夙夜夢寐
瀬名柊真
第1話
「今週末遊び行くんだけど、どうする?」
「あーごめん。その日塾あるわ」
こんな風に人との関わりを避けているのが彼だった。誰にでも好かれているのに、決して心の内は見せず、柔らかく振る舞う。そんな彼から目をそらす人間が私だった。
彼を一言で表すのなら、完全無欠。成績は常に最上位で、運動、ピアノ、美術。ありとあらゆるものをこなせる。一度だけ彼のピアノを聴いたことがあったが、その音色はあまりに叙情的で、心の内側が剥がれ落ちていくような感覚だった。
そんな彼をカラオケに誘ってみたのは、なんとなく。他に誘えるような人もいなかったし、かといって行かないなんて選択肢がなかったから。
「あのさ、今度カラオケ行きたいんだけど来ない?」
「今度っていつ?」
「んー決まってない。どっか空いてる日ないの?」
「塾とピアノで埋まってるから他の人誘えば」
やっぱりつっけんどんだ。けど、ここで折れたくはない。ヒトカラできるだけの勇気は持ち合わせてないのだ。
「どっか空いてないの? 流石に毎日あるわけじゃないでしょ?」
「……まぁ、来月末なら……」
「じゃ、その日お願い。22日とか?」
「あーうん」
彼は休み時間だというのに参考書から目も離さない。今解いているのはおよそ理解の及ばない数学だった。
「時間は?昼フリーでいい?」
「ん」
「あー……誰か友達誘ったりする?」
「んー……」
「二人でいい?」
「ん」
「場所は?どこがいい?」
「どこでも」
「じゃあ、難波のあたりでいい?」
「ん」
「あのさぁ、ちゃんと行く気ある?」
私が悪いのは判っている。最初から誘わなければいいだけの話だし、無理に遊びに連れて行こうとして積極性がないからキレるのはお門違いだ。でも、流石にあんまりじゃないか。これで当日来られませんなんて言われたら――
「……そもそも行きたくないし」
「はぁ……。でも予約したら来てくれんの?」
「まぁ」
「ドタキャンとかしない?」
「それは流石に」
それならいいかと予約を取る。22日。土曜日だ。今更ながら料金が高つくことに気がついた。
「値段大丈夫そ?」
「お金はあんまり使いたくないけど……まぁいいよ。予約取ったんでしょ?」
「あ、うん。無理やりなのにありがと。22日楽しみにしてる」
「ん」
沈黙。シャーペンの走る音だけが嫌に聴こえて手元を覗き込んでしまう。おかしな話だ。教室じゃ色んな人が駄弁っているのに。
「それ、何解いてるの?」
「数学」
「そうじゃなくて、数学の何?」
「微積分」
「んー、なにそれ? むずそう」
「別にそこまで」
「どう解くの? 教えてよ。それでいいからさ」
今まさに彼が解こうとしていた問題文を指し示すと、初めて彼は私の顔を見た。
「数学嫌いじゃなかったっけ?」
「ん、知ってたの? 嫌いだけど、ちょっと気になって」
「……ふぅん」
彼は視線を問題に戻すと、意外にも優しく教えてくれた。
「まずこの問題文で定義されてるのが――」
話はやっぱり難しいけど、話している彼の顔が楽しそうでなんだか聞き入ってしまった。
「――ってわけ。判った?」
「んー? んーなんとなく。ところで、さっきX>0って言ってたけどそれはなんで?」
「あ、それは――」
なんとなく判ってきた。それがたまらなく面白い。嫌いなはずなのに、好きになれそうな。次から次へと訊きたいことが湧いて出る。
「あーね! ありがと。めっちゃわかりやすかった」
「それは良かった」
もう話しかけるネタがないな。彼だってテキスト進めたいだろうし。だから、その日はそれで終わった。それでも、またあの時みたいに話したくて、積極的に彼に話しかけるようにした。今は何を解いてるの? どう解くの? それじゃ、これはどうなるの――?
彼は変わらず人からの誘いを断る。でも、私には彼から話しかけてくれるようになった。それが嬉しい。私のことを友達認定してくれたのだろうか?
「明日提出の課題やった?」
「え? 逆に私が終わってると思う?」
「んー? 思わない」
「御名答。代わりにやってくれてもいいんだぜ? どうせ終わってるだろ?」
「えー無理。終わってるけど」
「さっすがだなぁ。天才か? 譲ってくれ、その才能」
「えー……いいけど、勉強しようと教科書開いた次の瞬間にはテレビ付いてるよ?」
「うっそだぁ。まじで言ってる?」
「まじまじ。課題だって後からやるのめんどいから先倒ししただけだし」
「うわぁ、それできんのうらやまし……よこせ」
「無理だってば」
こんなノリ、きっと私の前だけだ。そう思うと胸が暖かくなる。
「いよいよ明日かぁ……」
「ん? ああカラオケ」
「そそ。てかあのときはごめんねー。ほんと無理矢理で」
「そう思うんなら最初から誘わないでよ」
「ごめんごめん。もーしない」
「っや、いいよ。あのときは乗り気じゃなかったけど、俺今は行く約束してよかった、って思ってるし」
「え? ほんと! ならよかったぁ」
頬が緩むのが止められない。一緒にいて楽しいと言ってくれたも同然じゃないか。
家に帰ってから服を選ぶ。できるだけ彼に可愛いと思ってもらえるような服。少し女の子らしくて、でも媚びる感じじゃない……
当日は最高だった。彼の歌がうますぎて私は全然歌えなかったけれど。だって、平気で97を出してくる。そんな点数を見てると自分がいかに音痴かを思い知らされるのだ。
帰りは19時。すっかり日は沈んで、街はムードがあった。駅までの道のり、帰宅ラッシュなのか人が多かった。彼ははぐれないようにと手を繋いでくれた。あぁこのまま永遠に時が止まればいいのに。けれど、そんなことが叶うわけもなく。
「今日は楽しかった。ありがと」
「ん、俺も。じゃあ、また月曜日」
「うん」
駅ではぐれた手はまだあの温もりを欲しているかのようだった。名残惜しさを隠して改札を通る。丁度プラットホームに来た電車に乗り込み、窓際に座った。不意に左手を眺める。
ねぇ神様。手を繋げたということは、彼も私を好きだと思っていいのですか。
私みたいに強引に彼の世界を壊した私が、彼に好かれてもいいのですか?
窓に映る月が綺麗だった。あの月を、彼もみているのだろうか。
夙夜夢寐 瀬名柊真 @sena-shuuma
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