【第五章:オッドアイの魔女】


 俺は文鎮と化した装備バッグを背負い直し、少し地勢が高くなっている方角へと歩き出した。


 遠くに低い林が見える。何かを遮るために植えられ、そのまま放棄された天然の防壁のようだ。

 俺は警戒しながら林を抜けた。人の姿はなく、獣や機械が活動した痕跡もない。


『それ』を見つけるまでは。


 石を並べて作られた、奇妙な円環。

 古のストーンサークルに近いが、その大半はすでに崩壊していた。生き残った三本の石柱だけが、俺の腰ほどの高さで寂しげに佇んでいる。

 表面に刻まれた線は風化して読み取れない。装飾というよりは、何かの失敗した儀式の痕跡に見えた。


 俺は列石の周りをゆっくりと回り、石柱の冷たい表面を指先でなぞった。


――「あなた、ここの人間じゃないわね?」


 声は、唐突に響いた。

 すぐ背後から。


 全身の神経が総毛立つ。だが俺はすぐには振り返らず、本能的に腰の「熱切断ナイフヒート・カッター」に手を掛けた。

 探索時に障害物やドローンを一瞬で焼き切るための、ボロい折りたたみナイフだ。


 今の声は……少女?

 いや、音色こそ幼いが、その口調に疑問の色はない。それはもっと、居丈高な「確認」だった。


 俺はゆっくりと振り向いた。


 彼女は、そこに立っていた。


 その瞬間、周囲の荒涼とした枯れ草や灰色の土が、一気に色あせたように感じた。


 彼女は複雑な意匠の凝らされた、漆黒のゴシックドレスを身に纏っていた。

 ふんわりとした袖口に、幾重にも重なるレースのスカート。胸元には暗い赤色のリボンが結ばれていて、まるで王都のショーウィンドウから抜け出してきた人形のように精巧だ。

 泥と雑草だらけの野外に立っているのに、その黒い革靴は不自然なほど清潔で、塵ひとつ付いていない。


 月光のような銀の長髪は、茶目っ気のあるツインテールに結われている。

 だが、その柔らかな髪の間から、二本の小さな黒い角が主張するように突き出ていた。

 それは、「人」と「人外それ以外」を明確に区別する絶対的な記号。


 だが、何よりも俺の視線を釘付けにしたのは、彼女の目だ。


 左目は、凝固した血のような赤。

 右目は、透き通るような琥珀金アンバー・ゴールド


 その金色の瞳は、午後の陽だまりのように温かく、それでいて無情なほど澄んでいて、俺のみすぼらしい姿を鏡のように映し出している。対して暗紅色の瞳は、深淵からの凝視のように、乾いた血痕のような暗さを湛えていた。


 この左右非対称な瞳の中には、ある種の高密度な光が囚われている。機械的な冷徹さと、子供特有の純粋な明るさが混ざり合った、異質な光。


 彼女は両手を背中で組み、身体を少し前に傾けた。

 まるで、罠に落ちた珍しい昆虫を観察するかのように。


「あなた……なんだか惨めね」


 彼女は小首を傾げ、口角を吊り上げて微笑んだ。


「あんな高いところから落ちてきて……」


 彼女は言葉を区切る。

 その金と赤の瞳が、背筋が凍るような好奇心と期待を孕んで瞬いた。


「――泣いた?」


 それは嘲笑ではない。心配でもない。

 彼女はとても軽く、甘く笑った。花に向かって「痛い?」と尋ねるような無邪気さで。


 だが、俺の直感は警鐘を鳴らしまくっている。

 それは俺がこれまでに見てきた、どんな子供の笑顔とも違ったからだ。


 それは、食物連鎖の頂点に立つ存在が、地べたを這う生物に見せる――「憐憫れんびん」という名の傲慢だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る