崎陽軒の女

井出弾正(いで だんじょう)

崎陽軒の女


 その女は小さめのキャリーバッグを曳いて新横浜駅にいた。横浜市営地下鉄の改札を出て東海道新幹線の3・4番線へのホームへ向かうが、乗車する列に並ぶ前に改札内通路兼広場コンコースで黄色の包みの駅弁を指差し、二つ購入する。


「お弁当二つください。」


 神奈川県民ならば誰もが知るシウマイ弁当だ。「シュウマイ」と表記すると神奈川県民、特に横浜市民から不評を買う。焼売しゅうまいは中国でも内モンゴルが発祥地で、中華料理の点心として知られるが、横浜中華街で売られていたシューマイにヒントに、冷めてもおいしくなるよう工夫、帆立の貝柱を具材に加えて横浜駅で駅利用者に販売したのが「シウマイ」だという。ただ、当時の横浜駅は、現在の桜木町駅である。

 そして表記が「シウマイ」なのは、創業者の社長が北関東の訛りで、「シュウマイ」と発音しにくかったからだそうだ。百年近く前のことだが。


 シウマイ弁当とペットボトルの緑茶を二つずつ買った女は、新幹線ひかりの下り列車に乗り込んだ。E席、右側の窓側の席へ座る。静岡県内を走るときには富士山が見える右側。三人掛けではなく、二人掛けの座席だ。

 女は前の席の背もたれの後ろにある折り畳みテーブルを出すと、そこに弁当を置き、ラインで一通のメッセージを送ると物思いにふけるのだった。二十九年の半生を振り返った。



 その女の父親は、横浜市内でイベント関連の会社を経営していた。もう少し具体的にいえば、イベント会場の設営と、音響機器やテントなどの貸し出しをしていた。だいたい金曜日には会場設営。土日はイベント当日。月曜日には撤収作業を含め、次のイベントの準備。週の真ん中では器材のメンテナンス。季節にもよるが、こんな事を繰り返す仕事だった。


 その女が高校一年生のとき、イベントも少なくなる夏休みの終盤、家族旅行で広島へ行った。横浜市内の学校では修学旅行先は、小学校では日光、中学校では奈良京都へ行くのが定番。もちろん高校では、学校によって様々なコースに分かれるが、その女が通う高校では、九州長崎となっていた。


 父の考えで、日本人として長崎に行くのなら、その前に広島も見せておきたいと家族旅行を決めたのだった。高校で修学旅行に行くのは二年生だ。そのうちに沖縄にも行きたいと言っていた。


 両親と兄と一緒に原爆ドーム、広島平和記念資料館を見て回ったときには、言葉にならない衝撃を受けた。だが、その後には厳島神社の美しい風景を見て、広島風お好み焼きを堪能し、良い思い出として残っている。


 その半年後。2011年3月、東日本大震災があった。直接に被災したわけではない。だが、その後の自粛ムードが問題だった。祭りや観光、悉くイベントが中止。開催されなくなり、彼女の父の会社では仕事がなくなった。自粛ムードはいつまで続くのか分からず、銀行、信金からの融資も上手くいかず、とうとう、その年の冬、父が倒れ、半年後には帰らぬ人となった。


 融資が受けられないと社員の給料も払えない。解雇するまでもなく退社していく社員もいた。一時的には助かるようにも思えるが、それでは自粛ムードが収束したときに働ける者がいない。まさに八方塞だ。


 兄は大学卒業後に家電メーカーに勤務していたが、そこを退職し父の会社を継いだ。起死回生の奇策などがあるわけではないが、一つ一つの仕事を丁寧にこなす。彼の学生時代から知っている一部の管理職も協力的だった。やがて、数年かけて少しづつ持ち直し危機を脱したが、また新しい問題があった。


 その問題とは新型コロナウイルス。これは、在宅勤務にすれば済むという事ではない。イベントの運営をする会社にとっては、死活問題。イベントそのものが無くなった。コロナ禍の下、仕事がない。頑張りようがない。ただ堪えるのみ。


