第10話 思い込みで距離をとる
母に頼まれたハンバーグの材料をメモにして、俺は近所のスーパーに向かった。
合い挽き肉、玉ねぎ、パン粉、牛乳……いつも通りの手順。考えなくても体が覚えている。味付けは何にしようか、煮込みハンバーグも嫌いじゃないが、おろしハンバーグの方が好みではある。あと簡単だし。
精肉コーナーで肉を手に取ったあと、ふと視界の端に見覚えのある気がする後ろ姿が目に入った。
(夏希か?)
一瞬、足が止まる。制服やジャージ姿しか見ていなかったが、休日という事もあるんだろう。少し長めの黒髪を後頭部で一つにまとめ、少しダボついたシャツがオフの時の彼女だと物語っている。
夏希が立っているにはレトルト食品の棚の前。カレーやパスタソース、丼ものが並ぶ一角で、彼女は小さなカゴを片手に立っていた。
夏希は一つ手に取っては裏を見て、値段を確認して、また棚に戻す。それを何度か繰り返している。
夏希はちゃんと考えて、選んで。一人で生活しようとしてる。
それを見て、素直にすごいと思った。
誰かに頼ることだってできるのに、そうしないで、ちゃんと立とうとしている。
(偉いな、あいつ)
なのに。
胸の奥が、少しだけ冷えた。
(……野暮な事はしないでおくか)
声をかけようと思えば、かけられた。
「偶然だな」とか、「何作るんだ」とか、それだけの話だ。
でも、俺は動かなかった。
今ここで声をかけたら、彼女の努力を不意にしてしまう。頑張ってるところを、邪魔しちゃいけない気がした。
会計を済ませて、外に出る。夕方の冷たい風が、頬を撫でた。
家に向かいながら、ふと考える。
――もう、月曜日には来ないかもしれないな。
もう俺に頼らなくても、きっと彼女なら出来ると、そう思った。
「ご馳走様! 全く! 息子が作る料理に勝る物なんてないわね!」
夜中。仕事から戻ってきた母は、缶ビールを片手に大袈裟に笑った。
時間的にも、テンション的にも、完全に出来上がっている。
「こんなの、分量ある程度守って適当に捏ねれば誰だって出来るよ」
流し台に皿を重ねながら、素っ気なく返す。
「分かってない! 分かってないなぁ、ゆうくん!」
母は人差し指を振りながら、得意げに続けた。
「味は一緒かもしれないけど、誰が作ったか! 愛情が詰まってるかが大事なのよ!」
――酔っぱらいが、なんか言ってる。
「へー、そりゃ大切ですねー。大変だー」
適当にあしらう。こういう時は、真正面から受け止めるだけ無駄だ。
「大事な話なのにぃ……」
拗ねたように頬を膨らませたかと思うと、すぐに思い出したように話題を変える。
「あ、そう言えば大変って事だったらさぁ」
……相手にしていたら、いつ寝られるか分かったもんじゃない。
「なっちゃんの所、まだお母さん帰って来てないみたいなの。大変よねぇ」
一瞬、手が止まった。
「そうなの? そりゃ大変だろうな」
出来るだけ平静を装って答える。
「悠斗もなっちゃんと同じ境遇のところ、多いでしょ? 大変な事、分かってあげられるわよね」
「全然違うだろ」
思わず、少しだけ声が強くなった。
「俺はいざとなったら母さん達に頼れるけど、前田さんはそうじゃない」
口にしてから、改めてその違いを実感する。俺が同じ立場なら、もう折れていても不思議じゃない。
「そこまで分かってるんだったら合格ね!」
母は満足そうに頷いた。
「……夏希ちゃんの事、助けてあげなさい」
「あっちが助けて欲しそうだったら、助けるよ」
さっきスーパーで見た彼女の事を想像したら、自然と、そんな言い方になった。
「……なぁんでそこで受け身なのよ!」
突然、机を叩く音。近所迷惑だぞ母さん。
「そんなんだから高一にもなって恋の進展もないんでしょうがぁ!」
急に何言ってんだコイツ!?
「どこで怒ってるんだよ!? あるわけないだろ! 家が近所ってだけで!」
「もう仕方ないわね!」
母は勝手に話を進める。
「お母さんが夏希ちゃんの分もお弁当作ってあげるわ! それを『これ、俺が作ったんだ』って言って渡しなさい! 胃袋掴んできなさい!」
「いらんいらん!そういうの!」
即座に否定する。
「というかそれ、作ってんの母さんじゃん! 詐欺だろ!」
「じゃあ家庭科室に連れ込んで、一緒に飯食おうぜ!って誘ってみればいいじゃない!」
「………………」
言葉に詰まった。
――もう、やってる。
流石に、このタイミングで言えるわけがない。
冷や汗が、背中を伝う。
「子供の頃からあんなに可愛い子があんだけ一緒にいたのに、どうしてこの子は……」
母は一人で勝手に喋り、勝手に嘆いている。もはや合いの手は要らないらしく、俺の動揺は伝わっていないらしい。
「ていうか何が『前田さん』よ! なっちゃん、とでも夏希、とでも呼んでみなさい!」
「あー、うるさいなぁ!」
これ以上付き合っていたら墓穴を掘る気がする。
「もう寝る! お休み!」
そう言って、俺は自分の部屋に撤退した。
背中越しに、まだ何か言っている気配がしたが、聞こえないふりをした。
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