1-1.迦陵頻伽
「不思議な話、でしたよね」
知り合いの知り合いという伝手を辿って会うことになった目の前の男性は、40代半ばほどに見えた。
客先に出ることに慣れているのだろうか、仕立ての良いスーツを嫌味なく着こなし、白髪の混じり始めた頭髪は清潔に整えられている。
その落ち着いた出で立ちは、昼下がりの喫茶店と、ちょうど先ほど運ばれてきたコーヒーの香りに妙に似合っており、これから顔馴染みの得意先と商談でも始めようか、といった雰囲気だった。
「30年以上昔のことですし、曖昧な箇所もあります。あと、肝心の部分については一切が解決していないのですが……それでも良い、というお話でしたよね」
彼の視線が、ちらりとこちらを向く。
問いかけに対し、こちらもできるだけ話しやすい空気を作るべく、大げさなほどたっぷりと頷く。
その意図を汲み取ってくれたようで、彼はいくらか緊張を解いた様子で続けた。
「できるだけ記憶の通りお話しします、何卒ご容赦ください」
*
私が小学校3年生の、夏頃だったと思います。
確か、夏休みに入ってすぐに母方の曾祖父の訃報を受け、母の故郷である北陸の片田舎へ里帰りしたのでした。
曽祖父は大往生と言っていい年齢でしたし、安らかな最期だったようです。
ごくありふれた、こぢんまりとした身内だけの葬儀でしたので、式自体の記憶はほとんどありません。
今も記憶に残っているのは、葬儀の後の、火葬場でのことです。
炉に納められた曽祖父を見送り、骨上げが始まるまでの時間だったと思います。
私は見知らぬ男性とふたりきりで、畳敷きの控室のような場所にいました。
その男性は、先ほどまでいた他の大人たちと同じような、何の変哲もない喪服姿でした。
年齢は、母親より7、8つほど上でしょうか。特に所在なさげにする様子でもなかったので、その日まで交流がなかっただけの、遠い親戚のうちのひとりだと思いました。
だから、当時の私も特段警戒しておらず、彼の横並びで正座をして、ぽつぽつと他愛もない会話を交わしていました。
その男性が、ふと口にしました。
「××××という鳥を知っているかい」
それは全く聞き慣れない名前でしたが、単に聞き取れなかっただけだと思います。
小さいころから生き物が好きで、普段からよく図鑑を眺めていましたから、日本に生息するだいたいの鳥類なら知っている自信があったのです。
肝心のその名前を聞き返そうとしましたが、それより早く彼が話を続けました。
「ああでもこれは、いわゆる地方名というやつかもしれないね。とにかくここら辺の山にはね、そう呼ばれている鳥がいるんだ」
「その鳥が、どうしたの」
「この世のものとは思えないほど美しい声を持つんだ」
彼は笑いました。
「よくある話だよ。山に分け入ってその声を聴いた者は、二度と町へは帰って来られない、ってね。だから、呼ばれても行ってはいけないよ」
*
そこまで聞いて、私は思わず遮ってしまった。
「あの、それは、不思議な話でしょうか」
正直、拍子抜けしてしまった。
こちらからお願いして会ってもらっている以上、決して文句を言える立場ではないのだが。
「確かに少し怖いですが、単なる言い伝えではありませんか。ほら、地方によくある、子どもが険しい山に入らないように言い聞かせるための、寓話のような……」
葬儀自体の曖昧な記憶とは対照に、鮮明に覚えている話、といった前置きだったせいで、それが尚更陳腐に思えた。
すると語り手の彼は気を悪くする様子もなく、微笑んで言った。
「ええ。実は、その鳥の話自体は、それ以上でもそれ以下でもありません」
しらっとそう言い切った彼の態度に、自分の早合点であることを悟った。慌てて謝罪をする。
「それは……なるほど、申し訳ございません。話の腰を折ってしまったようですね」
「ははは、いいえ。私も話が長くて申し訳ない。私の印象に残っていることは、その鳥の伝承でも、聞き取れなかったその名前でもないのです」
私は声には出さず、続けてください、と目線だけを送る。
「記憶の通り話します、と言いましたね」
彼は少しだけ眉をしかめ、ふう、と息をついた。
「訳が分からないのは、その記憶そのものなんです」
聞けば、母方の曽祖父の火葬の記憶があること自体おかしいのだという。
曽祖父が亡くなったのは、彼どころか、彼の母親が生まれるよりも以前のことだったそうだ。
「もちろん、他の親戚の葬儀と記憶違いをしている可能性だってあるじゃないですか。そう思って、とりあえずあの、火葬場で会った男性を探したんです」
彼の指先は、口をつけないまま冷めてしまったコーヒーカップの、ソーサーの縁をなぞっている。
「お察しの通り、そんな親戚はいませんでした。私の母も、その父親である祖父も一人っ子なんです。曽祖父には兄がいて、そちらにも家族がいたようなんですが、先の大戦で皆命を落としたそうです。だから、葬儀に呼ぶような間柄で、母より少し上、ぐらいの年齢の親戚はいないはず、と母から聞きました」
次第に彼の視線が下がっていく。
「斎場スタッフだとしたら、まだあり得るんでしょうか。それでも、制服でもない普通の喪服で、幼児でもない年齢の子どもを、ふたりきりで見る必要なんて、なかったと思いますが」
あの人の顔や声、火葬場の控室の情景が、急激に差し込まれたかのように、記憶の中にあるんです、と彼は呟いた。
きっと彼はこれまで、それらしい理由を見付けようと、いろいろな可能性を模索しては、棄却せざるを得なかったのだろう。
そうして残ったものが彼自身に、それが存在しないはずの記憶であると突き付けてくるのだ。果たして、それはどれほど不気味で心細いことであろうか。
もうほとんど視線が合わなくなってしまった彼は、自嘲するような声で言った。
「私は一体なぜ、誰の葬儀で、誰に会ったのでしょうか」
事実に符合しない、それでも夢と決めつけるにはあまりに鮮明過ぎる記憶。
これ以上確かめようにも、彼の母親と祖父は既に鬼籍に入っており、北陸の親戚とは縁が切れているという。
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