 2021年9月、その兄が突然失踪した。兄を新社長として支えてきた管理職たちは驚いたが、誰も兄を責めなかった。だが。父の片腕だったともいえる一人を除いて、管理職たちも会社を去った。どうしようもなくなった彼女と母親は、自宅兼事務所ごと会社を売却した。ただ一人残っていた管理職が雇われ社長となり、もはや別会社とも思える会社を切り盛り奮闘している。

そして彼女は事務職として横浜市内で就職。母親はパートタイマーのスーパー勤務。2DKの賃貸マンションで慎ましく暮らしている。



 コロナ禍で慌ただしい間にはリモートでの在宅勤務も多かったが、暫くすると出社しての勤務、また、事務職とはいえ、郵便局へ行くなど勤務中に外へ出る機会も増えてきた。そして、勤務地の近くで高校の同級生の男に出くわした。同窓会感覚で仕事終わりや休日に会っているうちに恋仲となった。


 その同級生は高校卒業後に美大へ進学し、今は箱根細工の職人をしている。物を作る仕事は楽しく達成感を持ってやっているが意識が内へ内へと向かう事が多く、休みに彼女と会うことは良い気分転換だ。彼にとって、このうえない楽しみとなっていた。いや彼にとってだけでなく。




 新幹線がするすると減速していく。小田原駅のホームに入る。列車が停まるまで、ずっと窓からホームの様子を窺っていた女はホームに並ぶ列の中に彼の姿を見つけると笑顔になり、ひらひらと手を振った。


 ボストンバッグを肩に掛け、手にソフトクーラーバッグを持った男が、女の隣の席に着いた。


「やあ、チーちゃん。」

とおるくん、ちゃんと遅刻しないで来たね。」

「今日は忘れ物して戻ったりしなかったよ。」


 『知里子』なので『チーちゃん』だ。網棚にバッグを置きながら挨拶を交わし、ソフトクーラーバッグは足下に置いた。小さな物なので、そう邪魔にはならない。そして、折り畳みテーブルの上のシウマイ弁当に目が行く。


「このお弁当は?」

「新幹線に乗る前に買ったよ。一緒に食べよう。」

「ラインで知らせて来たのって、これだったんだね。ありがとう。好物だ。僕はアイスクリームを持って来た。シウマイ弁当食べてる間に食べごろになるんじゃないかな。」


徹は一度足下に置いたクーラーバッグを持ち上げて知里子に見せた。


「わー、ありがとう。でも、わざわざクーラーバッグに入れるなんて気を遣いすぎじゃない?」

「いや、そんなことないよ。」


クーラーバッグを開けてカップのアイスクリームを取り出しテーブルに置いた。


「あ、スジャータの硬いアイスね。『シンカンセンスゴクカタイアイス』だっけ?」

「そう。車内販売なくなったからね。」

「じゃあ、駅で買ったの?」

「いや、小田原駅にはない。ネット通販で。」

「えー、わざわざ?」

「新幹線で食べたかったんだよ。これがないと新幹線に乗った気がしないから。」

「それなら、しょうがないか。あたしも毎回シウマイ弁当買ってるもん。」


 シンカンセンスゴクカタイアイスは、新幹線車内のワゴン販売で扱われていたが、人手不足のためにワゴン販売が無くなってしまった。冷やされてカチンコチンに固まり木のスプーンが刺さらないので、二十分から三十分待って柔らかくなってから食べると良いとされるが、硬いままのアイスが好きなファンも多い。

 今は自動販売機で売られているものの、新幹線こだまが利用できる主要駅だけだ。徹が持って来たクーラーバッグの底には、釣具屋で求めた板状の保冷剤が重ねて入っていた。


 他愛のない話をしながら笑顔で弁当を食べる二人。知里子は、高校一年生のときの家族旅行を思い出していた。もっともそのために、家族旅行と同じコースを辿っているのだから当然なのだが。



 シウマイ弁当と硬いアイスを平らげ、無事に広島駅に到着。二階の新幹線改札口から乗り換え口、一階へ。レンタカーの窓口へ向かおうとしたところ、知里子は見覚えのある後ろ姿を見掛けた。


