研究チーム
熊本を襲撃した『怪獣』が駆除されてすぐ、幸恵は研究のため現政府への働きかけを行った。
とはいえ直接的な掛け合いではない。ここでも役に立ったのは、恩師である勇次郎の遺したコネクションである。彼が亡くなった際に連絡を取った人々と話し、政府が怪獣研究を始めた場合、そこに参加出来るよう『お願い』したのだ。
全員が全員、快い反応を見せた訳ではない。幸恵の行動は、恩師の死を利用して政界に食い込もうとするようにも見えるのだから。無論幸恵としては本心から、恩師の敵討ちと弔い、そして人々の安全のため研究がしたく、そのためには国家との協力関係が欠かせないと考えている。しかし他人の心なんて読めないのだから、どう伝えたところで完璧には分かり合えない。これは仕方のない事である。
だが反応の良し悪しというのは、この際些末な問題だ。
勿論好意的であるに越した事はないが……重要なのは幸恵が、怪獣と遭遇して生還した数少ない人物である事。怪獣について誰よりも詳しく、生還する能力がある事。経験と能力がある事を示せればそれで良い。
そうすれば政府がコネクション先に「誰か良い人材はいないか」と問われた時、幸恵の顔が浮かぶだろう。
……政治や外交を真面目にするなら、もっと積極的に言質を取る方が良いのだろうが。幸恵がしたいのは政界進出や更なる出世ではなく、あくまでも研究だ。そのための予算・調査権などがほしいから、政府との繋がりを求めただけ。
だから現政権から研究依頼、そして研究チームの主任となるよう要請が来れば十分である。
「さぁ、これから気張っていくわよ!」
『被災地』である熊本の大地で仁王立ちしながら、幸恵は意気込みを言葉にした。
眼前には『怪獣』により蹂躙され、転倒時の汚泥の津波で流された町並みが見える。熊本でも有数の大都市だったが、無事な市民は全域から退避しているので今はほぼ無人。いるのは要救助者と、彼等を助けている自衛隊員ぐらいの筈だ。
幸恵達は救助ではなく、研究目的であの町に入る。護衛の自衛隊員が五人、研究チームのメンバーが幸恵含めて三人。合計八名での調査活動だ。
「いやいやいや!? なんで僕まで助手みたいな感じに組み込まれているんですかぁ!?」
なお、隣にいる研究チームメンバーの一人こと敦はちょっと不満げだったが。
彼もまた幸恵が属する研究チーム(仮称だが『巨大物体研究チーム』と呼ばれている)に参加する事となった。具体的には幸恵の推薦で。
強制などしていないのだが、幸恵からの推薦とあっては断れないと思ったのかも知れない。そんな彼の気持ちを探ろうと、幸恵は敦の方にくるりと振り向く。尤も不平を述べる顔は、生憎殆ど見えないが。
幸恵も敦も、全身を白い防護服に包み、顔は防毒マスクに覆われているのだから。
「何よ、不満なの? 事前に参加してくれるって聞いたら、するって返事したじゃない。別に参加したくなかったら、そう答えてくれれば良かったのに」
「やる事は何時もと変わらないって言われたからです! 雑用とか、そういうのだと思うじゃないですか! 現地調査とか荷が重いです!」
どうやら、認識の齟齬があったらしい。
幸恵としては敦の事を「勉強中の身であるが真面目な学生」として、高く評価しての採用だったが……敦的には雑用係ぐらいが丁度良いと考えていたのだろう。
ダニング・クルーガー効果の実例だ。ある程度知識や経験が身に付くと、周りの優秀さが理解出来るために自己評価が実力より下がってしまう。逆に半端に(そして『ある程度』に満たない程度の)知識があると「自分は凄い!」と思ってしまうので、敦は順調に成長中と言える。尤も、自己評価低めな気質の影響も大きいだろうが。
この状態を抜け出すには、更なる知識と経験が必要である。そして知識と経験を得るには、無論勉強も効果的だが、実務も大事だ。
「あなた自身は自分なんて大した事ないと思ってるみたいだけど、私はそれなりには評価してるつもりよ。少なくとも現地調査に同行させるぐらいには。高火島の調査だって、あなたが本当に使えないなら連れ回ったりしないわよ」
「そ、そういっていただけるのは嬉しいですけど……でも、その、怖いのもあると言いますか」
「怖い?」
「な、なんか変な病気とか、ないですかね? だってあんな化け物がいた場所ですよ? 恐ろしい殺人ウイルスみたいなのがいるかも知れないじゃないですか!」
怯えたような敦の言葉に、幸恵はすぐには答えず。
正直、その可能性は否定出来ない。
熊本に現れた『怪獣』のみならず、高火島の巨大物体についてもまだ分からない事だらけである。高火島で採取したヘドロについては現在解析中。熊本に怪獣が現れた後分析中の研究室に高火島の出来事についても話したので、今まで以上の労力を掛けてくれているだろうが、だとしても結果が出るのは当分先。未知の細菌やウイルスがいたとして、判明するのは感染後だろう。
しかしながら、幸恵は既に高火島で調査を行っている。
