上手な突き指は一人では出来ない
浅川 六区(ロク)
上手な突き指は一人では出来ない
給食前の四時間目。
体育の授業中にバレーボールをしていて突き指をしてしまったボクは、クラス委員の由美香に付き添われて保健室に行った。
保健室のスライドドアを開けると、中には保健室の京子先生と談笑する一人の女子がいた。同じクラスの里美という女子だった。
彼女は四月のクラス替えで同じクラスになった時から、ずっと学校を休んでいたから、六年生になってから彼女の姿を見るのは久しぶりだった。
もう六月だというのに…。
里美の髪は肩の高さで綺麗に切り揃えられていて、前髪も眉のあたりでパッツンと真っ直ぐに一直線になっている。こんなに近くで見たのは初めてだったけど、可愛い女子だなと思った。
里美はボクらの姿に気が付くと、急に口を閉じて後ろにススッーっと
下がって行き、保健室の後方にあるカーテンの向こうに隠れる様に消えた。
京子先生は少し驚いた表情で、
「あれ、どうしたの?怪我?」と、指先を抑えるボクに訊いた。
同行してくれていたクラス委員の由美香が、簡単に怪我の状況を説明した。
由美香は保健室から出て行く直前、カーテンの向こう側に消えた里美に向かって言った。
「里美ぃーー、いつでも…教室に戻って来なよー」
カーテンの向こうから返事はなかった。
ボクはカーテンの向こう側を気にしながら、京子先生に訊く。
「今の…、里美?ですよね?ずっと学校を休んでいると思っていたけど、来てたんですね」
「ん?気になるの?里美ちゃん可愛いから気になったんでしょー?」と、
ボクを
「…里美、ずっと学校に来てないし、教室の席もいつも一つだけ空席になってるから、何で来ないのかな…って」
「里美ちゃんはね、学校は休んでないよ。四月からずっと毎日、一日も休まないで登校してるよ。この保健室に。そうだよねーー里美ちゃんーー」と、後半はカーテンの向こう側にむけて、里美に語りかけるように言った。
それでもカーテンの向こう側から返事はなかった。
「教室には来ないで、保健室に登校してたんだ…」ボクは先生に言った。
「そうそう。そういうのもありなんだよー。君も…えーっと、浅川ロク君も来る?
明日からこの保健室に」京子先生は、『入室・治療記録簿』を見ながら、ボクの名前をフルネームで呼んだ。
「ここで?この保健室で勉強とかするの?」
「もちろん。だって教室と同じだもん」
「国語とか算数とか…ここでやるの?」
「そうだよ。私だって医大を出てるんだよ。一昨年までは、キュンキュンでツヤっツヤの女子大生だもん。小学校の国語や算数なんて、逆立ちしながらでも教えられるよ」と、先生はふふふと笑った。
「さ、逆立ちしながらって…、そんな先生イヤだよー。じゃ、じゃあボクは…
えっと…ケン玉しながら先生の授業を受けるよ」ボクが自慢出来ることはケン玉くらいしかないから、先生のジョークに乗せられてしまい、つい『ケン玉』を口に出してしまった。
「なんでよお。ロク君、なんでケン玉しながら授業を受けるのよ?授業だからちゃんと大人しく座って受けなきゃダメでしょーよー」先生はそう言うと、あははと笑い、ボクも声に出して笑った。
その瞬間、カーテンの向こう側で、「ぷっ」っと、笑いを堪えきれずに吹き出す
声がした。里美だ。里美が笑ってくれたんだ。
京子先生はカーテンの奥を意識しながら、ボクに言った。
「ねえロク君…、もうそろそろ給食の時間だけど、今日はここで食べる?」
「えっ?ここ?ここって、保健室ってこと?」
先生は静かに
「えー、そんなこと出来るの?」
「だから〜、ここは教室と一緒なの。なんでも出来るの」先生はそう言うと続けて「ねぇーーー、里美ちゃーん、良いよねー?今日はロク君も入れて、三人で給食を食べても、良いよねー?」とカーテンの向こう側に問いかけた
どうせまた返事も無いだろうと思っていたら、
「…良いよ」と、返事が聞こえた。里美の小さい声だった。
京子先生がうちの担任に話を通してくれて、その日ボクら三人は保健室で給食を食べることになった。
カーテンの向こう側には病人用のベッドもあったが、その奥にテーブルと椅子も幾つかあって、ボクたちはそこに給食のトレーを三つ並べた。
里美は、一言二言口は開いたが、自分から進んで喋ることはなかった。
三人が給食を食べ終わると京子先生はボクに言った。
「ああ…、明日の給食は焼きそばかー、私焼きそばが苦手なんだよねぇー、どうしようかなー。残しちゃおうかなぁー」それは明日の給食の焼きそばをあげるから、
また明日も一緒にここで給食を食べようという、ボクへの誘いだった。
ボクは、焼きそばに釣られたフリをして、
「そうなの?京子先生は焼きそばが苦手なんだー。ボクは焼きそばが大好きなんだよね、そ、それをくれるのなら、だったら明日もここで給食を食べようかなー。絶対に焼きそばくれるんだよね、約束だからね、焼きそば!」と、焼きそばに夢中になる幼い子供みたいな役を上手に演じた。焼そばが好きなのは本当だけど、少し芝居がかっていたかなと後悔したが。
