ランドセルと君との約束
綾瀬田 希
短編 ランドセルと君との約束
僕が住んでいた2dkのアパートは人でごった返していた。
日常がダンボールに詰められていく。
僕はそれを手伝わなかった。自分の手で詰めると終わりを認めたことになると思った。
今思えば小さな抵抗、意思表示だったのかもしれない。
体操服、食器、お気に入りの服が詰められていくのをただみていた。
残っているのは大きな家具だけ。
だけどランドセルには大切なものを詰め込んだ。
家族のアルバム、父さんの枕カバー、母さんの手編みのマフラー、お気に入りの香水。
詰められるもの、忘れたくないものを詰め込んだ。
ナーナー。
足元で鳴く少し大きくなった君を抱き上げる。
君は鳴くけれど僕は泣かなかった。人前では泣きたくなかった。
泣いても過去には戻れないのを知っているから。
時計の秒針がカチ、カチと、あの日から僕を遠ざける。
声を出さなかった。
口を緩めると涙が溢れそうになるから。
翠色に光る君を見つめながら僕は約束を持ちかける。
一緒にいてくれる?
心の中でポツリと漏らす。
きょとんとした顔で僕を見つめる君は何も言わない。
ベランダには日焼けした洋服、すり減ったサンダル、プチトマトの鉢が外気に晒されていた。
それから僕と君はたくさんの人とお話をした。
足の付かないふかふかのソファ、足元のゲージで静かに眠っている君。
温かみのあるその空間で話は続く。
条件は君と一緒にいることだけだった。
いつまでもいじけている訳にはいかなかった。
新しい生活が始まっている。
大きくも小さくもない太い柱の平家。
通う小学校は変わらなかった。
おじさんとおばさんは僕にとてもよくしてくれた。
布団、勉強机、本棚。
与えられた部屋で1人眠った。
畳で川の字で寝ていた頃が懐かしくて、寂しかった。
君は僕よりおじさんとおばさんによく懐いた。
いつかまた、あのアパートで暮らしたいな。
おじさんはよく本屋に連れて行ってくれた。
プラネタリウム、博物館、キャンプ。
たくさんの刺激を僕にくれた。
おばさんとは良く喫茶店に行った。
同じ空間でお互いに自分の時間を過ごした。
「おばさんは何読んでるの?」
気になって聞いてみる。
「小説よ、小学生が江戸時代にタイムスリップしちゃった話。」
それから僕は小学校の読書の時間におばさんの本を持ち出すようになった。
おじさんに買ってもらう本も絵本から文庫本へと変わった。
月日は流れる。
僕も少しずつ大人になる。
ナーナー。
少し太くなった君の声。
高くなる僕の目線。
「ありがとう、お母さん、お父さん」
小学校の卒業式、自然とその言葉が漏れる。
わざと呼ばないようにしていたわけではない。
少し照れ臭かったし、それが正しいのかすらわからなかった。
小さな花束を2人から貰うと同時におじさんが力強く僕を抱き寄せる。
赤や黄色、白やピンクの花びらが僕らの空間に咲き乱れるのを見た。
おばさんはハンカチで目尻を抑えながら僕とおじさんの背中を力強くさすった。
僕は幸せなのかもしれない。
これからもこの先も2人と一緒に。
身体の芯から込み上げる感情をおばさんのハンカチが吸い取る。
空には雲一つない青空が続いていた。
ランドセルと君との約束 綾瀬田 希 @mare___ayaseda
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