作家の卵は今日も孵らない

にとはるいち

前編 先に孵った読者

 私の作品には、妙な読者が多かった。


 コメント欄に感想を書くというより、「報告」を残していくのだ。


「この作品を読んで、書き始めました」

「影響を受けて、初投稿しました」

「おかげで、自分にも書ける気がしました」


 最初は、素直に嬉しかった。

 創作は連鎖するものだと、どこかで聞いたことがある。

 自分の文章が、誰かの背中を押したのなら、それは悪くない。


 ただ、その「誰か」たちは、私より先に結果を出した。


 新人賞の一次通過。

 編集部ピックアップ。

 書籍化のお知らせ。


 タイムラインに流れてくる報告を、私は何度も読み返す。

 名前には見覚えがあった。

 かつて私の作品にブックマークを付け、コメントを残していた読者たちだ。


 彼らのインタビュー記事を読んだ。


「原点になった作品はありますか?」

「あります。学生時代に読んだ投稿サイトの小説です」


 作品名が挙がる。

 私の連載だった。


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 同時に、何かが確実に冷えていく。


 私は、相変わらず「作家の卵」だった。

 プロフィール欄の肩書きは、何年も更新されていない。

 連載は続いているが、評価は安定して低空飛行だ。


 ある日、編集者と名乗るアカウントから、連絡が来た。


「あなたの作品、影響力はとても高いですね」


 褒め言葉だと思った。


「多くの作家を生み出しています」


 少し、言い方が気になった。


「踏み台として、非常に優秀です」


 私は返事ができなかった。


 編集者は続ける。


「あなたの文章は、未完成だからいいんです」

「余白がある。読者が自分の物語を投影しやすい」

「完成してしまうと、この役割は果たせません」


 その日から、私の作品には注意書きが付くようになった。


――この作品は、創作意欲を刺激する可能性があります。


 まるで副作用の説明だ。


 読者は増えた。

 コメントも増えた。

 だが、感想は減った。


「この文体、勉強になります」

「構成が分かりやすい」

「真似しやすいですね」


 誰も、物語の結末について語らない。


 ある夜、私は自分の原稿を読み返した。

 悪くない。

 少なくとも、彼らがデビューできる程度には。


 それでも、私は孵らない。


 気づけば、私の作品は「教材」と呼ばれていた。

 創作講座で引用され、分析され、分解される。


「この未完成さが重要です」

「ここを埋めないことがポイントですね」


 埋めない。

 完成させない。


 それが、私の完成形だった。


 私は連載をやめた。

 新作も書かなかった。


 それでも、作品は読まれ続けた。

 過去ログが「原点集」としてまとめられた。


――この作品を読んだ人は、高確率で孵化します。


 そんなタグが、いつの間にか付いていた。


 画面を閉じる直前、私はふと思う。


 私は、何を生みたかったのだろう。

 物語か。

 それとも、作家か。


 答えはもう、どこにも書かれていない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る