そうこうして二日目、三日目と…保健室のカーテンの向こうで、三人で給食を食べる日が何日も続いた。
始めは何も喋らなかった里美だったが、先生やボクが冗談を言い合いするのを聞いていて、だんだんと打ち解けて自らも言葉を発するようになっていった。
時折、嬉しそうな笑顔も見せてくれるようにもなった。
そんなある日、
京子先生は昼休みに用があり、ボクらと一緒に給食を食べる事が出来ない日があった。
つまりボクは里美と二人きりで、保健室で給食を食べることになってしまうのだ。
ボクはそれでも構わなかったが、男子と二人きりでは里美が嫌がるかもしれないと思い、クラス委員の由美香に声をかけた。
由美香は
その話を聞きつけた七瀬が「明日は私が保健室給食に行きたい」と言い出し、
ユウタも「ほいじゃあー、その次の日はオレが行くぜ」と手を挙げた。
ボクは今までと同じように、給食配膳トレーを教室から持って来て保健室へと運んだ。里美の分と自分の分、そして京子先生の分か、またはクラスメイトからやって来る日替わり
六月最後の月曜日。
その日の保健室給食は京子先生も居ない日で、クラスメイトからの日替わり来賓者も居なかった。
里美が「今日で最後だから、最後…はロク君と二人だけで給食を食べたい」と言ったから、ボクがクラスのみんなに言って、来賓を全て断ったのだ。
保健室に給食トレーが二つ並ぶと、里美はボクに「ありがとう」と言った。
「なんのお礼?」ボクは首を傾げた。
里美は何も答えず黙っていた。
「今日のこの給食を『最後だから』って言ってたけど…、『最後』って、
どういう意味?」
「もう…明日からは教室へ戻れそうな気がするの。だから、この保健室に登校するのも、ここで給食を食べるのも今日で最後にしたいの」
「そっか。それは良かった」ボクは里美の言葉を受け入れた。
里美は、自分の座っていたパイプ椅子の向きを変えて、ボクの方を真っ直ぐに見て言った。
「…ロク君が、体育のバレーボールなんかで突き指する訳ないでしょ。バスケもサッカーも野球でも、なんでも出来ちゃうスポーツ万能な浅川ロク君が。バレバレだよ。きっと…クラスのみんなでジャンケンか何かして、ロク君が負けたから、
『突き指をした』という嘘の演技をして私が心配で様子を見に来てくれたんでしょ」
カーテンが大きく揺れた。空いていた窓から六月の優しい風が入り込んで来た。
里美の言葉にボクは何も返さず黙っていた。
里美は続けた。
「あとー、焼きそばの日。京子先生が言った『焼きそばが苦手』だなんて、
あんな分かりやすい嘘までついてー」
「京子先生が、焼きそばが苦手じゃない、ってこと知ってたの?」
「知ってたも何も…。だって、私、京子先生とは四月からずっと一緒に給食を食べてるんだよ。その間に何度も焼きそばを食べてるし。それも京子先生、美味しいー、とか言って両手で頬を抑えながら」
そう言うと、里美はぷっと思い出し笑いをした。
「そっか…」
「そう。ぜーーんぶ、バレバレでした。でも…でもね、そのみんなの気持ちが私嬉しくて…早くみんなの居る教室に戻りたいって。みんなと同じ教室で勉強して、みんなと一緒にトレーを並べて給食も食べたいって、そういう気持ちになったの。明日から…頑張ってみる。だから、だから…そのお礼が言いたかったの」
「全部気が付ていたんだね」
「うんっ。由美香ちゃんや七瀬ちゃん、ユウタ君までも、みんなみんな私のために…。泣きそうなくらいに嬉しかった」
「でも里美の推理は一つだけ間違ってたよ」
「えっ?どこか違ってた?」
「ジャンケンだよ。ジャンケンでボクは勝ったんだ。勝ったボクが、『突き指』をしたフリをして里美に近づけるという、クラスで最高の王子役を勝ち取ったんだ。ジャンケンで負けた訳じゃないんだよ」
初夏を迎えた七月の教室に空席は一つもなく、クラス全員分の給食トレーが机の上に並べられていた。
窓の外には綺麗な青い空が広がって見えた。
今日はこのクラスの全員が、初めて揃った日だ。
教室の後方の席にいる里美は、女子らに囲まれて笑顔でお喋りをしている。
給食も美味しそうに頬張っていた。
給食の時間も終わりになり、トレーを下げる時、里美はボクの席の横を通った。
トレーの下に隠すように持っていた小さく折り畳んだ手紙を、周りのみんなに気付かれないように、そっとボクに手渡した。
手紙にはこう書かれていた。
大好きな王子様へ
私を保健室から救い出してくれてありがとう。ようやくこの教室の、
この席に戻って来ることが出来ました。
やっとクラスメイトの一員になれました。このクラスは楽しいです。
みんなみんな大好きです。こんなに素敵な居場所を気付かせてくれて、今とても感謝しています。
もしも次に誰かが保健室へ行くようなことがあれば、今度は私がその子を救出に行きます。その時は、上手な突き指の仕方を、私に教えて下さい。
里美
Fin
上手な突き指は一人では出来ない 浅川 六区(ロク) @tettow
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