはティーロットも分かっているが、彼女がどこまで相手の情報を理解し、相手にこちらの素性を漏らしているのかまでは把握していない。一刻も早く、確認しなくては。少し駆け足になりながら、ティーロットは教室に帰って行った。


 焦りを含んで去って行くティーロットの背を、マール王国の王子、ラシューが見つめている。

(……聞いてた通りの、お姫様だな)

 細まった目には、僅かに親しみが込められていた。

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イルラット伝記 karam(からん) @karam920

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