祝いの左腕
風
祝いの左腕
「今度の地元の祭り、来ない? 晴れ舞台なんだ」
講義が終わって教室がほどけるとき、ミオがそう言って笑ったのを、俺は少し離れた席で聞いていた。
笑い声の輪の中心に彼女がいて、周りに何人かの男子と女子が寄っていく。
ミオは、手元で指をそろえる癖がある。
ペンを回すときも、スマホを持つときも、左手の薬指がいちいち光る。
婚約指輪、と噂で聞いた。
俺に向けて言った言葉じゃないのに、なぜか誘われた気になってしまう。
実際、誘われていない。
「行く?」と声をかけてきたのは、友達の友達みたいなやつで、俺の名前はその場で一回言い間違えられた。
「人数多い方が縁起いいってさ。お客様は神様、らしいよ」
そういうノリで、俺は流れに乗った。
被害者の顔をしながら、乗った。
当日の朝、集合場所の駅前には、ミオはいない。
連絡係みたいな男子がスマホを見ながら「あとで合流だって」と言う。
画面には短いメッセージだけが出ているらしい。
誰も深く聞かない。
晴れ舞台って言ってた本人がいないのに、みんなは祭りの話を続ける。
「ミオの地元、山の方だっけ?」
「めっちゃ田舎らしいよ。でも料理がすごいって」
「祝い膳とか出るんじゃね」
俺は相槌だけ打って、電車の窓に映る自分の顔を見る。
目の下が少しだけ暗い。
寝不足、ということにしておく。
乗り継ぎが増えるたび、携帯の電波が薄くなる。
駅を降りると、村の方から車が迎えに来ていた。
白い軽トラックと、黒いワゴン。
運転席の男が降りてきて、深く頭を下げる。
「ようこそおいでくださいました。遠いところ、まことに。お客様、神様でございます」
笑っている。
歯並びがいい。
声も柔らかい。
言葉だけが少し重い。
「神様って、マジで言ってる?」
「村の言い方らしいよ。ね、いいじゃん」
クラスメイトはノリノリで、ワゴンに乗り込む。
俺も遅れて乗る。
シートの布が、日向の匂いと古い芳香剤の匂いを混ぜている。
村は、思ったよりも整っていた。
道端に赤白の幕が張られ、竹が立って、紙垂が風に揺れている。
家々の門には小さな札が下がっていて、黒い墨で「祝」「嫁入り」「縁起物」と書かれている。
どの文字も、丁寧で、ゆっくりしている。
村の入口に、看板がある。
――本日、地元祝いの祭り お客様(神様)歓迎
下に小さく、読めるか読めないかの字で「奉納お手伝い大歓迎」とある。
案内された公民館みたいな建物では、年配の女性たちが湯気の立つお茶を配っていた。
湯呑みに描かれた鶴の絵が、やけに白い。
「まあまあ、よくおいで。神様、神様」
呼び方が、当たり前みたいに繰り返される。
笑顔が崩れない。
礼儀が崩れない。
だから、こちらも崩せない。
奥の方では、白装束の男が祝詞の練習みたいな声を出している。
意味は分からないのに、語尾の揺れだけが耳に残る。
湿った木と線香と、甘い酒の匂いが混ざって、祭りの匂いになる。
「本日は、お願いがございまして」
さっき迎えに来た男が、また深く頭を下げる。
「神様方に、奉納のお手伝いを少し。ほんの少しでございます。外から来たお客様の手が入ると、祝いが締まりますので」
「やりますやります!」と誰かが即答する。
断る空気がそもそもない。
俺は、「巻き込まれた」と思う顔を作って、最後に小さくうなずいた。
断らない理由を頭の中で並べる。
断った方が目立つ。
ここで目立つのは、よくない。
奉納の品は、裏手の納屋みたいなところに用意されていた。
木箱が五つ。
蓋の上に、東西南北と、中央、と札が載っている。
文字の横には、小さな飾り紐と、紅白の水引。
祝い事のはずの飾りなのに、紐の結び目が固い。
箱を開けると、白い紙と布が重ねられて、その下に、肉がある。
何の肉か、説明はない。
説明されないことが、ここでは礼儀なんだと、なぜか分かる。
肉は大きく切り分けられていて、部位がそれぞれ違うのが分かる。
形で分かってしまう。
脂が光っている。
塩の粒がついている。
触ってもいないのに、ぬるっとした感触が脳内に立ち上がる。
「おお、すげぇ……」
クラスメイトは覗き込んで、面白がる。
「これ運ぶの? 神様っぽいじゃん」
「東西南北中央って、なんかゲームのクエストみたい」
笑い声が軽い。
俺は笑えない。
でも、笑えない顔をしすぎると、また目立つ。
「担当を決めましょうか」
村の男が、にこやかに言う。
「東は脚、西は脚、南は……胴、北は……頭、中央は……残り。こちら、左腕をお願いできますか」
最後の言い方が、やけに具体的だ。
左腕。
俺は「俺ですか」と言ってしまってから、頷くしかなかった。
布で包まれた塊を抱える。
思ったより重い。
思ったより、柔らかい。
布越しに、形がある。
形があることが、いちばん嫌だ。
布には、祝いの柄が刺繍されている。
鶴と亀と松。
めでたいものばかり。
めでたい布の下のものを、めでたい顔で運ぶ。
それがルールなら、そういうものだ。
社は村のあちこちに散っている。
東の社に向かった組は、笑いながら写真を撮っている。
西の組は「迷った」と言いながらも楽しそうだ。
中央の社に行くやつらは、「中央って本殿っぽくない?」とテンションが上がっている。