もしフィクションよろしく未知の病原体があの場を漂っていて、防護服も何も無意味だったなら、幸恵や泰造も既に感染しているだろう。潜伏期間があるので三日かそこらでは発症しないかも知れないが、それなら病原体が爆発的な増殖力を持っていない(人間の健康を害する数まで増えるのが遅い)証でもある。治療法がなくとも、病院で解熱や点滴などの対症療法ぐらいは出来るだろう。
そもそも未知=致死的はフィクション的なお話だ。『自然界』には数え切れないほど多様な細菌達がいて、人間の免疫システムは日々これらを殲滅しているのだから。健康的ならそんじょそこらの病原体には負けないぐらい、人間の免疫というのは優秀なのである。
それでも危険な細菌がいる事を考慮して、今回の幸恵達や自衛隊員は抗生物質の事前投与もしている。身体に侵入してきた細菌が何かする前に、事前に駆逐する作戦だ。ウイルスの場合効果はないが、それでも一方を防げるのだからやらないでおく理由はない。そして現場への立ち入り、及び離脱時は必ず消毒を行う。防護服も使い捨てだ。
これらの理由から、感染症は然程危険視しなくて良いというのが幸恵の考えである。
無論これは現代科学を信用した、ある種楽観的な見方である。どうやって動いているかも分からない、あの巨大な汚泥の塊相手に何処まで理屈が通じるか分からない。だから敦の抱く警戒心こそが正しい可能性は十分ある。どうしてもリスクは残るのだから、嫌がる彼を無理やりこの調査に参加させる事など出来ない。
「……そうね。その可能性は否定出来ない。分かったわ、現地に行くのは私達だけで、あなたは此処で待機してて」
「えっ。あ、えと、でも」
「大丈夫。あなたの言う事は正論なんだから、これで評価を下げたりなんてしないわよ。それに私達が感染した時、全滅するのは避けないといけないし」
此処にいる面子が、研究チームの全メンバーではない。しかし研究時の対面などで、感染を広める可能性はある。
若くて元気な敦は、研究チーム最後の砦となる事もあるかも知れない。
だから本当に、彼が現地調査から外れるのは悪くないと幸恵は思っているのだが。
「そ、それは、それなら参加しますよ! 僕だって、その、男なんですし!」
ところがこれが、彼の気合いに火を付けてしまったらしい。
感染症に男とか女とか関係なくない? と幸恵は思ったが、彼自身が決めた事となると口出しは出来ない。
「そろそろ現場入りしませんか?」
もう一人の研究メンバーから促されれば、落ち着かせる暇もないだろう。
特に『彼』は、少しコミュニケーションに難があるので。
「う、うーん。大河内くん、あまり急かしても……」
それでも試しに彼――――
彼は四十代の微生物学者であり、その道においては天才と称される人物だ。
が、同時に奇人変人でもある。
人間よりも細菌が好きと公言して憚らず、普段の言動からして人間を大事にしていない。むしろ一部の理解者を除き、ハッキリと嫌っている。細菌関連の基礎研究では数え切れないほど功績を上げているが、企業などの応用研究室に属さないのは「菌を虐めるから」と断言する有様だ。彼の実家が何処かの企業の経営者で、生活費の支援がなければまともに生活出来ない可能性すらある。いや、生活出来ずに野垂れ死にするならまだマシで、下手をするとテロ組織であれやこれやと開発しかねない。それぐらい良識がない。
テレビなどには出てこない、出せないとも言える人物。新種の菌類がいれば、彼ほどその研究を推し進めてくれる人物はいないだろう。反面、駆除という方向性になれば、全力で阻止してくるだろう事も予想出来る。
言い方は悪いが、才能はあってもこういう「人類が一丸となって頑張る」時に来てほしい人物ではない。現政権の方針を邪魔、つまり失脚を狙う誰かの差し金という可能性が脳裏を過ぎる。党内の権力闘争は余所でやれと幸恵は思うが、その権力のお陰で自分は此処にいるのだから少し批判し辛い。
それに未知の細菌相手に、感染を恐れず嬉々として研究してくれるのは間違いない。新発見も続々としてくれるだろう。案外「迅速な解明が必要だ」という善意の理由で送り込まれたのかも知れない。色々と扱いが難しい人物だ。
「本人がやる気なのですから、任せればいいでしょうに」
「そうです! 今はやる気ありますから!」
「自分は、自分の邪魔さえしなければ別に誰がいても構いません」
二人の男は(互いの価値観など気にもせず)息ぴったりに意見してくる。
こう言われては、幸恵もこれ以上言えない。そもそも敦が言っているのだから、それこそ強制でない以上どうにもならない。
「……分かった分かった。何か体調に異変があったら、すぐに言うのよ?」
「はいっ!」
力強い返事をする敦。その決意は、少なくとも今の時点では硬いらしい。元より参加してもらおうとは考えていたので、そうであるなら文句は言わない。
「よし。それじゃあ行くわよ、あの怪物が倒れた現場に」
覚悟を決めたメンバーと共に、幸恵は立入禁止となった区画に足を踏み入れるのだった。
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