第028話:騎士団の再起動と、新たな信頼

 大書庫の中に満ちていた、あの粘りつくような死の気配は、もはやどこにも残っていなかった。  レインが魔導盤(コンソール)を閉じた瞬間、空間を支配していた不快なノイズが消え、心地よい静寂が戻る。だが、その静寂は長くは続かなかった。大書庫の外、広場の方から、何百もの人々の困惑と驚愕が混じり合った「声」が届き始めたからだ。


「……レイン、聞きなさい。あれは……」


 アリサが震える膝を叩き、ゆっくりと立ち上がった。彼女の瞳には希望の光が戻りつつある。レインは肩をすくめ、重い腰を上げた。


「……ええ。お嬢様、復旧プロセスが正常に完了したようですね。予定通り、砦の全セクタで一斉に『再起動(リブート)』がかかりました」


 二人が大書庫の重厚な扉を開け、外の回廊へと歩み出ると、そこには月明かりの下で繰り広げられる「奇跡」の光景が広がっていた。


 広場を埋め尽くしていた、あの悍ましい「人豚」たちは、どこにもいなかった。  代わりにそこにいたのは、自分たちの手や足を確かめるように見つめ、呆然と立ち尽くす騎士たちの姿だった。呂后という汚染源が消滅し、レインの放った修正パッチが砦の魔力網に行き渡ったことで、彼らの肉体定義は、破壊される直前の「正常なバックアップデータ」に基づいて強制的に再構成(リカバリ)されたのだ。


「……あ、ああ……俺は……俺は一体何を……」

「身体が……動く。豚の足じゃない、自分の手だ……! 夢を見ていたのか……?」


 騎士たちが次々と、人間に戻った喜びを噛みしめるように声を上げ始める。  アリサはたまらず広場へと駆け出した。彼女の姿を見つけた騎士たちが、次々とその場に膝をつき、彼女の名を呼ぶ。


「みんな! 無事なのね……! ああ、本当によかった……っ!」


 アリサが騎士たちに囲まれ、涙を流して再会を喜ぶ中、レインは一人、広場の端にある魔導盤の点検口の前にしゃがみ込んでいた。彼は周囲の感動的な空気に加わるつもりなど毛頭なく、ただ黙々と、今回の「大規模復元」に伴うシステム負荷のログをチェックしていた。


(……ふむ。数千人規模の同時リカバリによる魔力消費量は、想定の8割程度か。大書庫の予備回路をバイパスさせたのが正解だったな。これなら今後の定常運用にも支障は出ない)


 レインにとっては、感動のドラマよりも「システムの安定稼働」の方がはるかに重要だった。  指先を動かし、空中に浮かぶ半透明のログを確認し続けるレイン。その背後に、一人の男が歩み寄ってきた。  重厚な鎧の音を響かせ、そこに立っていたのは、この砦の騎士団長だ。先ほどまで、呂后の手によって最も深く「人豚」へと変質しかけていた男である。


「……レイン殿」


 野太い声に、レインは少し面倒臭そうに振り返った。また何か文句でも言われるのか、あるいは得体の知れない術への疑念をぶつけられるのか。レインは「仕様ですので」という定型句を口にする準備をしていた。  だが、騎士団長が取った行動は、レインの予想を裏切るものだった。彼はその場に深く、これ以上ないほど丁重に頭を下げた。そして、自らの腰に差していた、一族に伝わるという愛剣を鞘ごと抜き放ち、両手でレインの前に差し出した。


「貴殿の知略、そして、魔導の域を超えたその術。我らを見捨てず、絶望の底から救い出してくれたその献身に、心よりの感謝を。疑念を抱き、貴殿を蔑んでいた……己の不徳を恥じるばかりだ」


「……は? いや、献身とかじゃなくて。俺はただ、不具合(バグ)を修正して、元の仕様(正常)に戻しただけですよ。あと、そんな重い剣をもらっても、エンジニアの仕事には邪魔なだけなんで」


 レインの、あまりに素っ気ない、それでいて徹底してブレない態度。その言葉を聞いた瞬間、周囲で見守っていた騎士たちの間で、不思議な笑いが起きた。以前なら不敬だと怒っていたはずの彼らの顔には、今や明確な「信頼」が浮かんでいた。


「ふふ、レイン。照れなくてもいいのよ。あなたは間違いなく、この砦を、そして私たち全員を救ったんだから」


 アリサが柔らかな笑みを浮かべてレインの隣に並び、彼の泥のついた肩を優しく叩く。  月光の下、ボロボロになった大書庫を背にするレインの姿は、彼らの目には絶望を論理(コード)で塗り替える新たな時代の開拓者として焼き付いていた。


 だが、レインは一人、夜空の向こうを見つめていた。  「第六星」という世界システムの重要オブジェクトが完全に消去(デリート)されたという衝撃。それは今この瞬間、世界の均衡を司る他の吸血鬼真祖、『セブンスターズ』たちの監視網(モニタリング)に、極大の例外アラートとして通知されているはずだ。


「……やれやれ。英雄扱いなんて、保守コスト(責任)が上がるだけで何の得もありませんよ。……それに、システムの重要パーツを一個消し飛ばしたんだ。他の『管理者』連中が黙っちゃいないでしょうね」


 レインは溜息をつき、アリサの手を握り返しながらも、次なる「巨大なバグ」の到来を予感していた。地獄の月曜日の残業は終わったが、世界という名のシステムの修正は、まだ始まったばかりなのだ。

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