クラスのアイドルに叱られる Shou

 今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。あとはホームルームだけやって帰るだけだ。


 今日はずっとボケーっとしていた気がする。というか、ほとんど授業を受けていた記憶がない。「心ここにあらず」の見本にでも使えそうな状態だった。なぜそうなったのかは自分でも分からない。


 みんなが帰宅モードに切り替わる中、俺はまた窓際の席でぼんやりと外を眺めていた。おそらく今日は机やノートよりも外を見ていた時間の方が長かっただろう。


 先日の肝試しが、まだ頭から離れない。あの白い女の言葉が、妙に耳に残った。本当は怖がる方が自然なはずなのに、ずいぶんと不思議な体験だ。


 好きな人と一緒にいられる時間を、大切に……。その言葉に、どこか出どころの分からない寂しさを感じた。これから俺は何かを失うのだろうか。人生全体で考えればそうなることは自明だが、それ以上の何かを感じたのも事実だった。それが何か分からないせいで、俺の胸には変な気持ち悪さが居座っている。


 ふと見ると、なぜか笑顔の植村が近付いて来ている。クラスのアイドルである彼女も、つい先日までは遠い存在だったのに。人生というものは一瞬で何かがガラッと変わることもあるのだなと感慨を覚えた。


 植村はこっちまで来ると、俺の机に寄りかかるようにニコニコして口を開く。


「夜見川君、ちょっと話いい?」

「なんだよ。ホームルームが始まるぞ」


 植村は周りをチラチラ見回して、声を少し落とす。まるで秘密話でもするみたいに。


「この前の肝試し、ホントに楽しかったよね。亜衣ちゃんも夜見川君も、なんかいい感じだったし」

「まあ、そうだな」

「……ねえ、夜見川君。亜衣ちゃんのこと、どう思う?」


 突然の質問に、俺は一瞬固まる。


 上城のこと? 肝試しの夜に崖で守ったこと、手の温もり……。確かに、あの時はちょっと意識したかも。でも、そんなの普通だろ。あの状況になれば、人でなし以外は上城を助けるはずだ。少しでも男子としてのプライドがあれば。


「どうって……普通だろ。クラスメイトだし、その時は当然そうするべきだから助け合っただけだよ」


 植村の目がふいにキラキラと光る。彼女は机に肘をついて、身を乗り出してくる。


「えーそうかな? 亜衣ちゃん、夜見川君のことチラチラ見てたよ? 誰もいない夜道で二人きりになって……もしかして、手繋いだりした? 少しくらいドキドキしたこと、あったでしょ? 亜衣ちゃん、絶対夜見川君のこと気になってるよ」

「はあ」


 恋する乙女というやつなのか、俺は植村の子犬みたいなテンションに付いていけない。そんな俺の気も知らずに、植村は話を続ける。


「これはきっとさ、青春が始まっちゃう前触れなんだよ。分かる? なんて言うかさ、夜見川君と亜衣ちゃんって絶対にお似合いだと思うし、もっと積極的に行っちゃえば?」


 植村の言葉が、矢継ぎ早に飛んでくる。上城が俺のことをチラチラ見てた? まさか。こんな人畜無題で無味無臭な男に興味なんて持つはずがない。竹川はモテるかもしれないけど、俺はそういうキャラとは違うんだ。そう思った俺は、彼女の言葉に反論する。


「いや、待てよ。手繋いだのは崖で滑りそうになったからだぞ。ドキドキしたって、危ない状況だったんだから当たり前だろ。上城が俺のことを気にしてるって……そんなわけないだろ。彼女、俺みたいな地味な奴より、もっと明るい奴がタイプだよ」

「えっ」


 俺の返事に、植村の表情が一瞬固まる。彼女は長いローディング時間をかけてフリーズから復旧すると、ため息をついて俺の肩をポンと叩く。


「夜見川君、それだと君はモテないよ」


 え? 俺は思わず首を傾げる。モテない? なんで急にそんな話になるんだ?


 植村は呆れきって、出来の悪い生徒にどうやって引き算を教えるか困っている先生のような表情をしていた。


「いや、鈍感すぎるでしょ。亜衣ちゃん、昨日の夜から夜見川君のこと、ずっと目で追ってるんだから。もっと気づいてあげなよ。いくらなんでもバカ過ぎでしょ」


 割とマジなテンションで俺を全否定すると、植村は不機嫌そうな空気をまといながら自分の席へと戻っていく。事情を知らない他の生徒たちが「お前、何かやった?」と目で訊いてくる。俺は「分からない」と念を込めながら首を左右に振った。


 教室のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。これからホームルームだ。俺はぼんやりと植村の言葉を反芻はんすうする。


 モテない、か。なんでそんなことを言われたのだろう?


 上城が俺のことを……? いや、まさかな。でも、あの夜の温もり、チラチラとからみついてくる視線……。言われてみれば、そんなことがあったような、無かったような。ああ、もうよく分からない。


 頭がグルグル回る。ホームルームが始まっても、情報が頭に入ってこない。前の方の席にいる上城を後ろからそっと見る。彼女の背中は何も語らない。そんな状況で、俺は白いブラウスに包まれた小さな背中をじっと眺めていた。


 あの夜に、何かが変わったのだろうか。


 直接上城に訊いてみたいところだけど、そんな勇気もない。臆病な自分がひたすら嫌だった。

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