“あこがれ”

〇月×日


賃貸の安い物件は大抵にして、いわくつきだ。

それは、築年数が10年未満の外観が綺麗な建物だろうと変わりない。


神吉(かんきち)は 離婚と再婚を9度も繰り返し、このアパートに引っ越してきた。

もはや、資産も貯蓄もほとんどなく、新居一転、裸一貫のスタートと同時に長年働き続けてきた会社から リストラ されてしまう。


嫁は「父親が危篤だから、母国に帰らせてもらう」と言うや否や 数週間も 音沙汰がない。


再就職をする気力も無く、ベランダで最後の煙草をふかしていた。

口から吐く煙は 幽霊のように 右へ 左へ とあてもなく彷徨っている。


 あぁ、俺の人生って、何だったんだろうか。


そんな事を考えていると、隣の部屋から興味を惹かれる言葉が飛び出してきたのだ。



ボケ: 「ねぇ、美羽さん。憧れ(あくがれ)と憬れ(あこがれ)の違いって知ってる?」


ツッコミ: 「ステキな質問ね。もちろん知ってるわよ。あくがれは夢に向かって突進する感じで、あこがれは遠くから見守る感じでしょ?」


ボケ: 「そうそう! 俺、あくがれって言うと、いつも突っ走るイメージがあるんだよ。まるで100メートル走みたいにさ~。」


ツッコミ: 「確かに。で、あこがれはどう?」


ボケ: 「あこがれは、遠くから優雅に見守る感じ。まるで、競馬の観客みたいに。ん?」


ツッコミ: 「わかるわかる。でもさ、実際に夢に向かってるのはどっちなんだろう?」


ボケ: 「うーん。それは、なかなか難しい質問だな。もしかしたら、あくがれは走ってるけど、道を間違えてるかも。…って、なんで俺が質問される側にまわ――」


ツッコミ: 「そして、あこがれは遠くから見守ってるけど、本当はスタート地点から動いてないとか?」


ボケ: 「そうそう!それじゃ、夢にたどり着くのは いつに なるんだろうな?」


ツッコミ: 「まあ、夢にたどり着くのはきっと二人が力を合わせる時よね。子づくり――」


ボケ: 「ああ! 憧れが突っ走って、憬れが道を指し示す。それこそが 夢の実現 だ。」


ツッコミ: 「その通りよ、スバル! 夢を追うには バランス が大事なのよ。」


ボケ: 「だからって、セフレを つくって いい事には ならない だろッ!」


ツッコミ: 「よし、頑張ろう!」


ボケ: 「なにをだよ?!」


ツッコミ: 「ねぇ、あなた。結局、私のナニを見たかったの?」


ボケ「なにを? ・・・って、おい。脱ぐなよ」


ツッコミ: 「脱がぬなら、ヌカせてやろう、ホトトギス」


ボケ「ちょ、美羽さん。 ちょ、ちょっと待ってぇ~、プレイバック、プレイバック。あ、あぁ~!」



 俺は とんでもない所に 引っ越してきたようだ。


神吉は部屋の明かりを消して、恐るおそる、耳を壁に近づけた。



――大切な事なので、もう一度 伝えよう・・・。

賃貸の安い物件は大抵にして、いわくつきだ。

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