俺は北側の小道を案内される。
木々が近くて、空が細い。
足元の落ち葉が湿っていて、踏むと音がしない。
音がしない道は、歩いている感覚が薄い。
案内役の村人は、若い男だった。
礼儀正しく、ずっとにこにこしている。
「神様、重うございませんか」
「大丈夫です」
俺は敬語になる。
神様って呼ばれているのに。
「今年は晴れ舞台でして。嫁入りが、めでたく整いました。外から神様が来てくださると、縁起がつきますから」
嫁入り。
その単語だけが、布の重さに刺さる。
「……誰が、嫁入りするんですか」
口を滑らせるみたいに聞いてしまう。
すると男は、笑ったまま目を少しだけ細める。
「決まっておりますよ。決まっていることは、変えません」
答えになっていない。
答えじゃないことが、答えだ。
社は小さかった。
苔のついた石段。
しめ縄。
紙垂。
白い花。
赤い花。
鈴。
鈴の音が、乾いている。
祝詞が始まる。
先に来ていた年配の男が、低い声で言葉を流す。
意味は分からない。
けれど、「祝い」「神様」「嫁入り」だけが、たぶん繰り返されている。
「こちらへ」
布をほどくのを手伝えと言われる。
俺の手が、勝手に動く。
布の端を持ち上げた瞬間、ふわっと甘い匂いが立つ。
酒と、脂と、熱のない生暖かさ。
肉の上には、飾りが乗っていた。
細い金の糸で編んだ輪。
鈴。
小さな紙の花。
お守りみたいな布切れ。
その中に、指輪がある。
左手薬指にはめるための、細い輪。
俺は見覚えがある。
講義中、ミオがペンを回しながら触っていたやつだ。
光り方が同じで、石の留め方が同じで、何より、指輪の内側に小さな傷があった。
ミオはそれを、たまに爪でなぞる癖があった。
俺は、指輪を見てしまった。
見てしまったから、分かってしまう。
晴れ舞台って、そういう意味だったのか。
外から来た客が神様として扱われる理由も、たぶん。
嫁入りの相手が、神様だってことも。
俺は喉の奥が冷たくなるのを感じながら、視線を上げないようにして、飾りの位置を整える。
整える、という言葉がここでは正しい。
儀式が終わると、村人たちは深々と頭を下げて「ありがとうございました」と言う。
感謝される側の顔を、俺はうまく作れない。
だから、あいまいに笑う。
被害者みたいな笑い方だと思う。
でも、今さら。
公民館に戻ると、料理が並んでいた。
長机に、赤飯。
祝い餅。
鯛の塩焼き。
煮しめ。
野菜の和え物。
そして、肉料理がいくつも。
皿の札に名前が書いてある。
――神様の祝い煮
――嫁入り鍋
――縁起の油焼き
――お客様迎えの甘辛煮
めでたい言葉が、肉の上に載っている。
肉はよく煮込まれていて、箸で崩れるほど柔らかい。
脂が照明をはね返している。
「うまっ! これ、何の肉?」
「さあ? でもめっちゃいい味する」
クラスメイトたちは何も知らない顔で食べる。
知らない顔というか、知ろうとしない顔。
写真を撮って、笑って、口いっぱいに頬張る。
村の女性が、お酌に回りながら言う。
「神様、たくさん召し上がって。祝いですから。縁起物ですから」
笑顔。
礼儀。
柔らかい声。
断ることが失礼になるように、丁寧に包んでくる。
俺は肉料理に手を伸ばさない。
伸ばさないのに、皿の匂いは鼻に入る。
甘い。
醤油。
生姜。
酒。
脂。
どれも祝いの匂いに見せかけて、下に別の匂いがいる気がする。
俺は野菜だけ取る。
煮しめの蓮根。
菜っ葉の和え物。
赤飯も少しだけ。
食べない理由は簡単だ。
俺は食べなければ関係ないし、運んだのは「手伝い」だから、祝いの段取りそのものに口を出す筋合いもない。
自分の中でそう言い切ると、妙に落ち着く。
そういうものだ、と胸の奥で繰り返すと、祝詞みたいに馴染んでいく。
クラスメイトが笑っている。
肉をおかわりしている。
村人が「まあまあ」と喜んでいる。
誰も泣いていない。
泣いていないなら、問題は起きていない。
俺だけが知っていることは、俺の中だけで処理すればいい。
帰りのワゴンでは、みんな満腹で眠そうだった。
「最高だったな」
「また行きたい」
「ミオ、結局会えなかったけどさ、次は来るっしょ」
誰も、いないことを不自然だと思わない。
晴れ舞台の意味に、気づかない。
気づかないふりをする余裕もなく、ただ満たされている。
窓の外で、村の看板が遠ざかる。
――本日、地元祝いの祭り お客様(神様)歓迎
赤白の幕が、夕方の光で少しだけ灰色になる。
めでたさは薄れない。
薄れないまま、影だけが伸びる。
駅で解散するとき、俺は自分の手を見る。
左腕を抱えた腕。
指先。
爪の隙間。
布の繊維が一本だけ残っている気がして、こすって取る。
取れているのか分からない。
油の膜みたいなものが、まだ薄く張り付いているような気がする。
——油や破片はセーフか?
誰に聞くでもなく、頭の中でそう確認して、俺は友達と別れる。
笑って手を振る。
いつも通りの顔で。
歩きながら、最後にもう一度だけ、自分に言い聞かせる。
俺は食べてないから大丈夫だ。
祝いの左腕 風 @fuu349ari
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