第6話 少し、見方が変わった日

放課後の家庭科室には鍋で煮立てる音だけが聞こえる。

 窓の外を見ると、グラウンドを周回している夏希の姿が見えた。中学の時の彼女のメイン種目は短距離走だったので、恐らくは最初のウォーミングアップなのだろう。

 声は聞こえない。ただ、動きだけがぼんやりと見える。


 俺は流し台にもたれ、その風景を眺めながら先程の掃除の事を振り返る。


 今日、掃除を手伝ってくれた前田夏希のこと。頼んだわけでもないのに、当たり前みたいな顔で箒を取っていた。


「ちゃんと見てる、か……」

 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


『私は見てるよ、脇阪くんの優しい所』だなんて、初めて言われた言葉だった。中学の時なんて殆ど話さない間柄で、俺の方なんて夏希の事を気にも留めていなかったのに。



「……さて、今日は少し張り切るかな」

 そう思い立ち、鍋の火を止め買い出しに向かう。今日は少し豪華にしてやろう。

 今までだって、感謝されたくてやってたわけじゃない。

 それでも、人に認められることが、こんなにも心に残るとは思わなかったから。

 


 買い出しを終え、調理をしているとガラリ、と家庭科室のドアが開く。


 ドアの開く音に振り返ると、そこに夏希が立っていた。


 部活帰りのためだろう、少しだけ息が上がっている。


「……お疲れ」

「うん。えっと……脇阪くんもお疲れ様。何してるの?」


 今までは着いた時には既に調理が終わっていたので、調理中の様子が気になったんだろう。夏希が隣に並ぶ。……距離が近いな。


「え!?蟹だ!ど、どうしたのこれ?高いんじゃないの?」

 反応も良いな。こんな夏希を初めて見たので少し面白い。


「高くはないんだよ。最近は漁をする時に入ってくる面倒なヤツらなんだってよ。だから安い」

 オオズワイガニが取れているのはもっと北の方だが、あまりにも取れるのだろう、スーパーには安売りで売られている。味は通常と殆ど変わらないのにだ。


「スーパー行った事あんまないんだろ?」

「……今度見てみる」

 少しの軽口を叩いたつもりだったが、夏希は真剣に捉えたみたいだった。変に真面目な所が面白いな。


「今日は天津飯作ろうと思って」

「天津飯?」

「ああ。案外簡単だし美味いんだ。まぁ蟹入れて作るのは初めてなんだけど」


 そう言いつつ、卵の中に先に炒めておいた玉ねぎと、ほぐした蟹の身を入れる。……蟹が入っているのは今日の事の感謝も含んでるが、まぁ恥ずかしいんで言わないでおこう。

 

 1人分の卵を混ぜ終えて、いざ焼こうとする時に夏希が卵を手に取った。


「……卵、私が焼いてみても良い?」


 一瞬、意外に思った。

「出来んの?」

 一応確認しておく、まぁ焼くだけなので簡単なのは簡単だとは思うが。


「分かんない。その……やった事ないし」

 少しだけ、夏希の視線が泳ぐ。


「ええ……卵焼いた事ないの?」

 男女平等の世の中で言うと炎上しそうだけど、それは女子としてどうだろう?


「た、卵焼きだったらあるよ!?」

 それは良かった、その卵焼きが成功したか失敗したかは聞かないでやろう。



「……甘えすぎるの、よくないかなって」

 夏希はそう言って、フライパンを取る。その様子を見て少しだけ彼女が何を思っているのかが分かった気がする。


 これから先も彼女の母が入院したまま帰ってこなかった時、いつまでも俺に頼るのは間違っていると思っているんだろう。その気持ちは分かる。俺だってきっと逆の立場なら同じ事を考える。


「別に、迷惑だなんて思ってないんだけどな……」

 そう呟いてしまい、慌てて口を閉じる。何を言ってるんだろうな俺は。


「?、何か言った?」

 夏希には聞こえていなかった様で胸を撫で下ろす。

「……何でもない、ほら、焼いてみたいなら早くやってみよう。帰るの遅くなるぞ」


 これからずっとじゃなくても、もう少しはこのままで、なんて、柄にもないことを考えてしまったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る