「えっ、嘘! 徹くん、ちょっと荷物お願い! 」


 知里子が見かけたのは失踪した兄。十メートル以上距離があり、見間違いかとも思ったが、放ってはおけなかった。キャリーバッグを置いて走りだし、普段なら出ない大きな声が出た。


「兄さん! 」

「えっ、なんだって? 」


 兄の行方が分からないという事を聞いていた徹も驚き二人分の荷物を持って後を追う。知里子はもう一度大きな声を出し、兄と思える人物を引き留めた。


征悦ゆきよし兄さん! 」


 征悦ゆきよしは思わぬ場所で自分の名前を呼ばれ、立ち止まったが、振り返れなかった。「征悦ゆきよし兄さん! 」と呼ぶのは、妹の知里子である。たまたま知り合いに声を掛けられた、などというのとは違う。

 家族と会社を捨てて逃げ出したのだ。会わせる顔がない。しかし、走って逃げてしまえば、もう二度と家族に会えなくなるだろう。どうしたものやら迷い、冷や汗が出て来た。


 征悦ゆきよしが固まっている間に知里子ちりこが追い着いて、後ろから肩を叩かれた。とおるも荷物を持ちながらも走って征悦ゆきよしの前に回り込んだ。逃げられない。


征悦ゆきよしは「誰だろう? 」ととおる一瞥いちべつし、引きつった顔で振り返る。征悦が言葉を発する前に知里子が腕を掴んだ。


「やっぱり! 兄さん。まさかこんな所で会うなんて! 今は広島に住んでるの? 今までどうしてたの? 」

「や、やあ。知里子。元気だったか? 」


征悦にはこう応えるのがせいいっぱいだった。顔は引きつったまま。


「元気だったか、じゃないわよ。どうして急にいなくなっちゃったのよ? あの後大変だったのよ。母さんや風間さんがどんなに苦労したか。」

「あ、いや、そんなに一遍に訊かれてもなあ。」


征悦はたじたじだ。徹が止めに入った。


「チーちゃん、ちょっと落ち着こう。喫茶店にでも行こう。落ち着いて話そうよ。」


知里子はしっかりと征悦の腕を掴んだまま、徹の後を歩き、征悦はリードを引っ張られた飼い犬のように大人しく着いていく。コーヒーショップに入り、徹は二人に着席させると荷物をテーブルの脇に置き、そそくさと店頭カウンターに行った。


「彼は、知里のお友達? 」

「うん、高校の同級生。」

「つきあってんのか? 」

「まあ、そうだけど。いいじゃない! そんなのは後よ。それより兄さんの話よ。」


征悦が、どう話せばよいかと考えているうちに徹はコーヒーを持って席に戻って来た。コーヒーは二つ。コーヒーが三つないと気付いた知里子は、すぐに徹に兄を紹介した。


「あ、知里子の兄の征悦です。妹がお世話になっております。」

「初めまして。古畑徹です。知里子さんとは高校1年と2年で同じクラスでした。お世話になっているのはこちらの方で。」


 千里子は徹の腕を引いて自分の隣の席に座らせようとするが、徹は立ったまま。


「あの、差し出がましいかもしれませんが、ご家族にいろいろあったことは、なんとなく察してます。僕はしばらく席を外しますので、お二人でじっくり話してください。」


徹はボストンバッグから折り畳んでいたソフトクーラーバッグを取り出し、あとは財布とスマートフォンと文庫本一冊を持った。時間を潰そうとしているのが見え見えだが、クーラーバッグは土産を買いに行くのだろうか?


「レンタカーとホテルのフロントには連絡を入れるから、荷物番だけ宜しく。二、三時間ブラブラしてくるよ。何かあればメッセージ送って。」


 実は徹は、この旅行中に知里子にプロポーズするつもりでいた。広島で千里子の兄に会うとは全くの予想外、予定外。彼なりに計画してきた予定が狂ってしまう。それでもやっと会えた兄妹だ。割って入るわけにもいくまい。ここで邪魔しては一生恨まれそうだ。プロポーズできなくなっても、またチャンスはあるだろう。

