裏山に潜むもの

加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】

あゝ、ウラヤマ

 ──羨ましい。


 その感情は、誰しもが持っている。


 金持ちも貧民も、権力者も大衆も、大人も子供も、老人も青年も。


 何かを持てば何かを持てない。


 ないものねだりは恒常性ホメオシタシス的生理現象ほどに自然。


 他山の石を玉とすることの叶うのはわりあい珍事であり、隣の芝は青い、にとどまるのが十中八九。


 全てを掌握などできない。


 なぜなら、あればないがないし、なければあるはないがないがある。


 屁理屈に聞こえても、それは図星から来る逃避拒絶に過ぎない。


 どんな社会的成功者も、そうではないとされる者も、この胸骨¡鎖骨∞∞腕骨」」二律背反にりつはいはん天秤の存在を認めなければならない。




 🎀蝶形骨

 💀頭骨

」∞¡∞」腕•鎖•胸•鎖•腕

 🩷

 💡仙骨

 🦋寛骨

 」」脚骨




 ♎︎秤•Ωオモチ•ॐオ-ム




 いわゆるエリートという、常日頃から高みの見物をしている輩は、立派そうに見えて実は、全てが揺らいでいる。


 それらは、図が高いのは確かだが、盤石とは限らないない。


 彼らの存在性は、不安定にどうにかこうにか積み上げた積木ジェンガのようである。


 そんな脆弱な存在は、よちよち歩き(あるいは這い這いでもよい)の乳幼児の乱入によって、簡単に瓦解する。


 誇示や絢爛や驕り重視の高層建築物というのは、難しいもので、細高く、背伸びして、積めば積むほど、揺らぎやすくなる。


 摩天楼まてんろうの上層階に立つものは、浮き足立つはおろか、地に足がついてすらいない。


 余談だが事実、地磁気の恩恵の不在により、さまざまに病気になりやすくなるそう(素足地闊歩アーシングは筆者のお勧めである)。


 また、莫迦ばかと煙は高いところを好む、とはよく言ったもので、粉飾の煙は、己があご咀嚼そしゃくと内的外管——口から肛門にかけて——とによる消化分解吸収を過程プロセスしていない。


 そのように、多くの自称エリートらは本質欠損している。


 と、それらしく口ずさむだけの弱者に、己を重ねるなら、単に負け犬の遠吠えに他ならぬわけで、せっかくなら、エリートを反面教師とし、その抱くところの錯覚と誤謬ごびゅうを他山の石とするべき。


 エリートたちの、他を出し抜く能力というのは、さまざまな方向性に目を見張るものがあるのは認めるが、結局のところ、他を出し抜くことを前提にした能力の運用というのが、そもそも歪んでいる。


 「他」を出し抜く以上、物差し尺度が呆れるほどに一般性の権化である、のが必然。


 すなわち、あらゆる報酬系的事象——欲求満足不満足——が他者視線依存である。


 がために、自ずと仮想敵を立て続け無尽蔵むじんぞうに設定し、その仮想敵の打倒というのを虚構の目的とし、また仮想敵と敵対しうる第三者を利害の一致する共闘者として引き入れ、比較的平和手法たるところの対話コミュニケイトを十分にないまま、手が出て、その手にいつの間にか凶器を取り(あるいは隠しナイフの存在を悪びれもせずあらわにし)、本来無用の争い——大中小様々の将棋盤・オセロ盤・チェスボード——をドミノ倒し的に一つまた一つ増やし立て倒していくのが、いわゆる《認識の相違》、なるものの鳥目絵とりめえであり、万物の揺籃ようらんであり騒乱の混沌である。


 これは本当に不毛である。


 己が全貌を、他人の目の水晶体に反射、流行りの洒落しゃれ身形みなり服飾ふくしょくよろしく、誘導共鳴きょうめい誘導共振きょうしん附和雷同ふわらいどう、量産型同調させるのではなく、たとえば静寂しじまなる湖畔こはん明鏡止水めいきょうしすいに投影する——自分を見つめる——ことが、裏山ウラヤマの崩落を実現する無二むにの方策である。


 その方策の果てなるものは、究極的には、無条件自己偏愛ナルシシズムであるが、これは観方みかたによっては合理的と認めざるを得ない。


 なぜならば、他者存在を前提とするとき、世界は、自己と非自己の二項対立への高次元展開を余儀なくされ、世界支配率は、熱力学的きゅう平衡へいこう性を仮置けば、《わたし》と《わたし以外》とで五分五分である。


 これは、全て我々の思考性癖・言語体系が、常に例外なく、二元論的にネガ—ポジの一対を両極端とする、この上なく解像度の低い、理解平易へいい性偏重に照準していることからも、自明である。


 そこで、愛の銃口を飛去来器ブーメラン的に我が身に向けること——《わたし》という黒点が《ワタシ》という白点に唯一零次元の重複を許すこと——が、世界十割の完全支配つまり万物掌握の最短距離ちかみち、となる。


 となると、孤立を愛する勇気、これを持つことが、羨望せんぼうの呪縛から解放されるための、通過儀礼イニシエーションである。


 これは、人類文明が物理的且つ電脳的の交通整備により高度複数接着し、競争隣保りんぽ共栄きょうえい同舟どうしゅうの社会が、比較相互齟齬そご卑下ひげ社会に成り下がる前には、当たり前の古意匠いにしえいしょう——オールド🍩ファッション——だったはずだが……


 我々は、誰かと繋がらずにはいられないさがを備えるに至ったのである。


 面多メタ的に言えば……


 こんなふうに、毛糸玉状電磁世界グローバルネットワーク上に、説教じみた御託ごたくを法書きしたためて、誰かに意思を繋属けいぞくせんとする習性を、獲得してしまうのである。



   〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏山に潜むもの 加賀倉 創作【FÅ¢(¡<i)TΛ§】 @sousakukagakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