day3.0 ニュークラブという場所

土曜日



約束の日、俺たちは予約していた居酒屋の現地で合流した。


あいは変わらず綺麗だった。

初めてみる彼女の私服は派手過ぎず夜の子というよりは普通の女の子を連想した。

でも少しだけ、食事中の彼女に、俺は小さな違和感を覚えた。

店員を呼ぶ声や態度が、どこか高圧的なのだ。


(......ん?こんな感じの子だったか?)


「夜に染まっていない素朴な子」という俺の勝手なイメージに、最初の違和感を感じた瞬間だった。


居酒屋を出て、予定通りお店へ向かう。

サクッとワンセットで帰る。

そう決めてエレベーターに乗った。

だが、あいが押したボタンは、店のあるフロアではなく、さらに上の階だった。


「今日は混んでるから、違うフロアなの」


降りた先には、これまでのフロアとは明らかに空気が違う、豪華なフロアではなく明らかに個室(VIP)が並んでいるフロアだった。

案内されたのは、どう見ても個室だ。


「なんで個室?怖いんだけど」


『うれしくて、用意してもらったの。一番小さい部屋で、安いところだから大丈夫だよ』


あいはそう言って、着替えのために一度部屋を出た。

(まあ、ワンセットで帰るなら、部屋代が乗っても2万円増しくらいか.....)

自分を納得させて待っていると、戻ってきた彼女の手には謎の紙袋があった。


『これ、ちょっと早いけどクリスマスプレゼント。開けてみて』


中には、いい香りのするボディオイル。


『ブレスレットとかは重いと思って。.....うれしい?』


不意打ちだった。

人にプレゼントをもらうなんて、いつ以来だろう。


「.....すごい嬉しい。けど、やっぱり怖いよ」


俺は照れ隠しにそう言ったが、心は完全に緩んでいた。

何かお返しをしなきゃいけない。

そんな義務感に駆られ、口を滑らせた。


「お返しに、なんか飲む?」


『うれしい!だけど一番優しいやつにするね。無理させたくないから。頼んでくる』


彼女が少しして戻ってきて、黒服が持ってきたのは、あまり見たことはないが安くはなさそうなシャンパンだった。

信用しきっていた俺は、値段も聞かずにグラスを合わせた。


今日のあいは、いままでになく饒舌で、本当に楽しそうだった。

「巧くんと個室で飲めるのが嬉しすぎる!」とはしゃぎ、VIPルームのカラオケを次々に入れては、シャンパンがなくなってからはショットをどんどん頼む。

一曲歌うごとに、一杯づつ、お互いにショットを煽る。

あまりの彼女の「純粋な喜びよう」に、俺もつられて楽しくなり、されるがままに飲み続けた。


『今日は、一緒に帰る』


23時を過ぎた頃、あいが耳元で囁いた。

「そうしよっか」と答え、彼女が『お店に確認してくるね』と言って部屋を出ていくのを見送った。


だが、戻ってきた彼女は、なぜか別の女性を連れていた。


『前に話したことがある、お世話になっている先輩だよ』


戸惑う俺を余所に、その先輩は口を開く。


「あいがどうしても会わせたい人がいるって聞かなく.....お邪魔しちゃってごめんなさいね。この子、今日をずっと楽しみにしてたみたいで」


先輩は、あいの奔放さを申し訳なく思っているような、とても落ち着いた雰囲気の人だった。


「なあ、ほんとに大丈夫なんだよね?お会計.....」


俺が少し冷静になり不安を漏らすと、先輩は少し困ったように、でも俺を安心させるように微笑んだ。


「今日はちゃんと考えて頼んでるって、あい、何度も言ってたから。だから、大丈夫だと思う。.....そんなに心配させちゃって、ごめんなさいね」


その後も、あいは先輩も巻き込んで、子供がはしゃぐように飲み続けた。

その姿は「営業」というより、ただの「酔っ払い」にしか見えなかった。


『もう一回、そろそろ帰れるか聞いてくるね!』


あいは千鳥足で、また部屋を出て行っていった。

そこからの記憶は曖昧だ。

戻らないあいを待ちながら、俺は先輩と二人で飲んでいた。


「あの子、戻るの遅いわね。ちょっと見てくるわ」


先輩が心配そうに部屋を出たのと一緒に、俺もトイレに立ち、部屋に戻る際に廊下で黒服に聞いた。


「お会計、今どんな感じですか?」


黒服は、同情とも苦笑ともつかない表情で答えた。


「シャンパンが数万円、ショットも一杯ごとにそれなりの値段で.....」


気づけば相当な杯数が出ているようだった。

最悪だ、と思った。

戻ってきた先輩が本当に申し訳なさそうな顔で俺を見た。


「本当にごめんなさい.....あの子、はしゃぎすぎて潰れちゃったみたい。今日、本当に楽しみにしてたから、自分の限界がわからなくなっちゃったのかも.....」


気分が悪かった。

一刻も早く、ここから消えたかった。

先輩の謝罪には実感がこもっていた。

だけど気分は悪かった。


「会計、お願いします」


差し出された伝票の数字は、一瞬理解できなかった。

少し遅れて42万円だと分かった。

カードが通るか不安だったが、決済は無機質に完了した。


「いい勉強になりました」


なんだかカッコつけたことを言っていた気がする。

後で確認したところ、手数料を含めた総額は47万円になっていた。



-------


領収書


セット料金 ¥*******

指名料 ¥*******

延長(1SET) ¥*******

お飲み物 ¥*******

割りもの・その他 ¥*******

サービス料・税

計 ¥470,000


TOTAL ¥520,000



正直、決済した時のことはよく覚えていない。

カードは確かに手元にある。

でも、どうやってサインしたのかも思い出せないほど、俺はもうまともじゃなかった。

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