雨の間

ひつまぶし

一の間

閑散とした帰り道。

水溜まりを連れてくる雨音が乱雑に耳に届く。

心地の良い不規則なリズム。昔から色んな人に質問をしたことがあるが、なぜだか人は雨が嫌いと言う。僕にはそれが良く分からなかった。

静かにうるさい町。でも、雨が降ると他のものが消えてしまったようで、特別を感じられる。


町の過ぎる速度は気持ち遅く感じた。

行き先は家ではなく公園。


どんよりとした大気とは反対に、上がっていく気分に任せると足取りが早くなった。唯一雨宿りの出来る屋根付きベンチに向かう。

気分の上がりは抑えを知らず、ついには足が一人でにスキップを踏み始めた。


公園の入り口を抜けブランコや滑り台には見向きもせず子供のようにベンチに向かった。


鼻歌を歌おうと口を開き、一音が出た、時だった。

ベンチの上。普段は葉が居座っているその上に比べようもないものが座っていた。そう、座っていたのだ。


艶のある綺麗な黒髪。公園には場違いに見える制服。

一人の少女がベンチで俯いていた。

雨は人がいないからこそなのに、どうしよう。


そう独り言りながらもう一度ベンチと彼女に目を向けてみる。

なんだろう。何か違和感が。

そう思うと一つ気付くことがあった。彼女、靴を履いていなかった。

この雨の中。靴を履かないというのは余程の変質者かもしくは。


そこまで考えを巡らせ、関わるのは止めておこう。という結論に至った。明らかに訳あり。こんな時間に制服の女子が雨の日に一人でベンチ。うん。ダメなやつだ。


特別な時間は仕方ないと諦めて彼女から視線を外し来た道を辿るように歩き始める。先程までの軽い足はどこへやら。いつもにまして重たい。



「座ってかないの?」



聞き覚えのない音が聞こえた。

それが人の声と理解するのに頭が一瞬戸惑って、驚くと全くもって声が出なかった。

声の主はベンチの彼女。だと思う。驚きで振り向くことが出来ていない。

水洗いしたような透明な声。ではなくかなりハスキーな大人びた声だった。

何かを返さねばと考えながらも一応顔を見てから話そうとベンチへと目線を向けようとする。


「座らないの??」


声が先程より明らかに近かった。

二度目の驚き。


雨が強まった気がした。


しばらくの無言があり何かを覚悟して振り向くと目の前に顔があった。


「こ、こんばんわ」


捻り出した言葉を徐に口にだす。

彼女は目を瞬かせた。僕の言葉が聞こえなかったのだろうか。

そう思い、もう一度話しかけようとした時、彼女は言った。



「ここ……どこか分かる?」


言ったことが今一つ要領を得ない。

混乱した僕を彼女は手を引いてベンチに座らせた。

そこで先ほど感じた違和感の本当の正体に気付いた。彼女、全く濡れていなかったのだ。傘らしきものは見られないし、折り畳みや合羽ということも考えようとしたが手ぶらの彼女を見てその可能性は消えた。今日は朝から一日中の雨天。雨が降る前から居たというのもない。

そして、彼女の発言。「どこか」というのは一体どういう意味だ。


彼女に一つ質問をしようと隣で足を揺らし何もない場所を眺める不思議な子に声を出す。

頬が少し赤かった。


「ここどこっていうのは?」


何かを探すように先程とは違う空を見た。考える時の癖なのだろう。少し考えた後、彼女はこちらを向いた。お花のような匂いが鼻に届いた。


「私、いつの間にかここにいたの」


「いつの間にか、ですか?」


頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出す。やはり彼女はどこかおかしいようだ。


「そう……何て言ったら良いんだろう」


また空を見る。

別の世界でも見ているようだ。


「ここに来る前、少し疲れてベンチに座っていたの、でもここのベンチとはちょっと違う。屋根がない小さなベンチだった」


沈黙を続ける。

雨音は遠くに感じた。


「それで座って少しして私、目をつむったの……十秒ぐらいだったと思う。で、目を開けたらここにいたの……分かってくれた?」


目を大きく開けて見てくるがやはり良く分からなかった。

理解できないわけじゃない。ただ、現実として受け入れられなかった。

つまり彼女は目をつむっている間に別の場所に移動したということだ。ありえない。


「目をつむっている間に眠ってしまったということはないんですか?……いつの間にか動かされたみたいな」


浮かんだ可能性を彼女に提示する。

しかし彼女はあまり納得出来ないようだった。すでに彼女のなかでは否定された物だったのだろう。


「睡眠との違いぐらい分かるよ」


視線を逸らそうとした僕に彼女がそう言った。

目を細めて見てきた。怒っているらしいかったので。


「ごめんなさい」


と言うと彼女は息を漏らした。長い息。

白い空気は雨に溶けていった。


「……敬語。君そんなに歳変わらないでしょ、止めてくれない? なんだか気持ち悪いよ」


かなり毒舌な物言い。


「良く言われ、言われる。癖というか……なんか、」


言いかけて止めた。ふと手のやり場に困り頭をかいた。

自分について話しそうになった。初めての事だった。


「なんかってなに?」


僕を逃がしてはくれなかった。

顔を覗かせる目に綺麗な髪がかかっていて、彼女は自然と耳にかけた。その仕草がなんだか浮世離れしたものに見えて、今更ながら距離の近さに彼女から離れたくなった。


「僕のことは良いよ……敬語なのはごめん、気を付けるよ」


僕の言葉に目を細めて乗り出した体を退いた。


「あっそう」


そう言うと彼女は少し体を遠ざけた。

僕も反対の方へと顔を向ける。

水の重さで木々が沈んでいる。

頭の中は彼女の事で一杯だった。不思議な彼女の経緯。濡れていない体。裸足。訳の分からない事が次々に起こっている。やっぱり振り向かずに無視して帰るべきだっただろうか。そう自問自答するがあまり納得は出来ない。なんでだろう。


しばらくの沈黙が僕たちの間に落ちた。

雨がかなり止んできて、彼女の呼吸音が少し聞こえて僕は体をさらに遠ざける。聞こえないように、聞かないように。

彼女はその後もなにも話さなかった。

背中を水が下る。呼吸を止めた僕は話の続きをしようと言葉を投げかける。


「……もう少し君のこと考えてみようよ」


勇気を出した僕の言葉に彼女は返答しなかった。彼女の顔を見ることが出来ずに僕たちの間の無言は続いた。

頭の中に夢中だった僕はふと目の前をみると雨は完璧に止んでいた。空は幾分暗かった。

数分程経った頃。静かすぎる彼女が少し気になり横目で見る。

見えた映像に思わず声を漏らした。

僕は信じられなくて身体を横に向ける。


彼女は消えていた。

ベンチは冷たかった。


公園を見回したが、どこにも彼女は居なかった。

帰りが遅くなったことと濡れた服を見て母にはかなり怒られた。洗濯を済ませて自室で一人ベッドに横になるけど、頭の中には怒られたことなど消えていて、消えた彼女だけが残っていた。あれは幻だったのだろうか。彼女は僕の妄想で眠っている間に見た夢で……


彼女に引っ張られた右手を天井に向けて眺める。彼女の冷たい温もりが少し残っていた。花の香りがする。窓の外はやはり雲一色だった。

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