【掌編ホラー】赤いサイレン

塔野小雨

【掌編ホラー】赤いサイレン

「冬になると、夜によく消防車が赤いサイレンを鳴らしながら、火の用心の巡回に来るじゃないですか」


ヒトミと名乗ったその男性は、テーブルの上に置いた手を時折擦り合わせたりしながら、


「カンカーン…みたいな鐘?サイレン?の音がして、『火の不始末に気をつけてください』って放送を流しながら、街を見回るんです」


かさかさ、と彼の乾いた両手から摩擦音が聞こえた。


とある日の昼過ぎ、私は新しい取引先の男性・ヒトミさんとカフェで打ち合わせをしていた。仕事の話が一旦まとまったタイミングで、沈黙が少し気まずくなった私から、つい「何か怖い話とか、ありますか?」と切り出したのだった。

ヒトミさんは、最初こそ「水川さん、そういうの好きなんですか?」「そんなに頻繁にあるものじゃないでしょうに」と笑って流していたが、私が怪談の類をちまちま集めていることを打ち明けると、不意に何かを思い出したように黙り込んだ。

そして、「大した話じゃないんですけどね」と語りだしたのだった。


ヒトミさんが住んでいた地域は、都心から離れた神奈川県の南部だった。この地域では年末年始の期間、21時頃になると消防車が赤いサイレンを鳴らしながら「火の用心」の注意喚起のために、町内を回るのだそうだ。


「ああいうのって、間近で消防車が見られるのもあって結構ワクワクするじゃないですか。小学生男子からすれば、たまらないですよ」


ヒトミさんも例に漏れず、そのサイレンが聞こえてくるとついテンションが上がってしまう子どもだったそうだ。


「僕の家はちょっと古い作りだったので、玄関が磨りガラスの引き戸だったんです。だから、消防車が近づいてくると、音だけじゃなくてガラス越しに赤い光がよく見えるんですよね。それがまた、非日常感があってワクワクしちゃって」


音が聞こえて、赤い光がガラス越しに見えてくると、ヒトミさんはいつもおじいさんと一緒に外に出て行った。そして、消防車を見るのが楽しみだったという。


「うちのおじいちゃんは、いつもみかんとかペットボトルのお茶とかを差し入れに持って、運転席の人に渡したりして。それでちょっと話したりして…楽しかったなぁ」


そう語るヒトミさんは、昔を懐かしむように目を細めた。自分よりもずっと大人の、しかもかっこいい車に乗っている消防士と接したことは、幼かった彼にとっては良い思い出なのだろう。私が「素敵なお話ですね」と言うと、ヒトミさんは「ここまでだと、そうなんですけどね」と表情を曇らせた。


「あるとき…たしか、紅白がやっていたのを覚えているから、大晦日だったかな」


その夜、ヒトミさんは両親やおじいさんと一緒に居間で紅白歌合戦を観ていた。そして、時計が夜22時半を回ったときだった。外から、またサイレンの音が聞こえてきた。……いつもより、少し時間が遅い。


「だいたい、いつもは20時から21時くらいに来ていたんですよ。でも、その日は違った」


大晦日だから、ちょっと遅くまでやっているのかな?とヒトミさんは思ったそうだ。年越しにあわせて夜更かしをする人も多いだろうし、ヒトミさんがそのような考えになるのは何らおかしいことではない。


ヒトミさんはいつものようにおじいちゃんを誘って外に出ようとしたが、遅い時間だったこともあって、丁度おじいさんがお風呂に入ってしまっていたのだという。

母親は台所で洗い物をしており、父親は酔っ払って気持ちよさそうに眠っているようだった。


「ちょっと、チャンスだって思ったんですよね」


ヒトミさんは、いつもおじいさんがやっているようにみかんとペットボトルのお茶を持って、ひとりで玄関に向かった。


「なんか『差し入れです』みたいなのって大人っぽくてカッコいいじゃないですか。実はおじいちゃんがやってるのに、ちょっと憧れてたから…それが出来る!って思ったんです」


カンカーン…というサイレンの音が近づいてくるのにあわせて、引き戸の磨りガラス越しに赤い光がちらちらと見え始めた。普段と違ってひとりだったこともあり、少しドキドキしていたという。

やがて、サイレンの音が一際大きく響いて、真っ赤な光がガラス一面を覆って——消防車が家の目の前までやってきた。


ヒトミさんは、勇足で玄関を開けて出て行った。


そこには、消防車はいなかった。


「でもね」

「あれが…いたんです」


玄関の外、ヒトミさんの家が面した道路には、一人の男が立っていたのだという。


年は初老くらいだろうか。野球帽を被り、ジャンパーを羽織っている。格好だけは、至って普通の男性に見えた。

しかし——


「口がね、なんか真っ赤に光ってるんです」


男は光のない目でヒトミさんを見つめながら、口をぽかんと丸く開けたまま立ちすくんでいた。

その口の中が、歯も、舌も全て絵の具をぶちまけたように真っ赤だったのだそうだ。それが時折、チカッと光るのだという。


その瞬間、全身からブワッと汗が噴き出した。


あ、これはダメだ。そう思ったヒトミさんはすぐに家の中に戻ろうとするも、足が地面に張り付いたように動かない。助けを呼ぼうにも、声も出ない。ただ掠れたような息だけが、ひゅうひゅうと漏れる。


その間にも、男性はヒトミさんをジッと見つめたまま、口の中は時折チカッチカッと赤く光っている。何が光っているのかは、もはや分からないし、分かりたくもない。


逃げなきゃ、逃げなきゃ。動けない動けない動けない、どうして、どうして。

心の中で何度もおじいさんに助けを求めた。

両手がじっとりと汗ばむ、そのときだった。

持っていたみかんとペットボトルが地面に落ちて、ボトッと鈍い音が辺りに響いた。


「それで、動けるようになったんです。やったぞ!と思って…」


ヒトミさんが玄関の方に足を踏み出したその瞬間、


カンカーン


男の、丸く開かれた真っ赤な口から、あのサイレンの音が鳴り響いた。


そこからの記憶は曖昧だという。


「たぶん、気絶したんじゃないかな」


目が覚めると、居間に寝かされていた。


「両親が泣きそうな顔をしていて。おじいちゃんはどこかに電話しているようでした」


その後、ヒトミさんは高熱を出して、正月の三が日を寝て過ごした。友達と遊ぶ約束をしていたのがおじゃんになって最悪でしたよ、とヒトミさんは笑う。


「でも、結局あのときに見たやつが何なのかは分からないまま。あとから両親とおじいちゃんに聞いても、はぐらかされて結局教えてもらってないですね」


そう言って、ヒトミさんは結露でびちゃびちゃになったお冷を一気に飲み干した。透明なコップ越しに見えた彼の喉が、赤黒く、ぬらぬらと光っていた。


その出来事があってから、次の年も消防車は何回も見回りに来ていたが、ヒトミさんが外に見に行くことはもう二度となかったという。


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