徹は駅の券売機へ向かった。なにを考えたか、上り方面の列車に乗ろうとしている。



 千里子と征悦は心中複雑なまま話し合った。徹が仲介に入ることを期待した部分と、二人だけで他人に踏み込まれたくない部分。その両方をお互いが納得いくまで。


 失踪する直前、コロナ禍で仕事がなくなり苛烈なストレスと戦っていた征悦は、その頃パニック障害にかかっていた。日常生活や仕事に支障をきたす不安障害のひとつ。些細なことにでも不安や恐怖を感じ、リラックスすることがない。冷や汗に動悸、呼吸が荒くなるなど。


 失踪当日、朝から眩暈に悩まされた征悦は、それまで躊躇っていた心療内科にかかろうと家を出たが、最寄り駅まで歩く途中に何もかもが嫌になった。なまじ、保険証にマイナンバーカード、免許証といった身分証明書に薬手帳まで持っていたので、そのまま何処かへ行っても困らなかった。

 東神奈川駅からJR横浜線に乗った征悦は、新横浜駅から新幹線に乗った。征悦にも父が元気な頃の良い思い出として広島への家族旅行の記憶が残っており、そちらに足が向いたのだった。パニック障害の症状は新幹線の中でもでていたため気分が悪く、その当時にはまだあった車内のワゴン販売で買ったコーヒーさえも飲む気にならなかった。


 広島に着いた征悦は呼吸が整い、気が晴れていくのを実感。家族旅行で来た時と同じコースで思い出に浸るとパニック障害の症状も治まり、もう横浜へ帰る気がしなくなった。広島で精神科医に診察を受け、快方に向かったため、そのまま広島で仕事を探し住み始めた。


 横浜に、会社に戻ればまたパニック障害がぶり返すかもしれず、千里子もあまり無理は言えなくなった。だが、征悦に一時的な里帰りをし、母と現在の会社の雇われ社長の立場にある古参の役員だった風間に挨拶と謝罪をするという約束を取り付けた。


 延々と話すうちに三時間ほどの時間が経ち、千里子は慌てて徹に電話を掛ける。すると、徹は近くにいたようで、すぐにコーヒーショップに入って来た。クーラーバッグには何かが入って膨れている。千里子は、やはり土産でも買いに行ったのだと思った。


「余計な事かもしれないけど。」


徹は、今日の予定は無しにして明日からにできるようにレンタカーと今日一泊分のホテルをキャンセルしてきた。そして、この近くのビジネスホテルにシングル三部屋で一泊おさえてきたので、そちらへ移動し、話しの続きはビジネスホテルのロビーか会議室にしないかと提言した。


「えーと、古畑徹くん、妹から僕の事は聞いてるね? だったら。君も一緒に話そう。」


 征悦は、苦労させてしまった妹の千里子の交際相手であること、それから、千里子が怒り出したときに諫めてくれるかもしれないことから、二人の話に加わって欲しいと思ったのだ。徹は、征悦が思っている以上によくできた男だった。


 三人がビジネスホテルにチェックインし、千里子が夕食はどうしようかと言ったとき、徹が、それも心配ないと。それぞれの部屋に荷物だけおいてロビーに集まると、徹はクーラーバッグから虎がデザインされた包みの弁当を三つ出した。征悦は驚いた。


「あ、それは! 」

「はい。シウマイ弁当です。十四年前、新幹線の中で、ご家族で召し上がったんですよね? 」


崎陽軒のシウマイ弁当のようだが、見馴れた龍の絵の黄色の包みではなく、虎に赤。


「徹君、これ、どうしたの? 」

「関西シウマイ弁当だよ。のぞみで姫路に行って買ってきたんだ。横浜のとは、ちょっと違いはあるけど、シウマイは崎陽軒のモノが入ってるから。」

「お昼がシウマイ弁当だったのにね。」

「いいじゃないか。関東と関西のシウマイ弁当を食べ比べだよ。」


征悦は涙ぐんだ。十四年前に家族四人で食べたシウマイ弁当。今日は新しく家族になるかもしれない三人で食べるのだ。

 実は、千里子は、今回の広島旅行で徹がプロポーズしてくるであろうと気付いている。勿論OKするつもりだ。兄も反対はしないだろう。

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崎陽軒の女 井出弾正(いで だんじょう) @idedanjo

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